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56 神を脅す者②

 ……こうしてはいられない。

 私はペンギンに背を向けた。


「どこへ行く?」

「エディのところに帰る」

「無駄だ」


 振り返る。

 ペンギンは翼を組み、ゆらゆらと体を左右に揺らしながら私を見ていた。


「なんで」

「わしが神族の罰を受けるからだ」

「あんたが罰を受けようとステーキになろうと唐揚げになろうと知ったことか! ……よし、分かった」

「……お、おい。そなた、何をする気だ?」


 一度は背中を向けた私が今度は両手をワキワキさせながらジリジリと寄ってきたからか、初めてペンギンの目に焦りの色が浮かぶ。


「ん? きゅっとシメてぶつ切りにし、ささみのフライにしてやろうかと」

「むっ! こ、この鳥は、そなたの世界では食用ではなかったはずだ!」

「煮るか焼くかすれば大概の鳥は食べられる! ……あんたがエディを殺す気なら、私の方が先にあんたをシメてやる」


 幸い相手は、小柄なフンボルトペンギンだ。私はこいつの倍以上の身長があるから、勝機は十分あるはず。

 見た目だけはこんな可愛いペンギンを手に掛けるのは本当はものすごく不服だけど、エドウィンを死なせたくはない。


「神だかなんだか知らないけど、やってやる」

「やめんか! ……落ち着け。この白い世界は、わしの力でできた亜空間。それなのにわしをくびり殺せば、そなたは二度と元の世界に戻れんぞ!」


 どうだ、とばかりに私を脅すクソ神は本当に憎い。これが可愛いペンギンじゃなくてカサコソ動き回る虫の格好をしていたら、容赦なく踏みつぶしていたのに。


 ……なるほど。

 クソ神をきゅっとシメれば、私が死んでしまうと。


 今、私はものすごく嗜虐的で邪悪な笑みを浮かべていたことだろう。


「……エディが助かるのなら、それでいいわ」

「愚かな……!」

「というか――今気づいたんだけどね。あんたは、私が幸せな第二の人生を歩めなかったら、罰を受けるんでしょう?」


 腰を屈め、びくつくペンギンの喉をつんつん突きながら、わざとらしくねっとりした声で脅し返してやる。


 私は人間、相手は神。

 体格差はともかく変な術でも使われたら私が勝てるはずがないのに、このペンギンは明らかに怯えている。「自分を殺せばおまえも死ぬ」と、普通に考えれば優位に立って脅しているはずなのに、さっきまでのような傲慢な態度は欠片もなく、いまだにびくびくしていた。


 ……つまり。


「今の私の幸せは、エディと一緒に生きること。それなのに、私もしくはエディのどちらかが死ねば、『自分のミスで死なせた加藤れなは、第二の人生でも不幸なままだった』ということで、結局あんたは罰を受けるんじゃないの?」


 ペンギンがつぶらな目を見開いた。図星みたいだ。

 クソ神は、「加藤れな」だった私を死なせた償いとして、この世界で幸福に生きられるよう導かなければならない。でも、既にエドウィンと心を通わせた私がこの世界で死んでも、エドウィンが呪いで死んでも、私は不幸になってしまう。

 つまりどっちに転んでも、クソ神は痛い目に遭う。


 クソ神は、私がエドウィンを愛しているってのを信じていないみたいだけれど――それが真実だった場合、クソ神は手詰まりとなる。私が口先だけで、本当はジルベール様を愛しているのならクソ神の思わく通りだけど、そこまで危険な賭けをする気にはなれないってことじゃないかな。変なところで人間くさい神だ。


 ペンギンがぺたぺたと数歩後じさったので、同じ歩数私は相手との距離を詰め直す。


「……本当に私の幸せを願うのなら、エディのもとに返して。そして、エディの呪いを解いて」

「……。……わしは、そなたの幸せを願って全てやってきた」

「そのようね。でも、気が変わったの」


 喉に突きつけていた指を、ペンギンの頭に移動させる。リズムを取るようにぺしぺしとその頭を叩いてみたけれど、クソ神は何も言わず私のなすがまま、あかべこのようになっていた。


「私は誰よりも、エディを愛している。彼と一緒に生きて、幸せになって、エルフリーデ王国が栄える様を見ていきたい。私は、ゲームの攻略対象の一人じゃなくて、生きた人間で、ゲームでは見られなかったたくさんの表情を見せてくれるエディのことが大好きなの」


 人なつっこいわんこのように私を慕ってくれるエドウィン。

 でも可愛いだけじゃなくて、私のためなら苦手な勉強をこなしたし、姫婿になるための努力を惜しまなかった。

 結婚してからも、いつだって私を気遣い、愛し、ときにはちょっと我が儘になったり意地悪になったりするけれど、私を大切にするという思いだけは絶対に揺るがせない。


 私がこの世界で出会った、最愛の人。

 エドウィンと一緒に、生きていきたい。


 私の思いを聞いたペンギンはしばし、黙っていた。そしてやがてふーっと息をつくと、私にくるりと背中を向ける。


「……どうやらわしの負けだったようだな」

「……何が?」

「……来い、エドウィン」


 ペンギンが右の翼で、何もない空間に向かって手招きする。

 エドウィン、の名に私がはっとした直後。


 白い世界が揺らいだ。まるで真っ白なカーテンが風を受けて揺らめいているかのように目の前の世界がさざめき、広がり――ふわり、と一人の男性がその場に現れた。


 シンプルな部屋着姿の彼は、私を見ていた。

 灰色の目が、真っ直ぐ私を見ている。


「っ……エディ!」


 私は駆け出した。途中、むにっとした柔らかいペンギンを蹴飛ばした気がするけれど、気にしない。

 飛び込んできた私を、エドウィンは難なく受け止めてくれた。夢の中みたいにその感触はちょっと頼りないけれど、確かにエドウィンの匂い、温もり、腕の力強さを感じる。


「エディ、どうして、私……」

「すみません、カトレア様。……一連の話、聞いていました」


 落ち着いた声に、何を言おうかあわあわしていた私は顔を上げた。

 聞いていた――?


「……えーっと、どこから?」

「……全部」

「お、おわぁ……」

「俺、不安でした。そこにいる変な生き物が、いろいろ脅してきて――でも、大丈夫です」


 エドウィンは愛おしそうに目を細めて私を見、ちゅっ、と額にキスをしてくれた。やっぱりあんまり感覚ははっきりしないけれど、彼がキスしてくれたという事実にまたしても涙腺が潤みそうになる。


「エディ……もう大丈夫なの? 痛くない? 苦しくない? まだ辛いなら、私があのペンギンをきゅっとシメるよ?」

「あなたの愛をしかと受け止められたので、もう大丈夫です」


 そう言うとエドウィンは私を抱きしめたまま、クソ神の方を見た。そういえばさっき、ぶつかった気がする。悪いとは思わない。

 クソ神は腕を組み、憮然とした表情で私たちを見ていた。どことなく、不服そうにも見える。


「申し訳ないが、俺はやっぱりカトレア様のことも、生きることも諦めたくない。……それに、カトレア様の一番の愛情をお受けできることが分かったからには、そのお心を疑ったりもしない」


 静かに語るエドウィンの眼差しは、凪いでいる。彼の胸元をきゅっと掴むと、空いている方の手で慰めるように私の手を包み込んでくれた。


「げぇむとか、コウリャクタイショウとか……よく分からないけれど、カトレア様のことなら信じられる。そう思わせてくれた人を残して死にたくないし――カトレア様が他の男と一緒になるなんて、やっぱり嫌だ」

「エディ……」


 ペンギンはしばらくの間、私たちを黙って見ていた。やがて息を吐き出し、ぺたん、と足を鳴らせる。


「……ヒトの心とは、分からぬものよ。だがこれで、れな――そなたが幸福な第二の人生を歩めるのならば、わしは何も言わん。むしろ、わしとて痛い目には遭いたくないものでな、エドウィンと共に生きると決めたからには幸せになってくれ」


 ……本当に、どこまでも自分本位なペンギンだ。まあ、神に人間の気持ちを汲み取れという方が無理なのかもしれないけれど。

 ペンギンは上を向き、ぺちぺちと自分の頭を叩く。


「……やれやれ、まさかニンゲン界に調査に行っただけでここまで振り回されるとは。しばらくの間、ニンゲンのお守りはこりごりだ」

「私だって、こんな自己中ペンギンとよろしくしたくないし」

「言ってくれるの。……これ以上そなたらに関われば、今度こそシメられて唐揚げになりそうだからな、わしはそろそろ撤退させてもらう」


 そうしてペンギンは私たちを見、ふと――笑ったような気がした。


「達者でな、れな。そなたが幸せであることが、わしの幸せだからな」

「……ああ、うん」


 ぱっと聞いただけならすごく気障な台詞なんだけど、私が幸せになれなかったらこいつが神族の罰を受けるだけなんだよね。最後の最後まで可愛くないペンギンだ。


 ぺたん、ぺたん、と足音を立てながら、ペンギンが去っていく。その体が白い世界の中に溶け込んでいくと――ふわり、と体が浮かび上がるような感覚がした。


「おっ……?」

「俺たちも、そろそろ目覚める時間のようですね」


 辺りをきょろきょろする私に対し、エドウィンは落ち着いた口調で言う。そうして私の頬をそっと撫で、そのままの流れで親指の腹で下唇を軽く押さえてきた。

 灰色の眼差しは優しくて、柔らかく笑む彼の顔を見ていると、自然と私の表情も緩む。


 エドウィンの笑顔は、魔法みたい。

 彼が笑っていると私はこんなにあたたかくて、幸せな気持ちになれるのだから。


「……目が覚めたら、たくさんの話をしましょう。でもそれ以上に――早くあなたをこの腕で抱きしめ、キスして、お互いが生きているということを実感したい」

「……うん、私も」


 微笑み合っていると、光が強くなる。

 目の前にいるはずのエドウィンの顔もだんだん光に溶け込んでいって、一抹の不安が沸き上がる。


 ちゃんと、一緒に目覚められるだろうか。

 目覚めたとき、エドウィンは元気になっているだろうか。


「……大丈夫ですよ、カトレア様。さあ、また後ほど」


 私を安心させるように柔らかくエドウィンが言った直後、私たちの体は光に包まれていった。

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