8 新婚の朝①
――美貌で知られたフリージア王女。
その忘れ形見であるカトレア姫は、平民上がりの年下の騎士との恋に落ちた。
騎士は優秀ではあったが、とてもとても姫の御前に参れるような身分でもないし、顔立ちは整っているものの眼差しは鋭いし粗野な言葉遣いであるため、敬遠されることが多かった。
ひょんなことから出会った二人は、少しずつ愛情を育んでいった。だがそれはいずれ、マーガレット女王の耳にも届くこととなる。
騎士団長や宰相の息子などであればまだ彼女の溜飲も下がっただろうが、姪が見初めたのはあろうことか平民生まれの叩き上げ騎士。
女王は、二人の仲を裂こうと画策した。だが既に強い絆で結ばれていた二人の思いは揺るがなかった。女王は騎士に、「カトレアと結婚したいのならば、相応の教養を身につけろ」と命じた。彼はその日から一年、女王に認められるべく勉学に励んだ。そのひたむきな姿は城の皆からの同情も集め、最後にはサイネリアにも説得され、女王は渋々ながら姪の結婚を許可したのだ。
マーガレット女王は、かつて姉フリージアが先代女王の重すぎる期待に潰れてしまい、自由を求めて駆け落ちしたことをずっと気にしていた。姉を助けられなかったこと、姉が苦しんでいることに気づけなかったことを女王はずっと気に病んでいた。
女王は、亡き姉フリージアに負い目がある。だから姪であるカトレア姫の願いなら極力叶えてやりたい。いきなり田舎から王城に連れてこられたというのに大人しく指示に従い、淑女教育を受け、真面目に勉強してきた姪の初めての我が儘が、「エドウィンと結婚したい」だったのだ。
そうしてカトレア姫は恋人と結ばれ、幸せに暮らしたという。
めでたしめでたし。
私、カトレア・ケインズは無駄にでかいベッドで一人目を覚ました。
最初、私の手はカーテンを求めてベッドの周りをうろうろしたけれどしばらくして、ここが四年間暮らした王城の自室ではなく、結婚によって移動した離宮であることを思い出した。
……ああ、そうだ。私、結婚したんだ。
目を擦って隣を見やるけれど、そこはもう既に無人。温もりすら残っていないから、私の夫はだいぶ前に目を覚ましてベッドから出ていったみたいだ。
まあ、それも仕方ない。
昨夜、私は妻としての役目を果たすことができなかったんだから。
私はのろのろと起きあがり、ベッドサイドに置いていたベルを鳴らした。すぐに続き部屋からキティがやってきて、一礼する。
「おはようございます、カトレア様。よい朝でございますね」
「ええ、おはよう、キティ。……その、エドウィンはどこ?」
「エドウィン様は早朝に起きられ、朝の鍛錬をなさっていました。既に朝食は召し上がっているので、カトレア様もお仕度をいたしましょうね」
「……分かったわ」
キティは手際よく私の仕度を調えてくれた。私の体はきれいだしベッドもほとんど乱れていないから、昨夜私たちの間に何も起きていないというのは一目瞭然だっただろう。
でもキティは余計なことは何も言わず、「ご結婚なさいましたし、結い方を変えましょうね」と私の巻き毛を丁寧にブラシでとき、きれいな形に結ってくれた。エルフリーデ王国では独身女性は髪を下ろし、既婚女性は結い上げるという風習があるんだ。鏡に映った自分は本質的には昨夜と何ら変わらないのに、髪型を変えるだけでちょっとだけ大人びているように見えた。
朝食は、一人きり。
一人で食事をすること自体は慣れている。
「れな」として生きているときは仕事帰りに買ったコンビニ弁当を一人で食べていたし、「カトレア姫」になってからはたまにサイネリアと一緒に食べたけど、基本は一人飯だった。そういえば生前の母――フリージア王女は結局最後まで、料理が上手にならなかったなぁ……。
キティやメイドに給仕されながら食事をしつつ、思う。
先代女王である私の祖母の過度な期待に押しつぶされそうになっていた母は、商人だった父と知り合い、駆け落ちした。
母は美しかったけれど、女王の器ではなかったそうだ。「マーガレット様の方が女王にふさわしい」「マーガレット様が長女だったら」とずっと言われていたし、母も自分が不出来な王女であるのは分かっていた。父と駆け落ちすることでやっと、母は一人の人間として生きることを許された気分になったそうだ。
父は私が幼いときに死んでしまったから、もう顔も覚えていない。でも、このアッシュブロンドと紫の目は父譲りらしい。……髪も目もゲームのイベントでもらったアバターなんだけど、それを気にしちゃおしまいだから考えないことにする。
母は、「後悔しない選択をしなさい」っていつも言っていた。私は母が元王女だなんて知らなかったから、ふーん、としか思わなかった。でも今ならその言葉の重みも分かる。
そういえば前世の母も、「自分で選んだ道なら、自分でけりを付けなさい」って言っていた。いきなり車道に飛び出して死んだふがいない娘で、家族には申し訳ないことをした。せめて、親の教えに従って第二の人生を清く正しく生きていきたいところだけど……。
料理はおいしかったけれど、あまり食欲はなかった。離宮に連れてきた料理人は私の好みもよく分かっているのだけれど、十日ほど前に記憶を取り戻してからは若干私の味の好みも変わっていた。この世界の料理、ちょっと油っぽいんだよね。でも料理人は私の細かいオーダーにも快く応えてくれていた。キティを始めとした皆は気さくでよく気が利くから、とても助かっている。
さて、食事を終えた頃に、使用人が「エドウィン様がお戻りです」と伝えてくれた。間もなくエドウィンが居間にやってきて、キティの淹れた食後のお茶を飲んでいた私の前に跪いた。
「おはようございます、カトレア様。あなたの目覚めを待っていられなくて、申し訳ありません」
「おはようございます、エドウィン。あなたは騎士ですし、毎朝日課の鍛錬があるのは承知しております。私はどうも朝には弱い方みたいなので、どうか気にしないでください」
私はそう声を掛けた。
体が資本の職に就いているのだから、エドウィンは非常に健康的な生活を送っている。ちなみに朝に弱いのは「カトレア」ではなく「れな」の方なので、最近になって朝起きるのが億劫になった私をキティたちは最初不思議そうに見ていたけれど、「環境が変化するからかも」と言い訳したら納得してくれた。
今日のエドウィンは、長袖のシャツに灰色のスラックス、黒地に銀色のラインが入ったベストを着用している。これはエルフリーデ王国の貴族男子の普段着で、この衣装の上に一枚コートを着ればそのまま王城にも出仕できるコーディネートだった。
これまでのエドウィンは騎士団服か運動用の服、もしくは礼服代わりの軍服姿くらいしか見たことがなかったので、貴族っぽい衣服を着た彼はなんだか新鮮だ。
立ち上がった彼は私がまじまじと見ていることに気づいたのか、ちょっと気取った仕草でベストの裾を摘んだ。
「これ、どうですか? 一応俺用に仕立ててくれたものなんですけど、こういったものは着慣れてなくって。変じゃないですか?」
「変じゃありませんよ。デザインも色合いもよく似合っています」
「ありがとうございます! カトレア様と結婚したからには、俺もたまにはこういうちゃんとした服を着ないといけないので、今から慣れておきますね!」
……やっぱり声が大きい。思わずびくっとしてしまったけれど、バレなかっただろうか。