82 学園ダンジョン突入前② リュディ
前もって準備をしないと落ち着かなくなったのは、いつからだろうか。小学生の頃は行く前ギリギリでも問題なかった。中高生は完全におきっぱなしだったから、鞄の中はたいてい漫画やゲームやお菓子だった。大人になってからだろうか、前もって準備をしっかり行うようになったのは。
「だいたい全部、持ったな」
あと必要なのは食料だけだ。それ以外の荷物を全て入れたというのに、膨らみもせず、重さも感じない多次元収納袋は凄まじいを通り越して呆れる。物流改革どころじゃなくて物流革命が起る。ただ、ここまで高性能なのは、目玉が飛び出そうなぐらいの金を払わなければならないのだが。
ゲームでは1周目で必死に金策をしたというのに、この世界では毬乃さんにちょーだいの一言で済むとか、この家の金銭感覚おかしくね?
と、俺が荷物を机の上に置いたときだった。トン、トン、トンと部屋がノックされたのは。どうぞ、と声をかける。入室してきたのはリュディだった。
俺の部屋ではあるが、すでに勝手知ったる部屋なのだろう。入るやいなや、俺のベッドに座ると、部屋の守り神であり抱き枕でもある、シャチの人形マリアンヌを、膝の上にのせた。そして両腕でぎゅっと抱きしめる。
なあ、マリアンヌ。そこはどうだい? 気持ちいいかい? 僕に感想を教えてくれないか。むしろ場所代われ。
「ねえ、明日って試験じゃない?」
「ああ、そうだな」
「やっぱり行くのよね?」
「もちろんだ、そのために準備してきたんだからな」
四十層攻略のために特殊な訓練もしたし、アイテム類も用意した。そもそもだが、その準備のために学園へ行ったのだ。まあ、先輩に会うのも理由の一つだったが。
それにしても、ななみは大活躍だったな。おかげでルイージャ先生宅に布団が納品される前にキャンセルできた。後で先生の電話番号変えさせないと……。
「ふぅん。そっか。そうよね……」
そう言いながら、マリアンヌの胸ヒレを掴んでパタパタさせる。
「すぐ家を出るの?」
「いや、明日はあえてゆっくり行動しようと思っている。荷物をしっかり確認して、それからかな」
「そう」
「……なあ、どうした? リュディ?」
なんだか今日のリュディは様子がおかしい。
「近頃さ……幸助に迷惑ばかりかけているじゃない?」
「かけられたか?」
全く思い出せないのだが。
「かけてたのよ」
そう言ってマリアンヌの背びれを掴むと、膝の上に置く。俺にも膝枕して欲しい。
「だからね、力を貸してくれって言われて、ダンジョンに行ったときは少し嬉しかった。これで少し借りを返せる、って思って」
まあ、恥ずかしい思いもしたんだけど、と小声で付け足すと、マリアンヌを立てて顔を隠した。
ダンジョンね、あのダンジョンはショーツ……うっ。
「思い出さないでっ」
「す、すまん」
「……でさ、それでダンジョン攻略したら、一番価値のありそうな物を私達に配っちゃう馬鹿がいたのよ。借りを返せたと思ったら、のしをつけて返してくるの」
マリアンヌの顔の横から、半分顔を出し、ジト目でこちらを見る。
「馬鹿じゃ無くて、当然の帰結だろう。俺以上に有効利用できるヤツがいるなら、その人に使って貰うのが一番だ」
「だからって渡すことないじゃない」
そう言って彼女は目線を下に向ける。リュディの右手には、しっかりあの指輪がはまっていた。
「俺が渡したかったんだ。後悔なんて微塵もないし、リュディは有効利用してくれそうだし、何よりリュディには緑色が似合ってる」
「もうっ……」
少し顔を赤くしたリュディは、手に持ったマリアンヌを俺に投げてくる。俺はしっかりキャッチすると、温かいマリアンヌの頭をなでながらリュディの隣に座った。
「……ねえ幸助。私って、別にいなくても良い存在?」
「いきなりどうした……いなきゃならない存在だよ」
「学園ダンジョンでも?」
「……どうしても一人でやらなければならないことがあるんだ。だから今回だけは一人で行かせて欲しい。でもな、その後は絶対に俺一人じゃ攻略は無理だ」
二周目の伊織、先輩、生徒会長なら余裕で行けることだろう。だけど特化性能な俺には多分無理だ。だからこそ。
「だからそのときは一緒に来てくれないか?」
「そんなの、当たり前じゃない……」
と、リュディはポケットに手を入れると、俺を小突く。
「幸助、手」
「ん?」
「手、出して」
マリアンヌを離して、リュディの前に手を出す。するとリュディは俺の手の上に何かを置いた。
それは先輩と同じような形のお守りだった。シンプルな生地に、四つ葉のクローバーが描かれたお守りだった。
「雪音さんに聞いたら、和国のお守りを渡すって言うから……お願いして作り方を教わったのよ」
「……どうりで最近先輩が家にいる日が多かったわけだ」
なんかやけにうちにいる頻度が増えたよな、と思ってたんだ。三日に一回くらい来てたよな。あの一室は先輩の部屋っぽくなってる。まあいてくれた方が嬉しいし、訓練では凄く助かったんだけど。
「ごめんなさい、雪音さんに比べたら、凄く下手でしょ?」
そう言われて、そのお守りを見つめる。
「……確かに先輩のに比べたら下手かもしれないけれど、うまさなんて関係ない。俺にとっては甲乙つけがたい大切な物だよ。ありがとう」
リュディが俺を案じて作ってくれた、もうそれだけで宝物だ。
「うん……」
そう言ってしばらく沈黙していたリュディだけど、やがて。
「ああ、もう。なんで一人で行こうとするかな……」
そう愚痴る。
「今回だけだって」
「分かってる。分かってるけど、なんか納得いかないの。ああ、もう。ほんと、一人で無茶しに行くのは今回だけにして」
「分かってる。次からは誘うから」
ぷりぷりしてるリュディを見て思わず苦笑する。まだ苛立っている様子だ。だが納得して貰わないといけない。
「……ねえ幸助、ちょっと立って後ろ向いて」
ん、なんで? と思いながらも俺は立ち上がって後ろを向く。
それからすぐに、とんと、温かくて柔らかい物が背中に当たった。
リュディが俺の背中に抱きついていた。彼女の華奢な両手が、俺の腹に巻きつき、ぎゅっと締め付ける。
「……幸助」
「なんだ」
「駅の近くに、ラーメン屋、出来たらしいの……おごりなさいよ」
「おう、まかせろ」
そんなんで怒りを水に流してくれるなら、お安いご用だ。
俺は巻き付いた彼女の手に、自分の手をそえた。
「……幸助」
「なんだ」
「頑張って」
「……ああ」





