11 姫のつとめ
そんなことを話しているうちに、馬車は本城前に到着した。やっぱり早い。三分くらいしか乗っていない気がする。乗ったときと同じように、エドウィンに手を取られて馬車を降りた。
エルフリーデ王城は約五百年前の王国成立以来、多少の手入れは施されつつも当時の姿から変わることなくこの国の象徴となっている。全体的に白っぽい色合いで、正面玄関前の大階段を上がった先の扉には、エルフリーデ王家の紋章が堂々と掲げられていた。
「お待ちしておりました、カトレア・ケインズ様、エドウィン・ケインズ様。女王陛下がお待ちでございます」
私たちの姿を認めた騎士が恭しく礼をし、案内してくれた。四年間暮らした城だから勝手知ったるけれど、今の私は一応離宮から来た「お客様」だから、大人しく騎士の案内に従うことに甘んじた。
道行く人々は私たちを見ると足を止め、お辞儀をしてきた。「ご結婚おめでとうございます」と言われたら、返事をする。
平民出身のエドウィンはこういった場に慣れていないけれど、私と結婚するために一年間、淑女教育ならぬ紳士教育を受けてきた。今でも私と二人きりのときは砕けた口調になるけれど、公の場では普段の荒っぽさを引っ込め、穏やかな紳士の顔を見せていた。
今も、よく肥えた体型の中年侯爵に声を掛けられたところだけれど、エドウィンは臆することなくお辞儀を返し、笑顔で私の肩を抱き寄せた。
「ありがとうございます。今後は夫婦共々、よろしくお願いします」
訛りの一つもない、完璧な発音だ。
侯爵は少しだけ驚いたように目を丸くしたけれど、それ以上何も言わず去っていった。
彼を見送った後、再び足を進めながらエドウィンがはーっと息を吐き出す。
「緊張した……」
「そう? 礼法通りに受け答えできたと思いますけれど」
「それはよかったです。……でも俺、心臓バクバクで……ミスしたらどうしようってずっと思ってたんです」
エドウィンは苦笑し、さっき侯爵と話している間はきりりと引き締めていた顔を緩め、頬を掻いた。ああ、これはいつものエドウィンだ。
「自信を持ってください。あなたは私の夫だと――胸を張って言える人ですよ」
「そ、そうですか? 分かりました。カトレア様のお言葉を胸に頑張ります!」
弱気になったのは一瞬のことで、すぐに彼は真っ直ぐな眼差しになって宣言した。本当に、こういうところが好ましいしとは思うし、彼の魅力でもあるんだろうな。
やがてたどり着いた、謁見の間。
重厚な観音開きのドアを開いた先、結婚式のときのように赤いカーペットが敷かれた先で私たちを待っていたのは、エルフリーデ王国を治める女王陛下――マーガレット・ハイアット叔母様だった。
女王陛下は私の母と同じ金色の髪に、ブラウンの目を持っている。目尻や口元の皺が相応の年齢を示しているものの、切り上げれば五十歳になるとは思えないほど若々しい。
女王陛下は並んで膝を折った私たちに向かって「顔を上げ、こちらに来なさい」と命じ、孔雀羽根の扇子片手に目を細めた。
「昨日の結婚式はとても立派でした。遅くなりましたが……結婚おめでとう、カトレア。あなたの結婚を見届けられたこと、叔母として嬉しく思います。きっとフリージアお姉様も喜んでいることでしょう」
「はい。何から何までありがとうございました、陛下」
私は慇懃に礼を言い、お辞儀をした。
本当に女王陛下には世話になったし、かなり濃いやり取りをしたものだ。
ヒロインが女王陛下と真っ向からぶつかるのはエドウィンルートと隣国王子ルートのみ。それも、国同士の絡みとか政略結婚とかという国家間の問題がある王子ルートと違い、エドウィンルートに関してはただの私情と私情のぶつかり合いだ。
最終的には陛下も折れてくださったけれど、「カトレアを姉と同じ目に遭わせたくないから」という妥協の結果だ。ここで私たちの仲を裂いて、私が母のように出奔するよりは――と思ったのだろう。
それでも、私たちの結婚申請書に保証人としてサインし、式の進行などに手を貸してくださったことは事実だ。私はこれからも王都に留まりサイネリアの友として振る舞っていくのだから、これ以上の注文は付けないように考えてくださったのだろう。
陛下は私に向かって頷きかけ、そしてちらっと視線をエドウィンに向けた。
……思わずごくっと唾を呑み込んだ。
話がこじれるとしたら、こっちだ。
「……エドウィン・ケインズ。わたくしは、あなたならカトレアを任せてもよいだろうと思って結婚を承諾しました」
私に話しかけたときとは全く違う緊張を孕んだ声に、私は約三年前の出来事と、「シークレット・プリンセス」のエドウィンルートイベントを思い返す。
平民出身、粗野、目つきが悪い、教養がない、と女王陛下が不満に思う要素をたっぷり盛り込んでいるエドウィンは当然のことながら、なかなか認めてもらえなかった。
「王家の姫という身分が目的ではないのか」「おまえのような礼儀のなっていない男を婿にして、カトレアの評判を下げるつもりか」とさんざんな言いようだったけれど、陛下の思いも分からなくはないからもどかしい思いを抱いた。
でも、エドウィンはめげなかった。「騎士として、一人の男として、カトレア様をお守りし、幸せにします」と宣言した彼は、女王陛下の試練を受けることになった。それが約三年前のことで、彼は陛下の命令通り、礼法や基礎教養などを必死になって勉強した。
勉強している間ももちろん、騎士としての仕事を休むわけにはいかない。「職務と勉学、両立できないようであれば追放する」とまで言われていた。勉強が好きじゃない彼が右手にペンだこを作り、礼法指導で何度も叱り飛ばされ、見ている私の方が辛くなってきた。
でも、彼は負けなかった。私もまた、努力する彼にふさわしい女になれるよう淑女教育をいっそう頑張った。
そして彼は見事女王陛下の課題をこなし、私の嘆願やサイネリアの口添えもあり、私たちの結婚が承諾されたのだ。
「カトレアはわたくしの唯一の姪で、フリージアお姉様の忘れ形見。カトレアを悲しませるようなことや、結婚を後悔させるようなことになれば――命はないと思いなさい」
――一瞬、目の前が真っ白になった。
「命はないと思いなさい」というのが冗談でも何でもないのは、陛下の性格を考えたらすぐに分かった。普通なら、「そんなこと絶対にありえません」と胸を張って言えるのだけど――「結婚を後悔させるようなことになれば」の一言が、エドウィンではなく私の胸を穿っていた。
でもエドウィンは陛下の脅しに靡いた様子もなく、凛とした横顔で頷いた。
「はい、是非ともそうなさってください。しかし、私の喜びはカトレア様と共にあること、カトレア様の笑顔を守ること、末永くお側に控え、御身をお守りすることでございます。女王陛下が危惧なさることが未来永劫決して起こらぬよう、尽力いたします」
さっき馬車の中でぽろっと「メシ食って」と口にした人と同一人物とは思えないほど堂々とした宣言で、そして完璧な言葉遣いだった。
陛下はふわっと扇子を揺らした後、「そうですか」と短く答えて私に視線を戻した。一気に眼差しが柔らかくなっている。
「……カトレアよ、わたくしはあなたが幸せに暮らし、そしていずれ女王となるサイネリアを支えてくれるのであれば何も言いません。あなたがエドウィンを選んだのであれば、夫婦として互いに支え合い、尊敬しあえる関係を築きなさい」
陛下はそこで一旦口を閉ざし、「それから……」と語気を和らげて続けた。
「……ジルベールもサイネリアもアルジャーノンもまだ結婚は先でしょうし、あなたがたくさん子を産むことを期待しております」
「えっ……?」
どきっとした。
子を産むって……ええ、そりゃ意味は分かるけど……。つまり私がエドウィンと……ひえぇ。
「何を驚くことがありましょうか。……平民として長く過ごしすぎ、そして平民であるエドウィンと結婚したあなたが女王になることはないでしょうが、あなたの娘に継承権が回ることは十分考えられます。そのためにもエドウィンと仲よくし、エルフリーデ王家の血を濃く継ぐ子をたくさん産むのです。それが王族のつとめでもあるのですからね」
それは……確かに陛下のおっしゃるとおりだ。
エルフリーデ王国は代々女性が王位を継ぐ。この国は血統第一主義で、王女が産んだ子の方が王子の妃が産んだ子よりも王位継承順位が高くなる。下世話な話、妃が不義をはたらいていればその子はエルフリーデ王家の血を継がない可能性があるけれど、父親が誰であろうと王女が産んだのであれば王家の子であることが確定するからだ。
つまり。次の世代の王位継承順位は、サイネリアの娘、私の娘、ジルベール様やアルジャーノンの娘と並ぶことになる。もしサイネリアに何かあれば、私の子にお鉢が回ってくる。だからとにかく、子どもだけはしっかり産めと言いたいんだろう。
それは分かるんだけど……。
つい、隣にいるエドウィンを見てしまう。それが失敗だった。
彼もまた、私を見ていた。
そして視線がぶつかるとお互いどうにも恥ずかしくなり、二人同時に顔を背けてしまう。
「その……努力します」
「ええ、そうなさい。エドウィンも、王家の婿になったからには責務も分かっているでしょう。あなたが将来の女王の父親になる可能性もあるのだと、しかと肝に銘じておきなさい」
普通なら、王太子であるサイネリアに「何かあれば」なんて恐れ多くて口にできない。サイネリアの母親であり、エルフリーデ王国の未来を誰より案じている女王陛下だからこそ言えることなんだろう。
エドウィンは数秒言葉を失っていたようだけれど、やがてしっかり頷いた。
「……はい。将来のこともカトレア様とよく考えます」
……また、私の胸がちくっと痛みを訴えてきた。