第35話 雌伏
偵察から戻ったアール達、戦いの準備が整うまで時が必要だった。
アールはエミールに促され、レティーと会う。
当然ながら、ほろ甘い話の類ではなく……。
一泊の宿を借りたアール達は、すぐさまジョージャウ達と協議を行う。
しかし結論は変わらない。
戦力が整い次第、ブルックを説得し引き抜く。
アビティオ達が獣の操作を改善しきる前に、対処しなくてはならない。
今後は準備が整うまでジョージャウ達が、アビティオ達を監視してくれるとの事だ。
早ければ数日中に決行するという事を伝え、アール達は地上へと戻る。
「レティーさんが? 俺に? 一体それは何の……」
地下からターレムに戻って程無く。
レティーがアールに用があると、エミールが告げてくる。
何の用かとアールは勘ぐるが、エミールは一応の釘を刺す。
「言っておくが、甘い話の類ではないぞ。そこは間違えない事だ。……恐らくはソルに関する話だ」
「む……そこまで目出度い頭はしてないよ。まあ、どうせ時間を潰さなくちゃならないし。行って来るとするよ」
鎧の準備は工房『巧遅であれ』に一任されている。
サチェットは調整等のために通う必要がある為、あまり暇は無い。
完成までまだ時間が必要であり、アールは手持ち無沙汰である。
ベルモントがあの工房の関係者という事は見当が着いたが、それ以上踏み込む事はできなかった。
決行の日までにアクシデントがあってもならない為、無用に地下へ行く事も憚られる。
幸い村を襲撃してきたモールベアやゴーレムの鉱石で、当面の生活費は潤沢だ。
アールはレティーの話を聞く為に、エミールに教えられた待ち合わせ場所に足を向ける。
「ここだな。しかし、ここは……」
「そうねえ……。アールにはちょっと、ハードル高いんじゃない?」
指定された場所はサークルの地表部。
小奇麗に整えられた高級そうなカフェであった。
当然、アールには無縁の雰囲気の建物。
飲食店は酒場と大衆食堂にしか入った事はない。
入り口の前で狼狽えていると、ドアマンが声を掛けて来た。
「失礼します、当店にご入用でしょうか? もしくは待ち合わせでも……?」
「ぁ、はい。レティーさんって人とここで会う予定が……。もう中にいますかね?」
ドアマンは直ぐに顔を明るくし、入り口を開けてアールを招く。
動きの一つ一つに、何か洗練されたものを感じた。
「レティー様でしたら、既にご来店致しております。どうぞお入り下さいませ」
「ぁ、ありがとうございます……。ぇーっと」
入った途端ドアは静かに締められ、続いて女性がアールを先導する。
内部の作りや雰囲気は、更にアールにとって馴染みの無いものだった。
中央の広いホールは、屋根が開閉式の吹き抜けになっており、小さな庭園の様なものまである。
明かりは中央の吹き抜けからの自然光を中心としたもの、開放的な雰囲気と静かな薄暗さが両立していた。
女性は戸惑うアールに控え目に笑みを飛ばし、レティーの待つ席まで案内する。
「こちらになります。どうぞごゆっくりと、お寛ぎ下さい」
個室の前まで通され、女性は丁寧に頭を下げ後にする。
依然戸惑うアール、知らない国にでも連れて来られた気分であった。
まだ少し戸惑いつつも、アールは個室のドアを開く。
「よし……失礼しまー……っと。こんにちはレティーさん、今日は呼んで頂いてありがとうござ……?」
個室に入ると、そこには1人の淑女がグラスを傾けていた。
組合で見るレティーと、確実に同一人物だ。
しかし纏っている空気は全くの別物。
当然ながら組合の制服ではない。
薄い水色をメインにした落ち着きのあるブラウスに身を包んでいる。
グラスを置いた淑女はアールに向き直り、やはりお淑やかな軽い笑みを……。
「遅いわよー! もー、ほんっと1人でドキマギしてたんだからぁ。もっと早く来てよお……」
レティーは組合での毅然とした態度でも、淑女然としたものでもなかった。
アールと同様に、店の雰囲気に飲まれていたようだ。
張り詰めていた緊張の糸が切れる。
アールは苦笑いを浮かべつつも、内心でホっとした。
向かいの席に座りながら、元淑女の話に応じる。
「いやー俺もここの雰囲気にやられちまってて……。安心しましたよレティーさんがいつもの調子で。こういうお店慣れて……る訳では無いんですね?」
レティーは空のグラスを置き、顔を赤くして答える。
見ればまだ何も注文をしていない、というより出来ていない様子だった。
緊張に喉を枯らし、水だけを飲んでいたのだろう。
「内密の話だから個室があって、どうせだから行ってみたいお店で、それで来て見たら予想以上で……完全に敗北してましたよーだ」
「まあまあそういじけないでよ。俺もやられてたからさ」
「ここ凄いねアール……お貴族様とかこういう所で毎日ごはん食べるのかな?」
座って見回せば、個室の中も手が込んでいる。
こじんまりとした個室だが、決して窮屈さは感じられない。
小さな明り取りの窓と、清潔感のある落ち着いた色合いの観葉植物。
メニューには、厳かだが堅苦しくない文字が並び、ユーモアにも溢れていた。
アールとレティーは2人分の軽食と飲み物を、グレイの事は伏せつつ水のおかわりを注文する。
「それでレティーさん、話があって呼んだんですよね? そっちの方は……」
「そうね、今日はちょっと話が……。勘付いてるとは思うけど」
人心地ついた所で、話は本題に入る。
アールも話の見当は付いていた。
当然、甘い話の類ではない。
レティーの表情も、オフの状態から少し組合員のレティーに戻り、本題を切り出す。
「貴方達が接触したソル……。既に妹から話は聞きました。話は聞いてると思うけど、私は妹とは別の目的でサークルに来たわ」
アールもコーヒーカップを置いて向き合う。
レティーは真っ直ぐな視線のままに、自身の目的を明かす。
「私ははっきりと、復讐の為にここに来ました。あの子は覚えていないけれど、私は目の前で家族や友達が殺されたわ……。ここに来たのはソル達の情報を集めるため、知らない事には何も始まりませんからね」
レティーの面持ちは冷静だ、目も口も、何も乱れはない。
端正で落ち着いた表情のまま、自身は復讐のためにここに来たと告げた。
「それは、つまり……。俺達がソルと協力するのを良く思わないとか? ……ソル達の話を広める、とかですか?」
アールは苦しい表情でレティーに言葉を返す。
レティーの動機を否定する事はできない。
しかしながら、今邪魔をされるのはマズい。
だが、アールにレティーを害す事など思いつく事さえできなかった。
レティーは机の上のグレイを撫でながら、表情を緩める。
とても復讐に捉われた人間には見えなかった。
「まさか……。妹からの話でソル達は部族制……もしくは寡頭制。そういった単位で動いているのなら、ここのソル達は完全に無関係だわ。私の村とここは、ちょっと距離が有り過ぎるもの」
レティーはどこか寂しそうな表情で、窓の外を見やる。
手掛かりは得たが、しかしここでは空振りだったと。
自身の復讐は、無差別に向けられるものではないと話す。
その表情にアールは悲しいものを感じつつも、一先ずは胸を撫で下ろした。
「思えば、遠くに来たものね。……ここに来たばかりの私だったら、多分違う考えを持ったでしょう。グレイに関しても話を聞いたわ。とても、素晴らしい事だと思う……。そんなグレイを作るのに協力してくれた人達が、私の復讐で不幸になるなら……今度は私が、私を許せなくなる」
レティーはグレイを引き寄せ、抱き寄せる。
その顔はアールからは見えない。
アールは明り取りの窓に目をやって、レティーからは視線を外す。
グレイは何も言わずチューブを伸ばし、レティーの頭をあやす様に撫でていた。
「……大丈夫ですよ。過激派のソルは俺達がきっちりと方をつけます。それに……家族の為に何かしようってのは、俺とレティーさんは同じなんですから」
レティーは声を出せず、グレイを抱いたまま頷いた。
カフェの個室は淑女の感傷を受け止め、優しくほぐしていく。
レティーの真情を吐露されたアール。
いよいよ戦力を整えて、作戦決行に向けて動き出す。
しかしその頭に、アールは聞きなれない言葉を、自身に向けて投げ掛けられる。
是非次回もご覧下さいますよう、お願い申し上げます。




