24 裏切りの恋②
私は肩の力を抜きつつ、「カトレア」がエドウィンのことを好きになったきっかけを思い出す。
共通ルートのエドウィンイベント一つ目は、アルジャーノン付きだった彼が臨時でヒロイン付きの騎士の一人になったところから始まる。自分より一つ年下の新人騎士だというエドウィンと会えることを楽しみにしていたヒロインは、アルジャーノンに連れられてやって来たエドウィンの眼差しの鋭さと荒っぽさに驚く。普通の令嬢なら「こんな粗野な騎士は嫌!」と言うところだけど、十六年間平民として育ってきた主人公はむしろ、飾り気がなくて素直なエドウィンに関心を抱くようになる。
二つ目は、図書館に勉強に行くときにエドウィンがついてくるイベントだ。「俺のことが怖くないんすか」と問われて「むしろ好ましいと思っている」の選択肢を選べば、照れて微笑むエドウィンのスチルが見られる。
三つ目では、ヒロインがエドウィンの訓練風景の見学に行く。ヒロインは訓練中のエドウィンの猛々しさと眼差しの強さに、彼が無邪気な少年ではなく「男」であると気づく。
四つ目はエドウィン推しの中では人気の高いイベントで、エドウィンが布で作った薔薇の花をヒロインにプレゼントする。「俺にはこれくらいしかできませんが」と申し訳なさそうな顔をするエドウィンに対し、「私にとってはかけがえのない贈り物だよ」の選択肢を選べば、彼の赤面したスチルが見られる。
それ以降のエドウィンルートでは、想いを自覚し合った二人が身分差の壁にぶつかり、周りの猛反対に遭って女王陛下が一度はエドウィンを始末しようとし、それでもと言うのなら――とエドウィンが女王陛下の試練を受ける。愛の力で試練を乗り越えた二人は女王陛下に認められ、ハッピーエンド――となる。
ちなみに各キャラごとにバッドエンドも存在し、エドウィンルートの場合は彼が試練をクリアできず二人で駆け落ちをしてしまうが、途中で捕まってエドウィンは身分剥奪の上で追放されてしまう。彼のことを想いながらヒロインは今日も、窓辺で四角い空を見つめる――という誰も幸せになれないエンディングなので、私は攻略掲示板でざっと台詞集を見ただけで自分ではプレイしていない。
「カトレア」は合計十のエドウィンイベントで全て正解の選択肢を選び、彼の好感度をマックスまで上げていた。「カトレア」は――かつての私は、天真爛漫で子犬のように慕ってくれるエドウィンの明るさと、そんな彼が戦闘中や女王陛下の試練のときには真剣な眼差しをしているギャップに惚れたようなものだ。
「……そうですね。でもエドウィンは――夫は、優しいだけの人ではありません。彼のちょっと粗野なところも、口が悪いところも、戦闘のときには勇ましくなるところも……全部ひっくるめて好きです」
私ではなくて、「カトレアは」だけれど。
ジルベール様は私の回答に満足したようで、「それは何よりだ」と言った後、ふと真顔になった。
「しかし……私より年若いカトレアは結婚しているし、サイネリアも近いうちに婚約者を選ぶそうだ。アルジャーノンはまだ若いからいいにしても、私もそろそろ身を固めるべきだろうかな……」
「えっ……」
あまりにも不意打ちの話題で、つい沈んだ声を上げてしまう。
ジルベール様が……結婚?
確かに、ジルベール様は今年で二十三歳。王族男子としては、そろそろ結婚してもおかしくない年だ。従妹である私は、彼が結婚に前向きになっていることを聞いたなら応援するべきだろう。
するべきだとは、分かっているのに――
ずきん、と胸が痛んだ。
それは、恋の苦しみとか、そんな可愛らしいものじゃない。
これは、裏切りの証だ。
私は既婚者なのに、エドウィンという私を一番に愛してくれる人がいるのに、他の男を想っているという証の痛みだ。
思わず胸元をぎゅっと掴むと、ジルベール様は心配そうに私を見つめてきた。
「カトレア、まだ調子が悪いのかな?」
「い、いえ。そういうわけじゃありません。ただ……ジルベール様がご結婚を考えられていると伺って、ちょっとびっくりしてしまって」
「ええっ、そんなに意外かな? 私だって結婚願望はあるんだよ? 幸せそうな新婚生活を送る従妹殿を見ているとよりいっそう、憧れてしまうんだ」
ジルベール様はおどけたように言うけれど、その優しい言葉は私の胸をグサグサ突き刺してくるだけだった。
ジルベール様が結婚する。
彼の隣に、私――ヒロインではない別の女性が立つ。
私は同担拒否ではなかったけれど、「最推しがモブキャラとくっつく」みたいになるとモヤっとする。ここはゲームの世界じゃないけれど、「公式と解釈違いした!」となりそうだし、ジルベール推し同担拒否の人だったら発狂するんじゃなかろうか。
エドウィンを裏切ってはならない、と決めている。
決めているのに――胸がむかむかして、うまく言葉が続けられなくなる。
いや、ここで狼狽していたら怪しまれる。今ここにいるのはジルベール様だけじゃなく、少し離れた場所に護衛の騎士がいる。疑われるような行為は避けなければならない。
「……そ、うですか。ジルベール様ならきっと、素敵な方と結婚ができます……」
「……カトレア? やはり、顔色がよくない」
そう言ってジルベール様が私の顔を覗き込んできて――あ、まずい。
目の前に、画面越しのスチルとは段違いの美しいかんばせがある。推しが生きている。
目の前で呼吸をしていて、心配そうに目尻を垂らして私を見ていて――
触れたい。
もっと声が聞きたい。
ゲームのイベントボイスのように、「愛している」と言ってほしい。
でも、私の理性が、「エドウィンがいるでしょう!」と叫んでいる。
顔が、熱い。
それなのに、体中は凍えるように冷たい。
最推しと結婚できると思って転生したのに、せっかく転生先で出会えた最推しは別の女性と結婚する。私は既婚者だから、どう足掻いても彼と結婚することはできない。
だったらせめて、ジルベール様が一生独身でいれば――なんて歪んだ考えさえ湧き出てしまい、自分の醜さでますます胸が苦しくなる。
目の前にいるジルベール様はゲームの登場人物じゃなくて、生きた人間だというのに。私が彼の人生を縛る権利なんてどこにもないのに!
私は熱いやら冷たいやら分からない体をもてあまし、なんとかジルベール様から視線を逸らす。失礼な行為だろうけど、これだけで精一杯だった。
「……ちょっと、疲れが出たのかもしれません」
「……。……そうか。それなら、ここじゃなくて室内の空き部屋を借りてそこで休憩しよう」
「あ、ありがとうございます。でも、サイネリア様が……」
「そうだね。サイネリアは心配するだろう。だから君が体調を崩したというのは事後報告して、今サイネリアには公務に集中してもらおう」
ね? と私を安心させるために笑顔で首を傾げたのだろうけれど、逆効果だ。もう私の頭の中はグチャグチャで、自分がうまく笑えているのかもよく分からない。
そうして私はジルベール様の言葉に甘え、庭園から空き部屋に移動してベッドを借り、サイネリアの視察が終わるまで休ませてもらうことになった。
本当に……情けない。
サイネリアの公務の補助として同行したのにこの様だ。おまけにジルベール様の結婚の話で動揺しまくり、挙動不審になって――
私、どんな顔でエドウィンに会えばいいんだろう……?
サイネリアの視察が終わるまで、二時間ほど掛かった。
最初の一時間ほどはベッドで寝て、後半は精神安定効果のあるというお茶を飲みながらサイネリアやジルベール様が戻ってくるのを待っていた。
待っていたのだけれど――
「カトレア様!」
ばんっ! とドアを叩き開けてやって来たのは、サイネリアでもジルベール様でもなく、エドウィンだった。
いつもはぱりっとしている騎士団の制服は上着のボタンが全部外れていて、髪もあちこち撥ねている。馬を駆ってここまで飛んできたのが一目瞭然だった。
……あれ? どうしてエドウィンがここに?
「仲間から、あなたが体調を崩したと伺いました。大丈夫なんですか!?」
「エドウィン……心配させてごめんなさい。ゆっくり休んだから、今はだいぶよくなりました」
つかつかと歩み寄ってきたエドウィンからは、外の匂いがした。彼は手に持っていたくしゃくしゃの軍帽をテーブルに置き、ソファに座る私の前に跪く。
灰色の目はわずかに潤んでいるようで、私の手をそっと握った彼の黒手袋は手綱を握った際に付いたらしい砂でざらざらしている。
「本当ですか!? でも、やっぱり顔色がよくありません。……すみません、あなたの体調不良に気づけない、ふがいない夫で」
「何を言っているの! これは、あなたとは関係ないわ」
エドウィンを元気づけようという思いでそう言ったのだけれど、発言してから「あ、これはちょっとまずかったかも」と気づく。受け止めようによっては、「あなたは関係ないから首を突っ込むな」という拒絶に取られるかもしれない。
案の定、それまで心配そうにしていたエドウィンの顔から一瞬、表情が抜け落ちた。でも彼は聡く私の意図を汲んでくれたようで、すぐに「そんなことないです」と首を横に振る。
「俺は、あなたが毎日を快く過ごせるようお助けする役目も担っているんです。ですから……関係ない、なんておっしゃらないでください」
「エドウィン……」
ぎゅうぎゅうと握られた手が、ちょっと痛い。それに気づいたらしい彼はあっと声を上げて私の手を一旦解放し、ついでに今になって自分の服装の乱れっぷりに意識が向いたようで、両手を見たり腕を上げて服の裾を見たりして目を剥く。
「す、すみません! お体の優れないあなたのもとに、こんな格好で――すぐに着替えて参ります!」
「待って! このままでいいから、行かないで、エディ」
私が愛称で呼ぶと、今にも別室にすっ飛んでいきそうな勢いだった彼はドアの前でぎぎっと踏みとどまり、不安を前面に押し出した表情でこっちを見てきた。
本当に、彼は表情豊かだ。そんな彼にとって――王城で姫の婿として暮らす生活は、やっぱり息苦しいはずだ。
私は、彼をこれ以上苦しめたくはない。
ゆっくり手招きすると、エドウィンは少し迷ったけれど大人しく従ってくれた。そのまま隣に座るように指示し、おずおず腰を下ろした彼の肩にゆっくりと身を預ける。
「カトレア様! 汚れますよ!?」
慌てたように肩が跳ね、焦った声がするけれど無視。
「カトレア」は、こうして彼の肩に身を預けるのが好きだった。華奢に見えるけれどしっかり筋肉の付いた彼の体はがっしりしていて、温かくて、頼りがいがあった。
記憶を取り戻し、最推しの存在を思い出してからはずっとできなかった、ちょっとしたスキンシップ。
最初は慌てていた彼もすぐに落ち着き、やがて躊躇いがちに私の肩に腕を回してきた。
「……お嫌じゃないんですか」
「まさか。どうしてそんなことを?」
ゆったりとした口調で問い返すと、彼は黙った。ちらっと横顔を窺うと――彼は今までにないくらい真剣な眼差しで、テーブルの上にへたっと伸びる自分の軍帽を見つめていた。
彼はかなり長い間、沈黙していた。
だんだんと嫌な予感が湧いてくるけれど私はあえて自分から答えを求めたり話題を変えたりせず、彼の発言を待った。
「……少し、お伺いしたいことがあります。今晩、あなたの時間を少しもらえませんか」
緊張と、諦めと、迷い。
いろいろな感情がない交ぜになったようなエドウィンの言葉は、私の胸を真正面から抉ってきた。




