38 おしどり夫婦作戦②
あまーい
先に私を座らせたエドウィンは給仕を呼び止め、ドリンクのメニューボードを手に私の隣に座った。
「何か飲みましょう。……カトレア様は普段、アルコールがあるものはあまり飲まれませんよね。今日もジュースにします?」
「そうですね、お願いします。エディはどうします?」
「これも仕事の一環なので、俺もアルコール抜きにします」
そう言い、エドウィンは私用に甘い果実のジュース、自分用に苦めのお茶――ビールみたいな味がするけど、私はあまり好きじゃない――を頼んだ。
すぐに私たちの飲み物が持ってこられたので、チン、とグラスを合わせて乾杯をする。ピンク色のジュースのグラス越しにエドウィンが情熱に満ちた目でこっちを見つめているのが分かって、少しだけ気恥ずかしくなった。
甘いジュースを啜りながら、私はエドウィンの姿をまじまじと見ていた。濃紺の軍服姿のエドウィンは、文句なしに格好いい。ジルベール様のような絵に描いたような王子様ではなく、騎士団長のようなナイスマッチョでもない。まだ年若いけれど体付きはしっかりしていて、軍服の詰め襟と顎の隙間から覗く首筋はがっしりしていて、男の人、って感じがする。あっ、お茶を飲むと喉仏が動いている――
どうやら彼は、私がろくにジュースも飲まずに自分を凝視していることに気づいたようだ。エドウィンはグラスを煽った姿勢のままちらと視線をこちらに寄越し、薄い唇の端を吊り上げて妖艶に笑った。
「……どうかしましたか? ひょっとして俺に惚れ直しました?」
「……。……ええ、そのようね」
思わず「何言ってるの!」みたいな感じで吐きそうになった言葉を飲み込み、代わりに囁いたのは、私の素直な気持ち。
惚れ直した、ってのはおかしいのかもしれないけれど、ジルベール様のようなスマートな王子様がタイプだった私がここまでエドウィンの姿に魅入ってしまうのだから――これは実質、惚れた、と言ってもいいのかもしれない。
グラスを持ったまま私がこてん、とエドウィンの肩にもたれかかると、「うおっ」と小さな声を上げつつ、エドウィンは空いている手で私を抱き寄せてくれた。細く見えるけれどさすが騎士、不意打ちでもたれかかったけれど胸筋はびくともしない。
「き、今日は素直ですね……」
「ええ、そんな気分なの」
「……ノンアルコールのはずですけど、酔っちゃいました?」
「そうかもね」
身のない返事だけど、ひょっとしたら本当に酔っているのかもしれない。場酔い、って言葉があるし、周りの人はお酒を飲んでいるからアルコールの匂いもしているし、うん、そういうこともある。
エドウィンはしばらくの間何かを考えていたようだけど、やがて私の手からグラスをそっと没収して自分のグラス共々テーブルに置き、ひょいっと私を抱えて自分の膝の上に横抱きにした。わあ、騎士の膝、すごい硬い。
「俺のお姫様は酔っても可愛いですね」
「あら、お上手なのね」
「そりゃあもちろん。愛するあなたのためならいくらでも愛の言葉を囁きますし、たくさん可愛がって、大切にして、べったべたに褒める言葉を贈りたいんですよ」
そう言うとエドウィンは「失礼します」と一言断り、私の胸元に顔を寄せてきた。
エドウィンの膝に座っている状態だから、さっきより視線が高い。おまけに横座り状態なので、こっちをガン見する貴族の皆様の顔もよく見えた。
カードゲームをしていた紳士も、下階を眺めていたご婦人も、さっき私に質問してきた伯爵夫人も、目をまん丸にしてこっちを凝視していた。「あら」とか「まあまあ、本当に……」という囁きが聞こえる。
エドウィンが積極的に行動し、それに対して私が全く嫌そうな顔をしないから、私たちの仲が冷えている説が疑わしくなってきたんだろう。
ふふっ、私たちの仲よしっぷりを見せつけよう作戦、大成功だ!
「エディ、さすがね。いい感じよ」
私の鎖骨辺りに顔を埋めてスリスリしているエドウィンにそう囁くと、彼ははっとして顔を上げた。なぜか、きょとんとしている。……あれ? どうしてそんな顔を?
「……いい感じ、とは?」
「えっ、あの、皆に見せつけよう作戦の話、したじゃない?」
「……あー、そういえばそんなこともありましたっけ。今の今まで忘れてました」
「はい?」
彼の顔を覗き込むと、エドウィンはぺろっと舌を出して茶目っ気たっぷりに微笑んだ。
「確かに、貴族の皆に見せつけることも必要でしょうが……俺、そういうのに関係なくあなたを可愛がりたいんです。さすがに衆目の前でぶっ飛んだことはできませんが、あなたを大切に愛でるってのは俺の中では常識なんです」
「あっ、そ、そうなの……」
「はい! ……あの、カトレア様」
彼はちらっと近くにいる貴族を横目で見、それまでの流暢に喋っていたのが嘘のようにまごまごしながら口を開く。
「えっと……ですね。やっぱりカトレア様のおっしゃるとおり、見せつけるのも大事だと思うんです。ですからね、あの、本当にフリでいいんで、隙間があっていいんで……あ、あなたにキスしても、いいですか?」
私にキスの許可を取るエドウィンの目は少しだけ赤く潤んでいて、唇をきゅっと引き結んだ様はいつもより幼く見える。
……そんな顔をされたら、否の返事なんてできるはずがない。
迷ったのはほんの一呼吸ほどの間のことで、私はこっくり頷くと少しだけ座る位置をずらし、エドウィンの首に腕を回した。ひくり、と彼の腕の筋肉が震えたのが分かる。
「……この位置なら、フリだとしてもばれないはず。私は目を瞑っているから、いい感じにどうぞ、エディ」
「……はい。失礼いたします」
ほんの少しエドウィンの声が裏返って瞳が揺れたけれど、私が目を閉じると私の背中に添えられていた彼の腕の力が強まり、ぐっ、という衣擦れの音でエドウィンが身を屈めてきたことを知る。
……お互い緊張しないように、と思って目を閉じたんだけど……失敗だったかも。
これ、すっごい緊張する! いつキスされるか分からないし、なんか、熱い吐息が鼻に掛かるし、ごくっ、とエドウィンが唾を呑み込む音さえ聞こえてくるし――
――少し離れたところから、きゃっ、というちょっと茶色くなりかけた黄色い声が聞こえてきた。そして私の顔のすぐ近くまで迫っていた気配が遠のいたことから「フリ」が終わったことを知り、目を開ける。
私と視線を合わせるエドウィンは、慈しむような優しい眼差しをしていた。それでいて――言いようのない寂しさが灰色の瞳に浮かんでいるのが、はっきり分かる。
でも一度彼が瞬きするとその色はさっとかき消え、いつものように人なつっこくて愛情に満ちた眼差しが私に注がれてくる。
「……愛しています、カトレア様」
私の右手を取って甲にキスをする様は、完璧な騎士だった。




