33 ふたりの朝②
空が明るみ始めた頃にベルを鳴らし、キティを呼ぶ。
「おはようございます、カトレア様」
「おはよう、キティ。エディはまだ外にいるの?」
私が問うと、カーテンを開けていたキティは振り返った。驚いたように目を見開いていた彼女はやがて微笑み、窓の外を手で示す。
「つい先ほどまで。今は湯浴みをなさっている頃でしょう。……ふふ」
「どうしたの?」
「昨夜、エドウィン様とお話をされたのでしょう? 今朝のカトレア様はとても晴れやかな表情をなさってますよ」
「えっ……そんなに分かりやすい?」
指摘されたのでベッドサイドの引き出しにあった手鏡を覗き込んでみたけれど、そこに映るのはいつもと変わらない寝起きの顔だった。顔を上げると、くすくすと笑うキティが。
……ひょっとしてかまを掛けられた? でもまあ、いっか。
ドレスを着て髪もきれいに結う。そうしていると朝風呂を終えたらしいエドウィンが続き部屋に戻ってきたようで、挨拶する声や使用人たちが朝食の仕度を始める音が聞こえてきた。
「……あら」
「何かあった?」
ヘアピンを使って後れ毛を留めてもらっているときに後ろから声がしたのでキティに問うと、ふふっと笑う声がした。
「エドウィン様ったら、こんなところに付けて……仕方ありませんね。今日はスカーフを巻きましょうか」
「……何の話?」
問うと、キティは大きめの鏡と小さめのスタンド式の鏡を持ってきて、私の首の後ろが見えるようにしてくれた……って!
「こ、この赤い痣ってまさか――」
「ええ、エドウィン様のキスの痕ですね。情熱的なことです」
キティは笑っているけれど……こ、これが噂に聞くキスマークか! 職場の同僚が「昨夜、彼があちこちに付けてきて隠すのが大変だったのよー」と嬉しそうに愚痴っているのを聞いたことがあるけれど、まさか、私もそんな思いをするようになるとは!
そしてこのキスマークっての、思っていたよりも生々しいっていうか、ぱっと見ただけだと皮膚の病気っぽい? 一つだからまだいいけど、これが何十個もあったらウッとなるだろうな……。
さすがにこれをさらして城内を歩く気にはなれないので、キティの提案通りスカーフを巻いて隠すことにした。その状態で居間に向かうと、既に椅子に座っていたエドウィンは私を見、スカーフを見、残念そうに目尻を垂らした。
「……おはようございます。せっかくきれいな形に付いたのに、隠してしまうのですね」
「あ、当たり前でしょう! あと、いつの間に付けてたの!?」
「今朝ですね。寒そうに毛布に潜り込むあなたを見ていたら愛おしさが増してきて、白い肌がきれいだなぁ、俺の奥さんだっていう印を付けたいなぁ、って思ってついつい付けてしまいました。……お嫌でしたか?」
最初はしれっと笑顔で言っていたけれど、私が顔をしかめているからかエドウィンはだんだん尻すぼみになりながら尋ねてくる。
だから! その捨てられた犬のような目線、卑怯だって!
これを分かっていてやってるならなんとも酷い男だけど、多分エドウィンは分かっていない。悪気なくキスマークを付けて、私が怒っていると思ったから正直に落ち込んでいる。
そうされると、ちょっと焦っていた私も一気に落ち着いてきた。
「……別に、嫌ってわけじゃないわ。でも、日によってはえりぐりの深いドレスを着たりサイネリア様と一緒に着替えるためによそで服を脱いだりもするから、せめて付ける前に一言言ってほしいの」
「分かりました。それじゃ、次からはちゃんとあなたの許可を取ってから痕を残しますね」
エドウィンは私が怒っていないと分かったためか幾分気分をよくし、きりっとして言った。
それはそれでいいんだけど……えっ? つまり次回からは、「痕を付けてもいいですか?」「ここにキスしていいですか?」っていちいち聞いてくるってこと? というか真面目なエドウィンのことだから、あれやこれやするときになっても一つ一つ許可を求めてくるの? それ、下手したら言葉責めドSキャラにならない? それは君じゃなくてあの腹黒宰相の分野だよ?
ひとまず席に着き、朝食を摂ることにする――んだけど。
「俺がお注ぎしますよ」
「え? いいよ、これくらい自分で――」
「俺がしたいんです。さ、どうぞ」
今日はやけにエドウィンが私の世話を焼きたがっている。
いつもなら給仕がするか自分ですることなのに、お茶を注いだり、サラダを取り分けたり、スプーンでジャムを掬ったりと、せっせと私の食事の手伝いをしている。
それがぎこちなかったり却って時間が掛かったりしていれば私もやんわりと止めたんだけど、エドウィンはもともと手先が器用なのか私の世話も難なくこなし、同時に自分もちゃんと料理を食べている。何より、私の世話を焼くエドウィンがものすごく嬉しそうな顔でにこにこしているもんだから、注意する気も失せてしまった。
「……エディ、なんだかいつもと違う?」
「俺はいつも通りですよ? まあ、あえて言うなら……あなたに対していろいろ遠慮しなくてもよくなった、というのはあるかもしれませんね」
そう言いながらもエドウィンは私のカップにお茶を注いでくれる。ちょうど空になったな、と思ったタイミングでさっとポットを手にしている辺り、すごい観察力だと思う。
「……そ、そう。でも、無理はしなくていいからね」
「分かりました。無理のない範囲でお世話させてもらいます」
「……あー、うん。よろしく」
食事を終えると、デザートのヨーグルトムースが出てきた。
「あっ、これ好きなの!」
「そうなんですね。俺のも食べます?」
「それは悪いからいいよ。それに、一個だからこそ大切に味わって食べようって気になれるもの」
「それもそうですね。……あの、カトレア様」
不意にエドウィンの声が緊張を孕んだので、ぷるんとしたムースから向かいの席への夫へと視線を移動させた。
彼はこほんと咳払いし、「……なんというか」ともごもご話し始める。
「……随分口調が砕けられたなぁ、と思いまして」
「……。……あ、そ、そんなにおかしかった?」
確かに、これまではごく限られた場面でしか呼ばなかった彼の愛称を連呼しているし、口調がかなり砕けている。昨夜、前世の記憶持ちであることをエドウィンに認めてもらってから、気が緩んでしまっていたみたいだ。
でもエドウィンは首を横に振った。
「いえ、そうじゃないんです。あなたにエディと呼ばれるのは好きですし、あなたがお心のまま気楽な喋り方をなさっているのはいいことだと思います。俺だってカトレア様の前ではこんな感じですけど、出仕したら一応ちゃんとした態度を取りますし。カトレア様だってそうでしょう?」
……確かに、「れな」の記憶を取り戻してからというのの、たまに口調が崩れることはあるけれど公の場では正しい言葉遣いをしている。それはエドウィンも同じで、私と結婚するために厳しい教育を受けた彼は、女王陛下たちの前では完璧な言葉遣いができるようになっていた。
エドウィンは私の表情を見て頷き、薄い唇の端を下げて笑った。
「俺たち、同じですね。それに、一般市民としてお暮らしだったという『れな』さんからすれば、四六時中かしこまった口調でいるのはお辛いでしょう。俺の前くらいでは、もっともっと楽してくださいよ」
「……確かにそうだけど、いいの?」
「もちろんです! 皆の前では頑張って背筋を伸ばしているあなたが、俺の前だけでは肩の力を抜いて喋ってくれるのって、すげぇ嬉しいんです!」
屈託なく笑うエドウィンは、本当に優しいし気が利く。私が前世持ちで好みの男性のタイプが異なることを受け入れただけでなく、「れな」という過去も尊重してまるっと認めてくれている。
……こんなに素敵な人の好意を踏みにじってジルベール様に色目を使っていた過去の自分が、本当に恨めしい。
「……ありがとう、エディ」
「愛するあなたのためですから」
そうして私たちは笑い合い、さっきからずっとふるふる震えながら出番を待っていたムースにスプーンを差し込んだ。




