17 とんでもない贈り物①
気持ちのいい朝だ。
でも、私は相変わらず朝に弱い。
「おはようございます、カトレア様。もう朝ですよ」
近くで誰かが声を掛けてくる。
うるさいなぁ、まだ私はおねむなんだ。
私は目覚めを促す声から逃れるように、毛布に頭からすっ込んだ。
「……かくれんぼですか? 俺、そういうのも得意なんですぐ捕まえちゃいますよ?」
「……まだねたい」
「お気持ちはやまやまなんですが、今日も予定がありますんで。ほら、起きてください。……俺のお姫様?」
「んっ……」
私を守る砦になってくれていた毛布が半分以上引き下ろされ、首筋に柔らかいものが触れてきた。
そのままちゅ、ちゅ、と小さな音を立てながら私の肌に吸い付く、これは――
「……うぁっ!?」
「ああ、おはようございます」
飛び起きたからか、私の心臓はバクバクだ。そんな私とは対照的に、体を起こしてベッドにあぐらを掻いて座っていた彼はニッと笑い、ぽかんとする私の唇の端に触れるだけの柔いキスをしてきた。
「体調はどうですか? 足とか肩とか、痛くないですか?」
「……なんの、こと?」
寝起きすぐの私は最初、彼――エドウィンの言葉の意味がよく分からなくて頭をぐるぐるさせていたけれど、やがて思い出した。
そういえば昨夜、寝る前に彼がマッサージをしてくれたんだ。「絶対に不埒な真似はしないので、下着姿になってください」と言うので、彼を信頼しつつも緊張しながらナイトドレスを脱いでベッドにうつぶせになったのだけれど、彼のマッサージは超快適だった。
彼の大きな手のひらは私の太ももの凝った部分を的確に探り当ててしっかり揉みほぐし、痛くない程度に肩を揉み、親指で指圧しながら背中のツボを刺激してくれた。施術されているとだんだん体から力が抜けてきて、「そのまま寝ていいですよ。おやすみなさい、カトレア様」という言葉に甘えて寝落ちしたんだ。
私が寝た後に服を着せてくれたみたいだし、体は軽い。寝起きがいつもよりはまだマシなのも、マッサージで体の疲れを取ってもらえたからなのかもしれない。
「その、ありがとう、エディ。すごく気持ちよかったし、ぐっすり寝られたわ」
「それはよかったです! 俺のマッサージ、仲間にも好評だったんですよ!」
「……もしかして仲間相手にマッサージするときも服を脱がせるの?」
「え? いや、まさか。男は上がシャツ一枚で下もズボンだからそのままでもできます。あなたの場合、繊細な生地のナイトドレス越しだとうまくできないし破いてしまいそうだから脱いでもらっただけです。……あ、女性にするのはカトレア様だけですからね! 本当に!」
「ええ、分かっているわ」
見た目はちょっと怖くて言葉遣いも荒い彼だけど、女性への扱いは丁寧だし誠実な人だ。彼曰く、私と知り合うまでは女性とろくに話したこともないし、仕事以外で触れたこともないそうだ。彼がマッサージと称してその辺の女性を引っかける――なんてことは、露ほども疑っていない。
私の気持ちが伝わったのかエドウィンは安心したように肩の力を抜いて、ちょっと寝癖のついた前髪を掻いた。
「そ、そうですか。まあ、何にしてもあなたに喜んでいただけたのならそれが一番です。……今日も挨拶回りとかがありますよね? 仕度をしましょうか」
そう言ってエドウィンはベルを鳴らし、キティを呼んだ。キティが来ると彼はベッドから降り、「それじゃ、今日は一緒に朝食を摂りましょうね」と言って去っていった。今日は朝の鍛錬をやめにして、私と一緒に食事ができるように――私の目覚めを待てるようにしてくれたんだな。
キティは何も言わずお辞儀をしてエドウィンを見送っていたけれど、彼がいなくなると私を見、ふふっと笑った。
「……どうしたの、キティ?」
「いえ……。今朝のカトレア様は、とても柔らかな表情をなさっていますね」
「え、そう?」
キティの指摘を受けて自分の頬にぺたぺたと手を当ててみたけれど、表情の変化なんてよく分からない。しいて言えば……マッサージをしてくれたから、ちょっと顔の肌の艶がよくなっているように感じるくらいかな?
キティは頷き、私をドレッサーの前まで導いてブラシを手に取った。
「今朝はエドウィン様も、カトレア様のお目覚めまで待たれたようですね。やはり、愛する旦那様と一緒に朝を迎えられるのは喜ばしいことです」
「……そう、だね」
キティに髪をとかれつつ……ふと、思った。
この離宮にも複数の使用人がいて掃除などが分担がされているけれど、私たちの寝室に入れるのはキティだけだ。掃除はもちろん、ベッドメイキングや花の手入れなども彼女に一任している。
つまりキティは、ベッドのシーツも寝起きの私たちもきれいなまま――私がまだエドウィンに抱かれていないことも知っているはずだ。
それを、彼女はどう思っているんだろう?
キティとは四年間の付き合いで、最初の頃はお互いぎこちない感じだったけど今では肩の力を抜いて話したり、ときには雑談したり私生活の悩みを相談し合ったりする仲になっていて、サイネリアとはまた違う関係を築けていると思っている。
「カトレア」はよく、エドウィンのことをキティに相談していた。最近彼のことが気になっている。言葉遣いは粗野だけど、とても優しい人だと思う。彼のことをもっと知りたいと思う。どうすればいいのだろうか――などなど。
そんなキティなら、私が質問してもはぐらかしたり感情のこもっていない優等生的回答をしたりせず、彼女の素直な気持ちで答えてくれるはず。
「……その。キティは気づいているよね? 私たちが、まだ――」
「ええ、もちろんでございます」
皆までは言わせない、という意志でもあるのか、すぐにキティははっきり答えた。
彼女は、私の髪に整髪剤代わりのクリームを塗りながら続ける。
「しかし、決して口外はいたしません。夫婦の事情に他人が突っ込むのは野暮ですからね。女王陛下は早めの出産をご希望のようですが、急いだからよい結果になるとは限りませんもの。お二人でゆっくり話し合ってから事を進めても、決して遅くはないでしょう。とはいえ……」
「うん……?」
「カトレア様はまだご覧になっていないでしょうが……サイネリア様からの贈り物、確認しました。なかなか高級そうなお薬でした」
「おくすり?」
そういえば昨日、サイネリアがそんなことを言っていたな。「サイネリア」から「カトレア」に贈ったものだって。
でも、サイネリアから薬をもらう謂われはない。だいたい彼女は医者でも薬師でもないというのに、どうして薬を――
私の疑問を感じ取ったらしいキティは「失礼します」と断って一旦私の背後から離れ、すぐに小さな箱を手にして戻ってきた。
「こちらがサイネリア様からの贈り物です。昨日の夜に離宮に届きました」
「見せてちょうだい」
箱を受け取り、まずはパッケージをしげしげと観察してみる。
直方体の箱で、赤地に金色のドット模様が可愛らしい。くるりとリボンが巻かれていて、「親愛なるカトレアへ」とサイネリアの字で書かれたカードが挟まっている。中身は瓶なのか、見た目の割に重くて液体が入っている感覚がある。
キティが髪のセットしてくれている間に、箱を開けた。中に入っていたのは、フレグランスのような瓶だった。試しに蓋を開けてみると、ふわっと甘い香りが漂ってくる。
「あ、可愛い。美容液かな?」
「はい、見た目はどこにでもある化粧品ですね」
「……これ、薬なの?」
「そちらのカードを」
キティに促され、箱に入っていた取説っぽいカードを取り出す。そこには――
「……『シャイな旦那様がケモノに変わる! 溢れ出る色香で、ロマンチックな夜を』……これって?」
「まあ、いわゆる媚薬の一種ですね」
「びゃっ!?」
驚きのあまり、カトレア選手、奇声を上げてしまいました。
媚薬って……媚薬って……な、なんてものを寄越してくれたの、サイネリア!?
「こ、これを使えって……そういうこと……?」
「でしょうね。ああ、ちなみにそちらのタイプは体に塗布しても直接飲んでも効果があるようです。香りがよく、甘くておいしいので貴族の奥方の間では密かに流行っているのですよ」
「う、うぇ……」
よどみなく媚薬の説明をするキティが怖い。確か、私とほとんど年が変わらなかったと思うんだけど、どうして真顔で流暢に喋れるのか……。
そりゃあ私だって、「カトレア姫」になるにあたっていろんな勉強をした。王族女性の責務は子を産むことだってことも理解しているから、そういう教育も受けた。田舎では亡くなった母からぼんやりとした知識しか教わらなかったから、教科書に描かれているきわどいイラストや真顔でアレやコレやを話す家庭教師の説明とかに、羞恥で蒸発するかと思ったものだ。
媚薬って存在も知ってるし、「れな」の記憶があるから、「ああ、この世界にもそういうものがあるんだな」で終わるけど……いざ手元にある可愛らしい瓶がソレだと思うと、手が震えてくる。
つまりサイネリアは、これを使ってエドウィンを誘惑しろと言っているの? 堂々と「子作りしろ」と命じる女王陛下にしてもサイレント爆弾を送り込んでくるサイネリアにしろ、エルフリーデ王家の女性は肉食系なのかな……私の母もそうだったのかな……全然想像が付かない。
瓶をガン見する私をよそに、キティは手際よく私の髪のセットとメイクを済ませてくれた。
「そういうことですので、わたくしのような下々の者はともかく、女王陛下やサイネリア様にはお二人の夫婦事情に介入する権利があるということだけは心得てくださればと思います」
「……分かったわ。その……いろいろ善処する」
「かしこまりました」
忠実な侍女は余計な詮索などはせずに、お辞儀をしてくれた。