14 天使の皮を被った小悪魔
サイネリアが去った後にやって来たのは――
「やっほー! カトレア姉様、エディ、結婚おめでとーっ!」
ドアが吹っ飛ばんばかりの勢いで叩き開けられた。
跳ねるように入室してきたのは、くるんくるんの金髪に茶色の目の少年――攻略対象の一人でもある第二王子アルジャーノンだった。
穏やかで優しいジルベール様とツンデレ美女のサイネリアの弟である彼は、楽しいこと大好き、家族大好き、おいしいもの大好きな、ガチ光属性のキャラだ。確か今年で十七歳だったと思うけれど年齢の割に言動はちょっと子どもっぽく、主人公にも最初から甘えてくる子――なのだけど。
この可愛い見た目に騙されることなかれ。
彼は「シークレット・プリンセス」の攻略対象であり、お色気担当キャラなのだ。十三歳のお色気担当キャラなのだ。大切なことだから二回言った。
甘えるように迫り、主人公を籠絡していく。軽い気持ちでアルジャーノンルートに入ったら最後、「これは本当に十三歳?」「これって本当に全年齢対象アプリ?」と公式にお問い合わせしたくなるようなめくるめく甘美な世界が始まるのだ。
私もクリア特典アバター目的に一度ルート選択したけど……あれはすごかった。「僕と楽しいことをしよっ? おねーさーん?」と小悪魔少年ボイスと共にベッドの上で迫ってくるスチルが出てきたとき、私の頭の中に無限の宇宙が広がった。
とはいえ、アルジャーノンがそんな本性を露わにするのはルートに入ってから。「カトレア」はルート選択に入る前のイベントだけを見ているから、彼の素顔を知らない。知らないけど、「この子、ちょっと変わってるな」と感づいている状態だ。……まあ、前世でルートクリアしている私は知ってるけど。
そういうわけで、今のアルジャーノンはただの可愛い従弟だ。彼が持ってきた贈り物はアンティークな置き時計で、「針の音が静かだから、寝室に置いておくといいよ!」とアドバイスをもらった。
「でもまさか、姉様がエディと結婚するなんてねぇ。僕、びっくりだよ!」
アルジャーノンはソファの肘掛けに頬杖をつくというしどけない格好で茶菓子を食べつつ、しみじみと言った。
ゲームでもそうだったけど、もともとエドウィンはアルジャーノンの護衛の一人で、ゲーム開始時点で二人は友人関係だ。イベントでも、よく二人でいる姿を見かけていた。お互いのルートを選択する際に相手の好感度が必要なのも頷ける話だ。
「ねえ、姉様。エディ、姉様に変なことしてない?」
「変なことって……何を言ってるんですか、殿下」
贈り物の時計をひっくり返したり裏の蓋を外したりしていたエドウィンが鼻に皺を寄せて言ったため、アルジャーノンはふふんと鼻で笑う。
「だってさぁ、エディってすました顔してるくせに結構ムッツリだし、姉様に無礼を働いてないか心配なんだよぉ」
「心配ご無用です」
エドウィンは時計をキティに預けて腕を組み、にやにや笑うアルジャーノンを睨む。灰色の目は少しだけ険悪な眼差しをしていて、私には決して向けない不穏な輝きを擁していた。
「それに、そういったことは俺たち夫婦の問題です。俺はいいとして、カトレア様のお気持ちを乱すような発言はなさらないでください」
「おお、いい眼差しをしているねぇ。まさに『狂犬』だー」
じとっと睨まれているというのに、アルジャーノンは悪びれた様子もない。
彼は菓子の屑が付いた指先をハンカチで拭い、女王陛下と同じ色の目を細めた。容姿はあまり似ていないのに、その眼差しだけはきょうだいのなかで女王陛下の血を一番濃く受け継いでいると感じられる。
「でも、ちょっと安心しちゃった」
「……何がですか」
「君は今さっき、カトレア姉様の気持ちだけは乱すなって言ったじゃん? それは姉様のナイトとしては完璧な答えじゃない? もっと感情的になって言い返すと思ったのに、ちゃんと姉様のことを考えているんだなぁ、って見直しちゃった」
「……それはどうも」
「本当にエディってば可愛くないなぁ。……ねぇ、姉様」
拗ねたようにそっぽを向くエドウィンからこちらへと顔を向け、アルジャーノンはにっこり微笑んだ。
「僕が言うのも何だけどさぁ、エディって口は悪いし目つきも悪いし姉様たちのいないところでは不良みたいな態度だけど、すっごくいいやつだから」
途中で「おい」と口を挟みかけたエドウィンが言葉に詰まる。そのまま「いや、別に」「そりゃそうだけど……」とぶつぶつ言いながら、最後には黙った。
私は数度瞬きした後、頷いた。
「……ええ、知ってます。エドウィンはいつも優しくて私のことを思ってくれて、勇敢で、頑張り屋な素敵な人なのです」
「ちょっ……カトレア様、さすがに恥ずかしいですよ……」
隣でエドウィンが、狼狽えたような声を上げている。そちらを見ると、「い、今見ないでください!」と手で自分の顔を隠されたけど――髪と手の隙間から見える耳が真っ赤になっていた。
アルジャーノンは皿に残っていた最後の茶菓子を口に放り込み、ふふっと低く笑った。
「なーんだ、僕が心配しなくても姉様たちはラブラブなんだねぇ。妬けるぅ!」
「からかわないでください……」
「なんでー? エディをいじるの楽しいんだものー!」
「お戯れも大概にしてください」
「えー、やだ!」
私を差し置いて、エドウィンとアルジャーノンが子どものようなやり取りを始めた。アルジャーノンルートに入らない限り彼は「可愛い従弟」で終わるので、見ているだけで微笑ましいなぁ……。
アルジャーノンは茶菓子をたらふく食べ、満足の表情で去っていった。
キティが次の来客に向けてテーブルの上をきれいにしている間、私の隣のエドウィンは項垂れていた。あれだ、某ボクシング漫画の最終回の主人公みたいな格好だ。
「エドウィン……?」
「……。……ああ、すみません。ちょっと、ぼうっとしてました」
呼びかけるとエドウィンは体を起こしたけど、笑顔が強ばっている。女王陛下やジルベール様、サイネリアたちと話しているときは元気そうだったのに、アルジャーノンと過ごした十五分程度でこのくたびれようだ。
「アルジャーノンに一言言っておきましょうか?」
「いえ、大丈夫です。……もう今の俺は殿下の護衛じゃないのに、殿下は今でもああやって俺で遊ぶんです。悪気がないのは分かってるんですが……すごく、疲れて」
そう言って苦笑するエドウィン。私はそんな彼の顔を、まじまじと見つめてしまう。
これまでは、液晶越しに見るだけだったエドウィン。ちょっと不良っぽい見た目で、声が大きくて、タイプじゃないと思っていた。それはゲームクリア間近になっても変わらなくて、私の中での最推しは最後までジルベール様だった。
でも、今この世界でエドウィンは一人の人間として生きている。液晶越しだと分からない体温と人間らしい感情を持っていて、私にたくさんの表情を見せてくれる。そして、エルフリーデ王国の姫である私の夫として努力し、尽力してくれている。ときには困った顔をするし、疲れた顔も見せてくれる。
ゲームでルートクリアするだけでは得られなかったものを、私は確かに感じていた。
ちなみにエドウィンはアルジャーノンについて「悪気がない」と言っていたが、絶対に悪気があってやっている。それに気づかないエドウィンは、純真なんだろうな。