42 フリージアの花②
女王陛下は私をソファに座らせ、使用人にお茶の仕度を命じた。
「サイネリアから聞きました。エドウィンと仲よくやっているようで、何よりです」
「……はい。その、結婚してからますますエドウィンのことを好きになったと申しますか……結婚前では分からなかった面を見られたりして、毎日が楽しいと感じられています」
やたらめったら言葉を飾らず素直な気持ちを述べると、向かいに座る女王陛下は柔らかく目を細め、そしてふっと小さく笑った。
「……実はですね。わたくし、先日サイネリアが主催した夜会に一般参加者に紛れておりました」
……ああー、そういえばサイネリアがそんなことを言っていたっけ。変装して紛れているとかなんとか。あれ、本当だったんだ。
「そのとき、少し離れた場所からではありますが、あなたたちの様子も見ておりました。……今だから言えますが、結婚直後のあなたはあまり幸せそうには見えなかったもので、警戒していたのです」
うわぁ、女王陛下にもバレていた。私、ポーカーフェイスが苦手なんだな……。
紅茶のカップを持ったまま制止してしまったけれど、陛下はそんな私の行動には突っ込まず、「わたくしは」と言葉を続ける。
「あなたの一番のつとめは、一人でも多くの女王家の子を産むことである、と言いましたね? その気持ちは変わりませんし、なんなら相手がエドウィンでなくてもいいと思っています。もしあなたがエドウィンとの結婚に不満があるのならば、ジルベールあたりでも宛てがえばよいと考えていました」
「……」
「でも、その心配は不要だったようですね」
女王陛下は目を細め、複雑な表情をしているだろう私をじっと見つめてくる。
真剣なときのアルジャーノンとよく似たその眼差しは、私の心の奥深くまでを見透かしてくるかのようだ。
「わたくしは、エルフリーデ王家――そしてこの歴史も深きエルフリーデ王国をまとめる者。必要とあらば、我が子であろうと姪であろうと遠慮なく『駒』にします。……もちろん、腹を痛めて産んだ子たちも、お姉様の忘れ形見であるあなたも、大切にしたい。でも、それだけでは王家の使命を全うすることができません。だから、できるならあなたたちの意思を尊重したい。母として、叔母として褒められたものでない手段は採りたくなかったのです。だから……あなたたちがよい夫婦関係を築けていると知り、安心しました」
女王陛下の口調は穏やかだけれど、そこに含まれた信念は確固としていて、揺るぎない。
女王家の子どもたちは、陛下の一番の手先で、優秀な「駒」であらねばならない。次期女王であるサイネリアはまだしも、王位を継げない王子であるジルベール様やアルジャーノンは子どもの頃からそう教わってきただろうし、十六歳で王族の仲間入りをした私だって、教師陣から耳にタコができるほど言い聞かされてきた。
「シークレット・プリンセス」の本編ストーリーでは、ヒロインが女王家の制度に疑問を抱くシーンがあった。でも、代々受け継がれてきたものを守ってこそ、エルフリーデ王国の今の平和があるのだから、王族となった以上使命を受け入れなければならない――迷いつつ、ヒロインは心に刻む。
ちなみにここで、どのルートを選んだかによって攻略対象に励まされたり、叱られたり、一緒に悩んだりする。ジルベール様の場合は悩むヒロインに寄り添うし、アルジャーノンの場合は明るく励ましてくれる。
「カトレア」の場合、実質エドウィンルートを選んだことになるから、「お辛いっすよね。でも、俺が側にいてあなたをずっとお守りしますから!」と護衛だったエドウィンが言ってくれたんだ。過去の私は、そこできゅんっとなったんだっけ……懐かしいなぁ。
しばらくの間女王陛下は黙って紅茶を飲んでいた。やがて隣にいた侍女に「あれを、ここに」と指示を出すと、彼女は一礼して部屋を出て行った。指示語だけでよく内容が分かったなあ。
間もなく戻ってきた侍女は、布に包まれたものを両手に持っていた。テーブルに置かれたそれを、私はしげしげと見つめてみる。中身は箱形で、サイズは――ティッシュ箱くらいかな?
「わたくしも迷ったのですが、いつまでもしまっておくわけにはいきませんからね」
そう穏やかな口調で言いながら、女王陛下は手ずからその布を外していく。手伝おうとしたけれど、「あなたはそこで見ていなさい」と言われたので大人しく引っ込み、女王陛下が布を全部外し、中から出てきた木製の小箱の蓋を開けるまで見守ることにした。
桐のような薄い色の木で作られた箱の蓋を開けると、ベルベットの台座があった。そこに鎮座しているのは――見事な銀細工の髪飾りだった。
髪飾りの装飾部分は、六枚の花弁を持つ花がモチーフになっていているようだ。銀の台座に繊細な花の細工、単子葉類らしいしゅんっとした葉っぱが模されていて、小さな宝石の欠片が花の雄しべや葉に滴る雨露を演出している。
髪飾りの大きさは私の人差し指程度と小さめだけれど、細部にまでこだわって作られたことが分かる見事な逸品だ。絢爛豪華ではないけれど、慎ましくて品のある、とても素敵な装飾品だと思った。
「素敵……こちら、女王陛下のものですか?」
「……わたくしが職人に命じて作らせたものですが、わたくしのものではありません」
そう語る女王陛下の口元に寂しそうな色が浮かんでいるのに気づき、美しい髪飾りに心を奪われていた私は気持ちを引き締める。
……まさか、とは思うけれど。
この、六枚の花びらを持つ花。ひょっとしてこれは――
「……これは、お姉様の誕生日に贈ろうとしていたものです。この花は、フリージア――お姉様の花です」
女王陛下の言葉に、やっぱりそうだったか、と私は箱の中の髪飾りに視線を落とす。
この髪飾りのモデルになっているのは、フリージア――私の母の花だ。女王陛下は二十数年前、私の母の誕生日に向けてこの髪飾りを準備していたけれど、それは叶わなくなってしまった。誕生日を迎えるよりも前に、母は父と駆け落ちしてしまったのだろう。
母に髪飾りを贈ることのできないまま年月が流れ、母は死んだ。とうとう髪飾りは、その花の名を冠する母の手元に渡ることは一生叶わなくなってしまい、女王陛下は髪飾りをどうすることもできないままずっと手元に置いていたんだろう。
陛下は微笑み、箱を手にして私に差し出してきた。
「これを、あなたに」
「そ、それは……」
そうなるかも、とはなんとなく思っていたけれど、いざ差し出されると気が引けてしまう。
だって、これは女王陛下が母のために作らせたものだし、私はフリージアって名前じゃないし――
女王陛下は緩く首を横に振り、引っ込めていた私の片手をむんずと掴んで半ば無理矢理箱を握らせてきた。こういうところ、本当にサイネリアのお母様だって感じがする。
「きっとあなたが受け取ってくれた方が、この髪飾りも報われるでしょう。……それに、あなたに託すことでわたくしも救われた気分になります。どうかわたくしの我が儘だと思って、受け取りなさい」
「……」
私はガッチリと女王陛下にホールドされていた手をそっと開き、改めて髪飾りを見つめる。
二十数年前、女王陛下が私の母に贈ろうと考えていた髪飾り。
もし、母が城を出るのがもう少し遅ければ。この髪飾りが母に贈られていたら。未来は、違ったものになったのかもしれない。
母は駆け落ちを諦め、城に留まっていたかもしれない。そのまま女王になるか叔母様に継承権が移るかは分からないけれど、どちらにしろそうなっていたら私は生まれなかったはずだ。
それなら――「そのような未来にはならなかった」という証として、私がこれを受け取るのがいいのかもしれないとも思われてきた。フリージアは匂いがきつくないから、私も結構好きな花だったし。
「……かしこまりました。ありがたく拝領いたします」
「こちらこそ、ありがとう。……カトレア」
「はい、陛下」
「どうか、エドウィンと仲よくね。あなたたちならうまく行くと思っています」
座り直してそう言う女王陛下は、いつもより――失礼だけれど、少し老けて見えた。
でも、ひょっとしたらそれが女王陛下の本当の「顔」なのかもしれない。
「姪孫の姿を見たいというのはもちろんですが、恋愛結婚したあなたたちが末永く幸せでいなければ意味がありません。……二人で協力していきなさい、カトレア」




