第36話 英雄
レティーの真情を知り、全ての準備を整えアール達は地下へと向かう。
その頭に、デニスから馴染みの無い言葉を掛けられた。
只の一言でしかない言葉に、アールは不思議な思いを馳せる。
数日後、エミールとサチェットの鎧も万事仕度が整った。
その間ジョージャウ達からの報告では、過激派の拠点は何度かブルックが獣を操る訓練をしていたのみだった。
時間を与えては敵を利するだけと考え、アール達はブルックを救出すべく、アビティオの計画を阻止すべく地下へと向かう。
「ぁー、親方達から聞いたよ。随分とドデカイ、面倒な事になってる様だなあ……。ぁー俺もそんなもんに一枚噛むとは……思ってもみなかったよ」
ハンガーまで鎧を搬送してくれた、デニスが見送る。
ここ数日間、デニスの工房とベルモント達は、ギリギリまで鎧の整備と新武器の開発に頑張ってくれた。
でなければ準備が整うまで、もっと時間が掛かっただろう。
アールはデニスに感謝し、また迷惑を掛けた事を謝罪する。
「本当に忙しい時期だったのに、また迷惑を掛けちまってすいません……。」
「ぁー、ん? いやいやちゃんと仕事は回ってるぞ? 少しは手を貸したしウチの施設も使ったが、実際にお前らので働いてたのは……ウチの元親方とコーベスさんだ。むしろ、キマイラの鉱石の端材やらが手に入って黒字だよ」
デニスはニンマリと笑って親指を立てる。
ベルモントが押しきってデニスの工房に無理を強いたのだと、アールは悩んでいた。
しかしどうやら、アールの勝手な勘違いだった様だ。
サチェットも鎧から降りてきて、話を付け加えた。
「工房で働くのは初めてでしたが、あのお2人の働きぶりと技には目を見張りました……。さぞや名のある職人だったのでしょう。本当のお名前の方は、最後まで明かして貰えませんでしたが」
サチェットの鎧の新武器。
片手用の槍と、キマイラの鉱石をふんだんに使った大盾。
ベルモントが言うには、大剣は雑魚を蹴散らすのには良いが、本当に強敵相手ならば槍を使えと。
サチェットもそれに納得し、盾を扱う事を前提とした槍を作り上げた。
キマイラの鉱石は、まだ組合としても謎の多い素材である。
しかしながらその強度と、溶解液等に耐性が有る事が確認されている。
折角大きな鉱石が手に入ったのだからと、盾の前面にふんだんに加工し大盾を作った。
「そっか、結局教えてもらえなかったか……。いや、デニスさんに迷惑を掛けなかったってんなら、それで良いか。本当にありがとう、これで心置きなく戦えるよ」
「なーに良いってことよ。俺達としてもここを荒らされたくはねえ。お前らディガーにばっか前張らせる事になるのは忍びねえが……。頑張ってきてくれよ、『英雄』さん達よ」
英雄、そう言いつつアールとサチェットの肩を叩き、デニスは笑う。
突然の馴染みの無い言葉に、アールは首を傾げる。
嫌な気持ちではなく、しかしすんなりと受け入れる事もできない。
悩む間もなく、後ろからエミールに大声で急かされた。
「お前達、いい加減に準備を済ませろ! 急がねばならん理由をまだ理解してないのか? さっさと仕度しろ」
「だってさ……。さあアール、急ぎましょ。ブルックも助けて、何ならアビティオ達もやっつけちゃいましょ」
2人に急かされ、アールとサチェットも身支度を整え、ジョージャウの村へと向かう。
道中は特に面倒はなかった。
多くのディガーは今は下層のキマイラに執心しており、その道なりの獣討伐も安定している。
何度目かの村への下り階段、アールはデニスから言われた言葉を考えていた。
英雄という言葉は、アールの中で消化し切れずにふわふわと漂っている。
飲み下すことも、しかし吐き出すのも惜しく、1人で答えは出ずに周りに問う。
「なあサチェット。デニスはああ言ってたけど……。俺達が今やろうとしてる事って、『英雄』とかって呼ばれる事なのかな?」
サチェットも一言、その言葉を口に出して考える。
戦場働きで同じ様な言葉を受けた事もあった。
しかし、特に深くは考えなかった言葉。
アール程は難しく考えずに、一つの考えを口にする。
「何をどうすれば『英雄』になる。そんな決まり事があるとは、私は聞いた事がありません。そもそも『英雄』という言葉自体が曖昧なものです。……私は、個人的な復讐の延長でここにいます。それでも誰かを助ける事に繋がる。それで『英雄』を名乗れるのでしたら、誰だって名乗って良いんじゃないですか?」
軽く笑みを浮かべつつ、サチェットは自身の考えを披露した。
アールはサチェットの返答に、難しい顔をする。
解ったような解らないような面持ち。
誰でも名乗れるのであれば、そんなものに価値があるのだろうか?
だがその価値のあやふやなものに、現に今アールは頭を悩ませていた。
エミールも話に乗っかり、自分の考えを語る。
「そういうものは、自分から名乗っても意味が薄かろう。かと言って他人から言われても、自分に何か変化が起きる訳でもない。所詮は人が人を崇める為に作った、都合の良い造語でしかない。……名乗るというよりは成るものだが、それを認めるのは自分でも他人でもなかろう。せいぜい死んで何百年とか経ってから、どこぞの誰かが紙の上に書くものだ、勝手にな」
エミールは少し冷めた、ドライな考えをアールに突きつけてきた。
名乗っても何かが変わる訳でもない。
誰がどう認めるのかもあやふやだと。
やはりアールの腑にはストンと落ちない。
依然グレイの中で、難しい顔をして唸っている。
見かねたグレイが助け舟を出してきた。
こういう哲学的な話に乗ってくるのは珍しい。
「アールは、『英雄』になりたいの? でも、なり方が解らないから悩んでるの? それとも『英雄』の定義で悩んでるの?」
「ん……いや、全部で悩んでるなこれは。成り上がりたいのが目標だったから、『英雄』なんてなりたいかって言われたら当然なりたいけど……。全く解んないな、こういう時は」
悩んでも解らない事は一旦棚の上に上げておく。
最近獲得したアールの進歩の一つである。
思い悩んで、他の事に悪影響を及ばせない為だ。
しかし今回はそうはいかなかった。
棚の上に上げたものに、お節介なチューブが伸ばされる。
「私は、あのまま地下でずーっと放棄されてたらここにはいなかった。だから私にとってアールは『英雄』だよ、ずっと前からね。……これでもアールは胸を張って『英雄』って言えないのかな?」
「グレイ……。いや凄く嬉しいよ、本当に。……けど」
グレイの心からの賞賛に、しかしアールは答えを出せない。
グレイ1人から英雄と言われても、それで胸を張って英雄と言えるのだろうか?
アールが知っている御伽噺や神話の英雄は、もっと大勢の人々から称えられるものだった。
それらと比べれば、とても胸を張れるものではないと感じてしまう。
青年の胸中は掻き乱されたままに、しかし時間と足は進んで行く。
物語は着実に、幕引きへと迫っていた。
『英雄』という言葉の意味と価値。
仲間達の言葉を受け、しかしアールはまだ定かにはできない。
青年の心を待つ事なく、物語は幕へと近づいて行く。




