第32話 職人
地上に帰還したアール達は、今後に備え戦力を回復させる。
特に損傷の酷いサチェットの鎧を修理すべく、工房『巧遅であれ』に向かう。
しかし親方デニスの返答は、色好いものではなかった。
地上に帰還したアール達、しかしゆっくりと休むのはお預けに。
やる事は山積みであった。
アビティオ達の拠点は、ジョージャウ達が探してくれるとの事だ。
しかし、肝心の戦力はアール達が頼みである。
村の襲撃に対応した戦いで、サチェットは鎧と武装に大きなダメージを受けていた。
どちらもキマイラの溶解液による損傷が殆どで、特に大剣は使い物にならない。
大量の獣の鉱石に加え、キマイラの鉱石も手に入れてはいたが、金と素材があれば直ぐにモノが出来るわけでもない。
アールはサチェットと共にもはや馴染みの工房、『巧遅であれ』に駆け込むのだが……。
「ぁー、お前なあ……。いや、ちょっとそいつは……無理だ。ぁー、今ウチは立て込んでてな……」
工房の親方デニスは、しかしサチェットの頼みを退ける。
だがサチェットも引き下がれない、表に運んである巨大なキマイラの鉱石を指差し、再度頼み込む。
「あれを好きに使って良いんですよ!? 端材や余りは全てそちらに譲渡します。ですから……」
サチェットは先程も説明した、『要望の品』の説明を再度行う。
大剣の代わりになるもの、守るのに適したもの、当然獣にも有効な。
要はオーダーメイドの武器を作ってくれと頼んでいる。
だが肝心のデニスは頭を掻いて、渋い顔をしている。
再度の説明を終えたサチェットを見つつ、デニスも再度それを退けた。
「そういうのは、ぁー当然時間も人手も掛かる。時間を掛けずにってのは、人をぶち込みまくれば何とかならん事もないが……。ぁー今はまさに、そのキマイラが出現する様になって、どこの工房も大忙しなんだよ」
曰く、キマイラに挑み被害を受けるディガーが急増している。
それに対応して工房の仕事量はどこも圧迫されている、とデニスは語る。
デニスとしても、キマイラの鉱石で新造の武器を作る事は吝かではない様子だが……。
アール達はキマイラの鉱石を預け、とぼとぼと工房を後にする。
「残念だったなあ……。というか間が悪かったか、後一押しって感じもしたんだがなあ……」
ターレムに戻りつつアールがごちる。
デニスもキマイラの鉱石には興味津々だった。
それでも工房全体の事を考えると、既に請け負った仕事を投げる事はできないと。
誰か1人強力な助っ人でもいれば、請け負わない事もないと言っていたが。
「強力な助っ人……。つまりは親方級の職人ですね。どこの工房も忙しいとなれば、それも望めないでしょう……」
珍しくサチェットが、大きく溜息を吐いて落胆を顕にする。
キマイラの鉱石をサチェットの鎧の修復と強化に使う、アール達3人の合意の時とは真逆のテンションであった。
アールはそんなサチェットを見やりつつ、どうにか出来ないものかと頭を働かせる。
「デニスの親方をザーっと動かすってなあ……。んー……いや? ん?」
デニスとの出会いを思い出すアール。
彼は寮の管理人コーベスの手紙を受けて、異常なまでに態度が変わり、アールを贔屓にしてくれた。
あの時のデニスを思い出し、少々申し訳ない気持ちと、突破口を思いつく。
「サチェットは先にターレムに戻っててくれ! 俺は寄るとこができた」
アールは1人で懐かしの寮へ向かう。
デニスには申し訳ないが、今は火急の時である。
上層から一気に突っ走り、地表の作業員寮『モグラの巣』へと着いたアール。
玄関をくぐるが、何も変わっていない。
懐かしい臭いと雰囲気はそのままに、アールを迎え入れた。
「なんじゃアールか。何か用か? ディガーの仕事は順調か?」
こちらも変わりなく、新聞越しに管理人コーベスが声を掛けてくる。
アールは懐かしさに不思議な感覚を味わい、しかし急ぎの用件を口にした。
「コーベスさん、どうしても手を貸して欲しいんだ。工房に俺を紹介してくれた手紙、あれをもう一回……。いや、あれを書いた人を教えて下さい!」
頭を下げてアールは頼み込む。
コーベスもアールの気持ちが伝わったのか、新聞を置いて考え込む。
コーベスはコーヒーを啜り、アールの頼みの真意を知るために質問を返す。
「それは……どうしても必要な事なのか? あれは誰が書いたかを秘密にする条件で成り立ったものじゃ。それを破るというのは……。まずは理由を教えよ、はっきりとな」
しかし、アールは言葉に詰まる。
なぜサチェットの鎧を早急に整備し強化したいか、キマイラの鉱石はどういう経緯で手に入れたのか。
既にアール達は3人、とグレイで『ソル達の事は広めない方が良い、貴族や国が出張ってきては悪化する可能性が高い』と結論付けていた。
アールはコーベスに事の詳細を話していいものか、或いは誤魔化しと嘘を混ぜてこの場を乗り切るべきかと逡巡する。
アールの様子から何かを察したか、コーベスの方から口を開く。
「……話し難い事があるようじゃな。しかしアールよ、お前さんはワシにも、話し難い事を話させようとしておる。……人の間には信頼が不可欠じゃ。手を取り合おうというのであれば、尚更な」
アールはコーベスの言葉に、自身の中にあった『誤魔化しや嘘を混ぜるべきか?』という考えを恥じ入る。
しかしクヨクヨとはせずに、伝えるべき事を伝え協力を仰ぐ。
そもそも信用が無いならば、コーベスの元へは来ていないのだから。
「解りました。ですが俺の話も、かなり危ないというか……。他言されたくないというか……」
コーベスはニヤっと笑みを浮かべ、管理人室へとアールは招く。
アールが入ってから、ドアも窓口もシャッターと下ろしてしまった。
管理人としての仕事は放棄である。
腹を括ったアールは、地下での事、ソル達の事、過激派のソルの一団が地上に攻撃を計画している事等を打ち明けた。
「何とものお……。突拍子もない……。しかし」
話を聞き終え、コーベスはすっかり冷めたコーヒーを飲みつつアールを見やる。
アールは真剣に、それでいて真っ直ぐにコーベスを見ていた。
その様子にも先程の話にも、コーベスは嘘や誤魔化しは感じ取れない。
コーベスは一旦深く呼吸し、こちらも腹を括る。
「よし解った、ワシも乗ってやろう。……そうなると―」
「本当ですか!? ありがとうございます、本当に。……ってコーベスさん? え?」
コーベスはドアと窓口のシャッターを空け、アールを引っ張っていきなり走り出す。
思い立ったら即行動は何も変わってないなと、アールは乾いた笑いを漏らしつつ、コーベスに引っ張られて行く。
程無くして、着いた先は上層、アールにとってもまた馴染みの深い場所だった。
行きつけの酒場『モグラ達の楽園』、2人はその入り口の前に立っている。
困惑するアールをよそに、コーベスはズカズカと、まだ準備中の酒場へと入って行く。
遅れてアールもそれに続く。
店内に入ると、客はおらず従業員もローズしか見えない。
不審な顔をしつつ、開店前に入ってきた者達へローズが近寄ってくる。
「はいはいまだ準備中ですよー……って、コーベスさんとアール? 珍しい組み合わせね、どったの?」
「マスターはおるかね? ちょっと用があって来たんじゃが……おるなら掛け合ってくれるかい?」
ローズは首を傾げつつも、常連の頼みを聞き入れる。
すぐに奥へと引っ込み、入れ替わりに酒場のマスター、ベルモントが姿を現す。
やはりこちらも怪訝な顔で、コーベスとアールに遠巻きから声を掛けた。
「コーベス……何の用だ? 今は忙しい、また店が開いたら」
「火急の用じゃ。ディガーと『工房』の話……。丁度他に客もおらんしな」
コーベスはカウンターに座りつつ話を切り出そうとする。
途端に、ベルモントの怪訝な顔は、アールの知らないベルモントの顔になった。
表情も、纏っている空気も、何もかもが別人の様に、その顔から感情が消えていく。
しかしコーベスは一切態度を変えぬまま、口を開く。
「まずは、アールがワシに話してくれた事からじゃが―」
「ちょっと待ってろ、先にすべき事がある」
そういってコーベスは奥へと引っ込む。
程無くして戻ってきたかと思えば、入り口を施錠してしまった。
狼狽えるアールをカウンターにつかせ、自身もまらカウンターに戻る。
「これで良い、他の奴等は帰らせた。……さて、用件を言え」
「帰らせたって……。その、本当にすいません! 営業妨害みたいな真似を……」
アールはベルモントに頭を下げる、こんな事態になるとは想像もしていなかった。
しかしベルモントは寧ろ態度を軟化させ、タバコに火をつけつつアールの頭を軽く叩く。
「気にするな、どうせ趣味でやってるもんだ、金目的って訳じゃねえ。……むしろ、こうなると解っててここに連れて来たジジイに、一発かましたいもんだ」
当のコーベスは飄々とした態度で、勝手知ったると3人分のコーヒーを淹れていた。
ベルモントは自身のコーヒーに氷を入れて、話を促す。
「こいつがウチに来るのは、本当に必要な時だけだ。……さっさと話せ、熱いコーヒーなんて趣味の悪いもん作りやがって」
「猫舌が何か言っておるわ。では遠慮なく、本題に入らせてもらおう」
コーベスはアールに聞いた話をベルモントにも話す。
地下でのソルとの遭遇、グレイの出自、過激派のソル達の事、話を広めるとまずい事態になり兼ねない事等を話す。
終始、ベルモントは落ち着いた態度でそれを聞いていた。
「……という訳じゃ。アールの仲間のサチェットが、『巧遅であれ』の協力を必要としておるのじゃが」
「待て。今の話を信じないでもない……。しかし、俺が協力する義理でもあるのか? 俺はあくまで、ディガー達の相談に乗る事までしかやってない。それ以上は俺の趣味じゃねえ」
信じないのであれば、論理的に話の信憑性の増やし信じさせれば良い。
相手が聞く耳を持つならばこれで通用する。
しかし、趣味でないというのは何とも難しい。
論理や損得を抜きにして、趣味嗜好や個人的な考えによるものだ。
それは各々の人間性によって幾らでも話が異なる。
ベルモントの事をよく知っているコーベスは言葉に詰まる。
なまじ正格を知っている分難しいと実感してしまった。
しかしアールは、そんな事は知らない。
ただ只管に、自分達が協力を必要としている事を訴える。
「今はどうしても……。地下のソル達には戦力が無いんです。俺達が戦力を整えて、アビティオ達を止めないと……」
「止めないと、どうなる? サークルに攻め込んできても撃退できるだろう、こっちには充分な鎧とディガーがいる。お前達が殊更躍起になる必要があるのか?」
逆にベルモントに論を説かれる。
確かに、アビティオ達が地上を攻めても、サークルの力はそれを撥ね退けるだろう。
特別にアール達が頑張らなくても、恐らくはアビティオ達の地上進出は失敗する算段が高い。
しかしアールは引き下がれない。
戦いを通して知った、救うべきブルックの事を訴えかける。
「向こうには、俺の弟がいるんです! しかもそいつがグレイそっくりの鎧を使ってて……。このまま地上を攻めたら、俺はまたあいつと戦う事になる。最悪の場合、あいつは地上からの反撃で……」
コーベスとベルモントは、アールの話に言葉を失う。
最悪の場合、自身の弟が命を失うと。
悲痛な未来が待っているかもしれないと言われ、それに口を挟む事はできなかった。
ベルモントは黙ったままぐいっとコーヒーを飲み干し、コーベスはアールに話しかける。
「お前さんなあ、わしにも話してなかったじゃろう。そんな大事な事はもっと早く……」
「いや、あくまで今のはまだちゃんと解ってる事じゃなくて……。でもあっちに俺の弟がいる、これだけは確実なんだ。血の繋がりは無いけど、俺は救い出したい」
ベルモントは無言のまま、空にしたカップをサっと洗い、奥から上着を引っ張ってきた。
それを羽織りつつ、アールとコーベスに視線を飛ばす。
「さっさと飲み干せ。……ジジイに家族の話を聞かせるなんざ、嘘にしたって効果覿面だ」
「相変わらず素直じゃないのお……。コーヒーを一気飲みというのも、やはり悪趣味じゃわい」
アールの話に感化されたか、ベルモントは協力を約束してくれた。
すぐさまコーヒーを飲み干し、アールは頭を下げる。
ベルモントは軽くアールを小突いてそれに応えた。
愉快な笑い声を上げコーベスもカップを空にし、3人で出発する。
アールは道中で2人の関係等を聞こうとするが、それは教えてくれなかった。
程無くして、3人で工房『巧遅であれ』に乗り込む。
デニスはいつもの調子でカウンターで新聞を広げていた。
「ぁーいらっしゃい。買う気があるならブツを持って来てくんな。……重すぎるってんなら、それはあんたには合わないってことだよ」
ベルモントを先頭に、3人でカウンターの目の前まで来る。
デニスはまだこちらが誰なのかに気付いていない。
いつもの調子で横柄に構え、新聞に執心している。
ベルモントは一つ咳払いをしてから、話しを切り出す。
「随分忙しいとか聞いたが、暇してる様にしか見えねえなあ? そいつは嘘だったのかい?」
「ぁー、いやいや幾ら忙しいたって。本当にずーっと働き詰めなんて普通の人間には不可能だろ。そんな事をやるのはバカか……どこかの、親方……か、な?」
デニスは滝の様に冷や汗を掻きつつ、新聞の上からこちらを覗き込む。
目の前の鬼と目が合う、椅子から飛び退いて後ろの棚に衝突した。
棚の上に置かれていた物が色々と落ちてくるが、そんな事には構わずに目前の鬼から逃げようと、棚に背中を押し付ける。
棚は退路を断ったままビクともしない。
怯えた表情で、カウンターを越えて近づいて来る鬼の顔を血走った目で見つめていた。
掠れる様な声を必死に出し、現実逃避と非礼の謝罪をごちゃごちゃにする。
「お、お、お……親方? いやいや、いや嘘だ。俺は寝て……いや夢だとしても……。すいません、本当にすいません! 気付かなかったんです! でも決して、さぼってた訳では……」
「……何も変わってねえなあデニス。びびってんじゃねえ、さっさと立て。……裏使うぞ俺が打つ、コーベスお前も手伝え。アールはサチェットとやらを呼んで来い、さっさと走れ!」
ベルモントは周りの人間全員に手早く指示を飛ばす。
有無を言わせない強烈な圧力を纏っていた。
アールは返事もできずにターレムへと走り出す。
突如として本性を表したベルモント、彼はアール達に何をもたらしてくれるのか。
コーベスとベルモントの協力により、工房『巧遅であれ』の協力を引き出したアール達。
しかし、他にもやるべき事は残っている。
夕食時に組合を当たっていたエミールと情報を交換し、今後に向けて方策を練る。
しかしそこで、エミールはとある事に思い至るのだった。
是非次回もご覧下さいますよう、お願い申し上げます。




