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52 暗転③

 その後、エドウィンはすぐに離宮に戻ってきた。

 彼のために客間をひとつ、療養用の環境に整えた。余分な家具を取り払い、医療器具が運び込めるようにする。続き部屋で医師たちが生活できるように片づけをし、いつでも診察に来てもらえるようにした。


 離宮を整え、女王陛下やサイネリアからも「妻として、できることをなさい」というお言葉をもらったことで、私はエドウィンの看病にあたることになった。

 運ばれてきたエドウィンは顔色こそ悪いけれど、あの夜にうなされ呻いていたときよりは容態が落ち着いているみたいだ。浅いけれど呼吸はしているし、顔も苦しそうに歪んではいない。医師曰く通常より脈拍はゆっくりめらしいけれど、それに関しては今すぐに処置を施さなければならないほどではないそうだ。


 白い部屋に白い部屋着だとまさに病室だけど、私はこの部屋を病室ではなくエドウィン用の部屋、ということにしたかった。だからキティたちと相談してエドウィンが好んでいた明るめの色合いのカーテンを取り付けたり、花を飾ったりした。ベッドに横たわるエドウィンは基本的に静かに眠っていたけれど、たまに唸り、眠りから覚めるようだ。


 療養生活を始めて最初にエドウィンが目を覚ましたのは、二日目の朝のことだった。


「カトレア様、エドウィン様がお目覚めです。カトレア様の名を呼ばれています」

「本当!? すぐ行くわ!」


 朝食の後、書類仕事をしようとデスクに向かっていた私はキティに呼ばれ、すぐにエドウィンの部屋に飛んだ。

 昨日はこんこんと眠っている状態で、栄養補給は投薬と点滴で済ませた。

 目が覚めたのなら、今日はご飯が食べられるかも。話ができるかも――そんな淡い期待を胸に、私は寝室のドアを開けた。


「エディ!」


 寝室では、エドウィンがベッドに腰掛けてこっちを見ていた――ってのを期待していたけれど、残念ながら彼はベッドに横たわったままで、ベッドサイドの椅子に座っていた侍医――最初に来てくれた高齢の医師が振り返った。


「カトレア様、どうぞこちらに。わたくしは隣の部屋におりますので、何かあればお声を掛けてください」

「……ええ、ありがとう」


 気を遣って席を外してくれる侍医に礼を言い、私は彼が座っていた椅子に腰を下ろした。

 エドウィンは、うっすらと目を開けていた。まぶたの隙間から見える灰色の目はぼんやりしているけれど、私の方を見たのが分かって――それだけで嬉しくなった。


「エディ、カトレアよ。気分はどう?」


 掛け布団の上で重ねられていた手をそっと取ると、ぴくっと微かに震えた。指先は冷え性かってくらい冷たいけれど、手のひらからは生きている温もりを感じられた。


 エドウィンは最初、薄目を開けたままぼうっとしていた。でもその目が丸くなり、かさかさになった唇から吐息が漏れる。


「……かとれあさま」

「エディ」


 寝起きのためか病気のためか、少々舌っ足らずながら名前を呼んでくれた。

 嬉しさと安堵に思わず涙がこぼれそうになった、けれど――


「……ちがうんです、おれ、あなたのしあわせ、ほんとうに、ねがってるんです」

「……エディ、何のこと? どうしたの?」

「おれ、あなたが、いいんです。ほんとうに、ほんとうに……いやです、ほかの、おれは……いやなん、です……」


 震える小さな声で、エドウィンは私にはわけの分からない言葉を呟いている。どう見ても、目が覚めて安心しているとか、私の顔が見られて嬉しいとか、そんな雰囲気じゃない。


「エディ、何を言っているの? 私はここにいるのよ?」


 舌が絡まりそうになりながら呼びかけてぎゅっと強く手を握ると、エドウィンの虚ろな灰色の目が揺れた。


「かとれあさま、あいしてる、だれよりも、おれは――」

「わ、私もよ! あなたのことを愛している、大好きなの! だから、しっかり――」

「……りがとう、ございます。でも、だめです、だめなんです、おれは、おれ――」


 最後には口内の唾液で噎せそうになりながら声を絞り出し、そしてふっとスイッチが切れたかのように意識を失った。

 さっきまでは開いていたまぶたは閉ざされ、震える言葉を吐き出していた唇からは静かな寝息が聞こえてくるだけ。


 彼と言葉のやり取りをしたのは、時間にしてほんの一分程度。嵐のごとき怒濤の勢いでいろいろな感情が押し寄せてきて、わけが分からない。


 ……どういうこと?

 ふらふらになりながら立ち上がって侍医を呼び、さっきのやり取りを説明しながらも私の胸はまた不安と苦しみで塗りつぶされていく。


 エドウィンは、「ちがうんです」と言っていた。私と一緒にいたい、私に幸せになってほしい。でも、「だめなんです」と悲しそうに言っていた。


 何が「だめ」なの?

「俺は嫌なんです」っていうのは、何が嫌なの?


 聞きたい、知りたい、教えてほしい。でもエドウィンは既に眠りに就いていて、侍医にも「しばらく様子を見ますので、カトレア様は別室へ」とやんわりと追い出されてしまった。


 その後エドウィンは、今度は昼過ぎにまた目を覚ましたそうだ。食事をしない時間があまりにも長いので、今度はぼんやりはしているけれど私を呼ぶ前に病人食を食べ、その他の世話を男性の使用人や侍医にしてもらってから私が呼ばれた。


 私がいきなり行けば、またさっきみたいにエドウィンは支離滅裂な言葉を呟き、そのまま昏倒してしまうのでは、と言われたからだ。私もその通りだと思ったので、エドウィンが目覚めたと聞いて身仕度を調える間、そわそわする体を叱咤しながら呼ばれるのを待つことにした。


 ちょうどそのときアルジャーノンが様子を見に来てくれたので、彼と一緒にエドウィンに会いに行くことになった。


「まず、僕が話をしてみるよ」


 寝室のドアの前で、アルジャーノンと打ち合わせをする。

 見舞い用の菓子の入ったバスケットを手にしたアルジャーノンは、神妙な顔で私を見つめて言った。


「僕は母上たちから、エディの病症を確認するよう命じられているんだ。エディの意識がはっきりしているうちに確認したいからね。それまでの間、カトレア姉様にはちょっと待ってもらうね、ごめん」

「いいえ、その方が絶対にいいもの。むしろ、お願いします、アルジャーノン」


 私がお辞儀をするとアルジャーノンは「顔を上げてよ」と苦笑し、ぽんぽんと私の肩を叩いてきた。


「僕がエディと話をしている間に、カトレア姉様もやるべきことがあるよ」

「……そうだったかしら?」

「笑顔の練習。……今の姉様、すごい悲しそうな顔をしている」


 そう言うアルジャーノンは自分の両頬に触れ、にっこりと天使の笑みを浮かべた。これぞ、「シークレット・プリンセス」で年下好きなお姉様たちのハートをぶち抜いた、スマイルスチルだ。


「姉様が悲しそうな顔をしていたら、エディも辛いよ。だからほら、笑って笑って。エディさ、カトレア姉様の笑顔が大好きだって言っていたんだ。だからお見舞いするときは、エディの大好きな笑顔で会いに行ってやりなよ」


 ……そんなことを話していたんだ。

 私の脳裏を、夏の日差しのように爽やかに笑うエドウィンの顔が過ぎる。

 私だって、彼の屈託のない笑顔が大好きだ。彼にもう一度笑ってほしいのだから――私の方が、堂々としていないと。本当に、アルジャーノンの言うとおりだ。


 簡単な打ち合わせを終えたところで、アルジャーノンは寝室に向かった。私はキティと一緒に壁際で待つことになったけれど、ドアがしっかり閉められているのでエドウィンとアルジャーノンの会話はほとんど聞こえない。時折、少しだけ物音がするだけだ。


「……大丈夫かな」

「……絶対に大丈夫です、と言えないのが歯がゆいです。しかし、アルジャーノン様のおっしゃるとおり、カトレア様が落ち込んでいたら何にもなりません」


 私が呟くと、隣に寄り添っていたキティが優しく背中を撫でてくれた。さすがキティはしっかりしている。確信の持てないことはきちんとそう言うし、厳しいこともぴしっと言ってくれる。

 もともとキティはハキハキしたタイプだったけど、私が前世の話を打ち明けてからはますますしっかりさんになった気がする。優柔不断気味な私にとってそんなキティの存在は、ありがたい限りだ。

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