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16 鬼嫁ではありません

 贈り物の整理は夕方に終わった。

 何時間もデスクにかじりついていたので部屋を出たときには体の節々が痛くて、エドウィンに心配されてしまった。


「大丈夫ですか、カトレア様」

「……ちょっと肩が凝ったみたいです。エドウィンは平気なのですか?」

「俺は鍛えていますから。訓練中は何時間も直立不動をさせられたり、演習では無理な体勢で長時間潜伏訓練をさせられたりしましたから。それに比べればどうってことありませんよ!」


 そう言ってエドウィンは自分の二の腕をぽんぽんと叩き、ふと目尻を垂らして私を見つめてきた。


「……お体が辛いのでしたら、やっぱり馬車を呼びます?」

「え? ……あ、そうか。歩いて帰ろうって言ってたんでしたっけ」


 そういえば行きの馬車でそんな話をしたね。

 でも……。


「大丈夫ですよ。エドウィンさえよければ、歩いて帰りましょう」

「……いいのですか?」

「ええ。座っているより体を動かした方が楽なのです。体をほぐしながら歩けば、きっと離宮に着く頃には楽になっています」


 そう言って私は、それとなくキティを呼び止めようとしていたエドウィンをやんわり止める。

 エドウィンはなおも渋っていたけれど、廊下を歩いて正面玄関の階段を下りる頃には諦めてくれた。


「……分かりました、あなたがそう言うのなら。ただ――そうですね。よろしければ今夜、体をほぐすマッサージをしましょうか?」

「マッサージ、ですか?」


 隣にエドウィン、背後にキティ。そのさらに周りを騎士たちに警備されながら階段を下り、庭園を歩く。辺りは夕焼け色に染まっていて、空には灰色とオレンジ色の二色の雲がグラデーションを描きながら浮かんでいた。

 馬車で来るときには車輪を動かしやすい煉瓦舗装道をやって来たけれど、今は歩きやすい芝生道を選んだ。エドウィンと肩を並べながら尋ねると、彼は頷いて自分の首の後ろをとんとんと叩いた。


「人体にはツボってのがたくさんあるんです。肩こりを軽減するツボとか、足のむくみを解消するツボとか。騎士団では救護実習もあったので、そのときに遠征とかでの疲労回復を目的としたマッサージも教わったんです。よかったら今夜、揉みますよ?」

「……揉む、ですか」

「はい! …………あっ」


 ワンテンポ遅れて失言に気づいたようで、ぴたりと動きを止めるエドウィン。


 ……ま、まあ、今の話の流れからして、「揉む」対象は太ももや肩だと分かる。

 分かるけれど、今の言い方はさすがに……ねぇ?


 エドウィンが足を止めたので、私も立ち止まる。今のやり取りをばっちり聞いていたらしいキティが慎ましく顔を背け、声は聞こえていないにしろただならぬ空気を察知したらしい騎士たちもさりげなく私たちから離れていった。


 しばしの、沈黙。

 私たちの間を、夕暮れ時の風がひゅう、と駆け抜けていく。


「……あの、エドウィン?」

「……申ッし訳! ございませんでしたッ!」


 雷鳴がとどろいたかと思った。

 それくらいの大声を上げて、エドウィンはがばっとその場にひれ伏した。これはまさに、土下座である。なるほど、「シークレット・プリンセス」は日本の会社が作ったアプリだから、この世界にも土下座が存在するのか!

 いや、問題はそこじゃない。


「狂犬」と呼ばれる騎士が、私の夫が、私の足下にひれ伏している。普段ならお目に掛かることのできない彼のつむじが見えていて、両手はきちんと指先まできれいに揃えられていた。


「ちょっ……エドウィン!?」

「俺、あなたにとんでもないことを――すみません! 決して、決して! 不埒な思いがあったわけじゃないんです! 俺は純粋に、お疲れのあなたを癒したくて――」

「分かってます! ちゃんと分かってるから、体を起こして!?」


 人気のない庭園だけど、誰に見られるか分からない。

 エルフリーデ王国は女王の国だからか、夫より妻の方が強い家庭も結構多い。女王家はその傾向がいっそう強く、「女王より強い王配は必要ない」とさえ言われている。現王配殿下――私の叔父だ――は滅多に人前に出てこないし、私も彼の姿を見たことがない。ゲームでも登場しなかったはずだ。


 そういうわけなので、他人がこの光景を見ても「ああ、あの夫婦はカトレア姫の方が強いんだな」で終わるのがこの国だ。

 とはいえ、いくら女王の国でも謂われなく鬼嫁認定されるのは嫌だ!


「あなたがそんなつもりで発言したわけじゃないと、分かっていますから!」

「本当ですか……離婚とかじゃないですか……?」

「しません!」


 エドウィンがあまりにも哀れっぽく言うものだから、私も語気強く言い返してしまった。


 ……言ってから冷静になるけど……うん、離婚はしない。いくら私の最推しがジルベール様でも、エドウィンと離婚してジルベール様と再婚するという考えはない。それじゃああまりにも我が儘な薄情者だし、「カトレア」の想いを踏みにじることにもなるから。


 ……今の私が「れな」寄りだとはいえ、「カトレア」時代に抱いた感情をなかったことにはしたくなかった。


 おそるおそる顔を上げたエドウィンの頭には、しゅんと垂れた三角耳。腰にはへたっと地面に伸びる尻尾があるように感じられる。私はどっちかというと猫派だけど、彼は完全に犬タイプだ。赤柴とか、色合い的にもぴったりだろう。


「……本当ですか? そ、その、すみません。俺、取り乱してしまって――」

「そういうこともありますよ。ほら、立って」


 なおも地面に座り込んだままのエドウィンを立たせると、すかさずキティが飛んできて手にしたタオルでエドウィンの服やズボンに付いた泥を拭った。すごい、できる侍女だ。その大きなタオル、いつどこから取り出したんだろう。


「まったく……その程度で離婚するわけないでしょう?」

「す、すみません、本当に。……俺、あなたと結婚できたのが今でも信じられないくらいで……今日の返事書きでも、俺の名前と並んであなたの名前があるのを見て――あなたが俺の家名を書いているのを見て――すごく嬉しかったんです」


 泥も落ちたことだし、離宮への道を歩きながらエドウィンがぼそっと言う。これくらいの声量が聞き取りやすいので、私は彼の言葉に耳を傾けた。


「あなたのことを疑ったわけじゃないんです。弱気になってすみません。あの……改めて、いいですか」

「ええ」

「今夜、あなたのお体をほぐす役目を、この俺に任せてくれませんか?」


 どこまでも真面目な口調と真面目な顔で言われ、私はついつい噴き出してしまう。

 まったく、そんな真剣な表情で言う台詞じゃないのに。

 ……でも。


「……ええ、嬉しいです。よろしくお願いしますね、エドウィン」

「……は、はい! お任せください! 必ずカトレア様を、たくさん気持ちよくして差し上げますので!」

「……たくさん気持ちよく、ですか」

「はい! …………あっ」


 なにこのデジャヴ。

 私は我ながら驚くべき速さでがしっとエドウィンの肩を掴み、「土下座しない! 離婚もしない! そういうこともある!」と、何か言われる前に言いつのった。


 鬼嫁疑惑、阻止!

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