48 紳士になりたくて
あまーい
離宮に戻ったらまず、それぞれお湯を浴びることになった。
キティに連れられて浴室に行く途中、エドウィンが「なんなら一緒に入ります? 責任もってお体を洗って差し上げますよ?」とからかうように言ってきたので、一発背中にお見舞いした――けど、そうやってからかってくるとこは「彼らしい」ので、突っぱねつつも内心ほっとしていた。
訓練所に行ったため砂っぽくなった体を洗い、髪の汚れも落とす。今日は私もエドウィンもこれ以降外出する予定はないから、部屋着用のシンプルなドレスに着替えた。装飾を極力取り払ったドレスは肌触りがよくて軽い上、風呂上がりにキティがマッサージしてくれたので体の疲れが取れて足取りも軽くなった気がする。
それぞれ仕度をしたら、リビングでティータイム。夕食まではまだ時間があるから、夕食に差し障りのない程度のお茶とお菓子をいただくことにした。
私と同じく身軽そうな部屋着姿になったエドウィンは、しばらくの間ちょっと難しい顔で紅茶を飲んでいたけれど、やがて意を決したように姿勢を正した。
「カトレア様、先ほどの話の続きですが」
「うん、教えてくれる?」
「はい。……その、俺が今日一日自分らしくない行動を取っていたというのは十分自覚しています。というか、そうなるように努めていたといいますか」
躊躇いがちではあるけれど、説明すると宣言したからには退けないのだろう。
エドウィンは膝の上で重ねた手をそわそわさせつつ、言葉を続ける。
「……あなたの前世の話ですけれど。『れな』さんだった頃、あなたは紳士的な男性がお好きだったとのことですよね」
「……」
私は数度、瞬きした。
うん、確かにそう説明した気がする。
でも……まさか。
エドウィンは私の前世のタイプを聞いて――
「……紳士的な人になろうと努力してみたってこと?」
「そ、そういうことです。えっと、俺の知る限り一番紳士的で『れな』さんのタイプに当てはまりそうな男性がジルベール殿下なので、殿下にお話を伺ったんです。その、どうやったら殿下のような男になれるのか、と」
……ああ、なるほど。
以前彼は、私がジルベール様に懸想しているのでは、と指摘してきた。まさにその通りでうまい返事ができなかったけれど、それも私の前世のせいだと彼は納得してくれた。
その件は終わったけれど、きっとエドウィンは――私にもっと好いてもらうためには、「加藤れな」だった頃に好きだった男性のタイプも研究してみようという気になったんだろう。そういうことで、私に知られないようこっそりとジルベール様の真似をしようとしたってことか。
最初、私はどんな表情をすればいいのか分からず、変な顔になってしまったと思う。向かいの席のエドウィンは思い詰めたような顔をしていて、さっきはそわそわと開いたり閉じたりしていた手は硬く握られ、微かに震えている。
彼を思い詰めさせたのは、私だ。
彼の行動を変だ、と詰る前に、かつての自分の行動を反省しなければならなかったなんて……。
「……話は分かったわ。……結局のところ、私が原因なのね」
「そういうわけじゃありません! あの、確かにきっかけは前世のあなたの好みなのかもしれません。でも、お話を伺ったときに殿下も――女性に対して紳士的に接するということは、プラスになってもマイナスになることはないと教えてくださいました! ただ、俺がやったら不格好で見るからに怪しかっただけで……」
そこまで言うとエドウィンは苦虫を噛み潰したように顔をしかめ、「すみません」と低い声で謝ってきた。
「俺、空回りしてばっかですね。格好悪いし、申し訳ないし――」
「そんなこと言わないで。……確かにちょっとあなたらしくないとは思ったけれど、理由を教えてくれてよかった」
……それに。
私は立ち上がり、テーブルを迂回してエドウィンの正面に立った。ぽかんとした顔の彼が、私を見上げている。いつもは私が彼を見上げているので、こういう形で彼に見上げられるというのはなんだか新鮮だ。
……隣に座りたいな、と思って立ったんだけど、彼が座っているのは一人掛けソファなのでさすがに無理がありそうだった。立って気づいた。
でも今になってすごすごと自分のソファに戻るのは格好悪いし――あ、そうだ。
同じ部屋にいるのは私の前世のことを知っているキティだけだし、いいだろう。
「失礼しまーす」
「えっ、カトレア様!?」
私はよいしょ、とスカートの裾を持ち上げ、エドウィンの膝の上に正面から座った。ソファは二人分の尻を乗せるほどの幅はないけれど、脚だけなら十分入った。
勝手に乗っておきながら彼の太ももに負担を掛けるのははばかられたので、正座を少し崩したような形で彼と向き合って座り、ぎょっと目を瞠った彼の頬を両手でそっと包み込んだ。
「あなたはあなたのままでいいのよ。そりゃあ確かに、過去の私はジルベール様のような人がタイプだったけど……今の私は、あなたに恋している」
「カトレア、さま……」
揺れる彼の目を覗き込むと、薄い灰色の鏡面に私の顔が映り込んでいるのが分かった。
左手で彼の髪を撫でる。風呂上がりのため結っていない彼の栗色の髪は私の巻き毛より硬質で、ほぼ直毛なのでさらさらしていた。
「私のために頑張ってくれて、ありがとう。でも、今のあなたでも十分素敵よ」
「っ……こんながさつで、ガキっぽい俺なのに?」
「こんな、なんて言わないで。『カトレア』は――私は、そんなあなたのことが好きだから結婚したのよ」
平民出身で、ジルベール様やアルジャーノン、他の貴公子たちと比べると教養や礼法に劣っているというのは、彼にとってのコンプレックスだろう。私と結婚するために必死で勉強したけれど、王侯貴族として二十年近く生きてきた人と数年の付け焼き刃で乗り切ったエドウィンとでは、どうしても差が出る。
……うん、だからどうした?
「カトレア」が恋したのは、そんなエドウィン。そして私が改めて好きになったのも、努力家で、明るくて、私をいつも想ってくれるエドウィンなんだから。
「あなたはとっても素敵。私の自慢の旦那様なのよ、エディ」
そう囁いて、身を屈める。
それまで彼の左頬を撫でていた右手を彼の顎に宛い、少し上向かせた。そして、驚きを示すように少し開いた唇にキスをする。
舌を絡ませることも音を立てることもしない、触れるだけのストイックなキス。
さっき飲んでいたからか、彼の唇は紅茶の香りがした。
顔を離すと、限界まで見開かれた双眸が。
してやった、とばかりに微笑んでやると、エドウィンはくしゃっと顔を歪め、いきなりぎゅうぎゅうと私を抱きしめてきた。
「っ……ほんっとうに! あなたは、どうして! こんなに俺を振り回すんですかッ!」
「私だってたまには、あなたへの想いを口にしたくなるもの。……ねえ、エディ。私の気持ち、伝わった?」
「伝わりました! すっげぇ伝わりまくりました!」
あーもう! とエドウィンは裏返った声を上げた後、熱っぽく潤んだ目で私を見上げてきた。
それは、ご主人様に褒められて喜ぶ子犬のように見えるけれど――同時に、いいおもちゃを見つけてほくそ笑む獰猛な犬のような眼差しのようにも感じられ、背中がぞくっと甘く痺れた。
「……カトレア様」
「……はい」
「……夜、俺からお返ししますんで。覚悟していてください」
さっきまでは私がぐいぐい攻めていたのだけれど、一気に形勢逆転。
彼は私の腕を引っ張り、右の耳元でしっとりと囁いてきた。
その声色と眼差しで――私はこの夜、何かが大きく変わることを予期したのだった。




