92 エピローグ
ダンジョンを出て娑婆の空気を堪能して思った事は、さっきのフロアの方が天気も空気も良かったのでは無いかという悲しい現実だった。
空から視線を外し、すぐに家に帰ろうか、いやメッセージを皆に送る方が先か、と考えながら歩き出そうとしたとき、横から声をかけられた。
「お待ちしておりました」
そこにいたのは、ななみだった。
「あれ、どうしてここに? 俺帰ってくる時間は分からないって言ったよな?」
俺が言うと、ななみはドヤ顔して
「ふっ、私ほどにもなれば、ご主人様が帰還される時間を予測することなど、たやすいことです」
そんな事を言った。
なーにいってんだコイツ。
ななみは胸を張っている。メイド服を押し上げるほどの存在感溢れる胸を。そんな彼女の横を見てふと気が付いた。
よく見てみれば木陰に木製スタンドが付いた、自立式ハンモックがあるではないか。その隣には高そうな円形のテーブルに、ティーセットとクッキーのような物が置かれ、本が積んであった。
予測したんじゃ無くて、ずっといたんじゃねえか。力技って言うんだぞそれ。
すっと彼女は体をずらし、ハンモックなどを隠そうとする。しかし、ななみの体じゃあ隠せる訳もなく、もちろん丸見えである。
「全く誰ですかね、あんな所で紅茶を飲んでいたのは。邪魔でしょうに」
どう考えてもお前だろう。てゆうかアレは紅茶だったんだな。
さて、どうやって論破してやろうか考えていると、不意に後ろから声をかけられた。
「あんた、この子の知り合い?」
その声に振り向くと、そこにいたのは掃除のおばちゃんだった。
「その子さ、昨日からなんだかんだ言ってそこをどかないのよ。邪魔でしょうが無いの。早く帰るように言って頂戴」
そう言って大きなため息をつきながら去って行く。お疲れのおばちゃんには悪いが、思わず笑ってしまった。おばちゃんに屁理屈言うななみが、容易に想像出来た。次会ったら、謝っておこう。
ななみはしれっとした顔で明後日の方向を向いていた。
「あっ、ちょうちょ飛んでますね」
「いや、もう諦めようか」
「それよりもご主人様!」
話を変える作戦らしい。まあ、別にそこまで追求する気も無かったから、同調してやろう。
「どうした?」
すっと彼女はメイドらしいお辞儀をする。
「四十層攻略おめでとうございます」
そう言われてふと気が付いた。そういえば攻略したし、まだそれを確認していなかった。イカロスは倒したし、種は入手したから、攻略されているであろう。
「ああ、そういえばそうだった」
「……四十層を攻略されたのですよね?」
訝しげな表情で俺を見る彼女に、思わず苦笑する。
なんだかそれどころじゃなくて、四十層がどうでも良くなっていた。攻略階層は学生証に記載されるんだったか。
荷物から学生証を取り出し見てみると、そこには『ツクヨミ学園ダンジョン』の横に『四十層』と書かれていた。これの仕組みって一体どうなってるんだろうな。
「ああ、攻略したよ」
それをななみに見せると、ななみの目尻が下がり花咲くように笑顔を浮かべた。
「素晴らしいですご主人様。しかしお体を見るに、お疲れの様子」
確かに服はボロボロだった。しかし体は綺麗だ。回復アイテムの力ってすげー。
「僭越ながら私が抱きしめまして、なでなでしてあげましょう。疲れが取れること間違いなしです」
ななみはニヤリと笑いながらそう言った。彼女は俺が『何言ってんだ……』なんて言うとでも思っているのだろう。しかし今の俺はそんな事はしない。
「じゃ、遠慮無く」
反応を確認すらせず、すぐさま彼女を抱きしめた。そして俺が、ななみの頭をなでる。包むように優しく。そして彼女の美しい銀髪に俺の顔を埋め、ゆっくり息を吸い込み、彼女の匂いを堪能した。
凄く嬉しかった。こんなところで昨日から待っていてくれて。
「あ、ご、ごご主人様」
最初はもぞもぞ動いて抵抗していたが、やがて諦めたのかされるがままになっている。最終的には俺の体に彼女の腕が巻き付いていた。
俺がななみを堪能して、ゆっくり体を離すと、彼女は熱に浮かされたように顔を赤くし、ぼうっと俺を見ていた。
「おかげで……疲れ、吹き飛んだよ」
変に抱きしめてしまったのだろう。髪が少し崩れてしまっていた。彼女自身で直す気配が無かったので、俺は彼女に近づいて髪を手ぐしで直す。そして頭をそっとポンポン叩いた。ななみは何かを言いたそうに上目遣いで見ていたけれど、結局何も言わなかった。
「幸助っ!」
俺がななみの頭をなでていると、こちらに二人の女性が駆けてきた。
制服姿で背中に長刀をくくりつけた先輩。そしてお嬢様ぶっているはずなのに、おしとやかさを投げ捨て走るリュディ。
そんな二人が満面の笑みを浮かべて、こちらにやってきた。
ドン、と突撃してくるリュディを抱き止める。
「二人とも……どうしてここに?」
連絡などしていないのに?
「ななみから連絡を貰ってな。それで……ななみはどうしたのだ?」
どうやら俺に話しかける前に連絡を入れていたようだ。ホント優秀なメイドだよ。
俺から離れたリュディも、ななみを見て首をかしげた。確かにいつもと様子が違うか。俺のせいであるが。
「ななみのことは気にしなくて大丈夫だ、それよりも今って授業中じゃないか?」
昨日来るなら分かる。昨日はテスト休みのため授業は無かった。しかし今日はそうではない。時間的に午後授業がまだ終わっていないはずだ。……もうすぐ終わりそうだが。
「うむ、抜けてきた」
「私も」
はっきりそう言われ、うれしさがこみ上げてくる。
「もう、いいんですか? 先輩なんて風紀会副会長さんだってのに」
「そうだな、テスト期間中だというのに学校をサボり、ダンジョンへ行く生徒の注意がしたくてな」
それを言われたら、
「うん、何も、文句は無いです! すいませんでした」
「まあ、ばらしてしまうと抜けても大丈夫な授業を選んでいた」
そう言って先輩は笑う。
「それに心配だったからな……」
「……すみません」
次に来たのは、先輩以上にここに居ちゃまずそうな人だった。こちらにのんびり歩いて来る彼女を見て、思わず吹き出す。
「姉さん、何してんの?」
授業中だろ? なんでいるんだよ。学生ならまだしも、姉さん、教師だろう? 今午後授業中だよな。授業無くても、テストの採点とか仕事しなきゃいけないよな?
「帰ってきたって聞いたから」
姉さんもか。ただ来てくれただけなのに、何でこんなに嬉しいんだろう。
「そっか……じゃあ仕方ないね。帰ったよ、姉さん」
「ん、おかえり」
「四十層攻略したよ」
「うん。そうだとおもった」
「姉さん、今授業中じゃない?」
「知ってる、自習してる」
ああ、笑いが堪えられない。まあ、姉さんに注意するのは毬乃さんやルイージャ先生に任せよう。それよりも俺はしなければならないことがある。
「皆、ちょっといいか。その、な。ちょっと伝えておきたいことがあって……」
今この場にいない人には後で伝えよう。
「もう知ってる人もいるんだけど、実は目標だった四十層を突破できました」
後半は想像以上にきつかった。しかしなんとか攻略まで行くことができた。成功した要因は何だったろうか。
それは。
「皆のおかげでここまで強くなれました」
毎日の修行のどこかに、必ず誰かがいた。
戦闘での一つ一つの動きに、皆の教えが生きていた。
一人になって追い込まれて確信した。
俺はこんなにも皆に支えられていたんだって。
未だ顔が赤いななみを、真剣な表情で聞くリュディを、微笑む先輩を、いつも通りの姉さんを。みんなを視界に入れる。
そしてポケットに入っていた、二つのお守りを握りしめた。
さあ、伝えよう。この溢れんばかりの感謝を。
可能性の種なんかより、もっともっと大切で、かけがえのない人たちへ。
「ありがとう」





