8 事件発生①
沈むソファーから背を離し、アイスコーヒーをテーブルに置く。そしてスマホを手にとって画面を見ていたら、小さなため息がもれた。
結構な時間を店で過ごしたかと思っていたが、集合時間はまだ先だ。気をつかう店員さんに少し店を案内してもらい商品を物色するも、コレと言ってめぼしい物はなかったし、デザインもぴんとこない。代わりにエンチャントするときに必要らしい消耗品をいくつか買ったが、それくらいだ。
……それにしても、暇だ。
辺りには春期休暇らしき数名の学生やサラリーマンやOLらしき人らが、各々何らかのドリンクを飲んでいる。ここが高級ホテルの隣のカフェだからだろうか、住んでる世界が違うような上品な人が多い。近くに座っている学生さんグループですら言葉遣いが丁寧だ。例えるなら辺りが制服やスーツを着ているのに、自分が私服を着ているような場違い感か。
隣にいる男性外国人は仕事をしているのだろうか。大きな荷物をテーブルの下に置いてあり、机の上には今まで見たことないような文字がいっぱいに書かれた紙束が置かれていた。彼は眉間に皺を寄せ、紙をじっとみつめている。その隣の女性は、スマホを操作しつつ、文庫本を開いていた。彼女の前にあるドリンクはすっかり空のようだが、出て行く気配はない。
目の前のテーブルに視線を戻し、半分以上飲んだアイスコーヒーを見ると、またもやため息が出てきた。
時間がもったいないな。
魔法書でも持ってくれば良かったのだろうか。いやもう遅いか。すでに使いそうな本は全て送ってしまった後だ。であれば、今から買いに行こうか? それも良いかもしれない。アイスコーヒーを飲み終わったら、さっきの店に戻って立ち読みしよう。
氷が溶けて薄くなったアイスコーヒーを胃に流し込むと、立ち上がってカフェから出た。
買い物はすんなりと終わり、一冊の錬金術書を抱え、さっきくつろいでいたカフェへの道を歩く。また来たのかと店員には思われるかもしれないが、集合場所はカフェ隣の高級ホテルロビーだ。他のカフェなんかに行くより移動が楽である。それにカフェは空調がしっかり効いていて過ごしやすい上に、座り心地の良いソファがある。無論飲み物だって美味しい。コーヒー一杯に千円取られるのだが。
日本に居た頃の俺ならば、絶対に利用しないであろう高級店だ。昔なら出せても八百円までだし、近寄ることのない場所の一つだったろう。しかし今の俺は少し立場が違う。
「花邑帝都ホテル、か……」
目の前に見えるのはそびえ立つ白銀のビル。それは辺りのビルと比べても頭一つ抜けて大きい。富裕層に向けて作られたそのホテルは、煌びやかで近代的でありながら自然とも調和している。ビル横にある美しい庭園の維持には、一体いくらの金が飛んでいるのだろう。
「花邑グループ、ね」
花邑グループといえば魔法界と政財界の重鎮であり、会長の声は政府にすら影響があるらしい。花邑毬乃は家を出たものの、花邑家の一員であることに間違いはない。そして魔法界を背負って立つ一人だ。魔法の実力はもちろん、魔法界での権力もあり、そして膨大な資産をもっている。
花邑毬乃だけで相当な権力と財産があるのに、実家も足したらもうどうなることやら。
ただ自分はその毬乃の息子になったのだ。ついでに言えば母は花邑家の人間だったのだ。ただ母親のことに関しては色々と情報が無かった。ゲームでも、現実となった今でも。ただ両親が花邑家から逃げたっぽいことは、なんとなく察せられたが。
「……カフェに行くか」
そう呟いて振り返った瞬間。それは起こった。
五感が初めに届けたのは、眩い閃光だった。それから間をあけることなく響く爆音。肌に当たるのは熱気を帯びた風。黒煙と焦げた臭いが辺りに立ちこめ、あたりは混沌と化した。
もはや言葉も出なかった。
辺りに轟く叫び声、黒煙の中を逃げ惑う人々。火の手が上がったカフェを、ただ呆然と見ることしかできなかった。
カフェからは幾人もの人が我先にと出てくる。腕を押さえた者、肩を貸して二人で出てくる者。ハンカチを口に当てた者。
俺もここから離れないと。そう思い視線をカフェからそらしたとき、目に付く人物を見つけた。
「……なんだ、あの外人」
恐怖に顔を歪め逃げ惑う人々をよそに、彼は無表情だった。苦い顔をしているわけでもない、恐怖に顔を歪めているわけでもない。感情が見えず、ただ工場のラインにいる人のように、淡々となにかをしているような。
表情だけじゃない、行動も不思議だ。
逃げ出した人々が集まる一角には行かず、カフェ隣のホテルに早歩きで進んでいるではないか。何らかの目的があるかのように。
彼が向うホテル、俺達が宿泊予定でもあるその花邑帝都ホテルからは、焦った人々が我先にと外に出ていた。そして隣のカフェを見て呆然とし、幾人かの人はスマホでどこかに電話している。またほんの一部の人は、その炎上風景を動画で撮影していた。テロならば対岸の火事では済まされない可能性だってあるのだが、彼らはその考えには至らないらしい。
そんな人があふれ出ているホテルにあの不思議な外人は向っている。そして流れに逆らうように入っていく男の後ろを、俺はこっそりついて行った。
ホテル内は喧騒に包まれていた。客も受付も混乱し、怒声があたりに響いていた。どこかへ電話するスーツ姿の男性。スタッフに何かを話す老夫婦。泣きわめく子供に目を丸くして右往左往する子供、それらを守るように抱き寄せて居る母親。そんな家族の横を彼はずんずんと進んでいった。
彼が奥に進んで数分程したところで、その足はようやく止まった。
彼の目の前には扉、そしてその扉の横に一人のスーツを着た赤髪の男性。彼らは小声で何かを話しているようだが、何を言っているのかは聞き取れない。
少し近づこうと身を乗り出そうとしたとき、扉の向こうから小さな爆発音が聞こえた。
扉の前にいた赤髪の男性が舌打ちをする音が聞こえる。赤髪の彼はその怪しい外人と何かを話していたようだが、一緒に室内へ入っていく。
俺はこっそり彼らの後をついて行った。
彼らが入ったのは大部屋の一室のようだった。何らかのビュッフェスタイルの食事会でもあったのだろうか。いくつものテーブルが置かれ、その上には料理や皿が置かれていたようだ。今は無残にも地面に散らばって、絨毯に汚れを作っている。そして、数人のスーツを着た男性らが、何かを囲んでいるようだった。
俺は近くのテーブルの下、敷かれているテーブルクロスを捲って、中に身を潜める。そして耳をすまして彼らの声を聞いた。
「この裏切りもの共め!」
どうやら若い女性が激高しているようで、誰かを非難していた。人として大切なものがない、恩を忘れて仇で返す、存在がクズ。尽きることのない罵詈雑言を聞きながら、俺はゆっくりテーブルクロスをめくる。そして囲まれて居る女性を見て思わず声を発しそうになった。
囲まれて居るのは三人の男女だった。耳のとがったイケメン男にこれまた耳のとがった美女が、一人の女性を守るかのように立ち、それぞれが杖をもっている。
そこに居たのは伸ばされた金色の髪をハーフアップにした碧目の女性。怒りのためか目はつり上がり、少しだけとがった耳がピコピコと動いている。あの容姿は間違いない。
(メインヒロインの一人じゃねえか!)
マジカル★エクスプローラーの初期バージョンは、攻略できる基本ヒロイン(メインヒロイン、サブヒロイン含む)が十二人いる。その中でも上位にはいるほど人気が高く、メインヒロインの一柱である、リュディヴィーヌ・マリー=アンジュ・ド・ラ・トレーフル(Ludivine Marie-Ange de La trèfle)さんだ。長く覚えづらい名前のため、彼女の友人や紳士諸君からはリュディと呼ばれている。
ただゲーム内のリュディに罵って貰うことに快感を覚えた、リュディ病患者と呼ばれる一部の特殊性癖を所持する者にとっては、彼女をフルネームで言えることは当然である。無論俺だってフルネームで言えるし、昔流行ったライトノベルヒロインのピンク髪のツンデレ貧乳や、幼女から婦女まで姿を変えるミスドが大好きな吸血鬼の正式名称だって言える。なぜ俺は長ったらしい名前を覚えるのが非常に得意なくせして、勉強では暗記が苦手なのだろうか。
さてリュディはどんなヒロインだったか。
原作では彼女は男性恐怖症、いや人間恐怖症のような女性だった。基本的にはとてもクールで、他者に対しての言葉が辛辣(特に男性に対して)。そのため彼女に近寄ると、私から離れなさい、と怒気を込めた声で言われる。ただし、それは初めだけだ。とあるイベントを経てつきあい始めると、態度が百八十度変わる。
そう、デレッデレのデロッデロになるのだ。
酸っぱい果実だったのに、熟れた果実に変わるのだ。しかしそのためには彼女のとあるイベントを起こし、事件を解決しなければならない。
また、件のイベントを経ても、主人公以外の男性には対応が酷く、瀧音幸助に至っては羽虫以下の扱いを受ける。ただそれが紳士諸君の独占欲を刺激するのか、とてつもない人気を誇っていた。後ほどアペンドディスク(追加パッチ)などでヒロインが十二人からさらに増えるも、その人気に陰りはなかった。
では、なぜ彼女は人を、特に男性を嫌うのだろうか。
(もしかして俺はその原因にいるのかもしれない)
追い詰められたリュディ達は、異形の銃を突きつけられる。先ほどカフェにいた怪しい外人も一緒になって銃を構えていた。
「お嬢様は勘違いされてるな。俺らは裏切ってなどいないよ、最初からこっち側だっただけさ」
リュディにそう答えるスキンヘッドの男性。
状況から察するに、どうやら彼らはリュディに仕えていたらしい。
怒りからか顔をゆがませ歯がみするリュディ。にじり寄る人々によって壁際に追い詰められるも、彼女の瞳に諦めの色はない。
その様子を見ていた俺は開発者ブログに書かれていた内容を思い出していた。
『リュディヴィーヌがあんなにも男性を毛嫌いするのには、ちゃんと理由があったんです。ただその設定だと非処女になるんですよ。そしたら上司が「富士山級の苦情が来るから、非処女だけは何が何でも絶対に天変地異が起こっても死んでも生まれ変わっても次元が変わっても邪神に体を乗っ取られても止めろ」といいましてw。まあ結局いろいろあった設定で処女という事に落ち着きましたw』
と、シナリオライターは俺達紳士にケンカを売るような設定を考えていたはずだ。
また、ゲームで彼女と仲良くなるにつれ、明かされていく過去の出来事も、今の状況と一致している。『私、前に信じていた人たちに裏切られたの』と、泣きそうな顔で打ち明けた姿は俺の脳に刻まれている。今まさにこの場面のことだろう。
ならば俺はどうするのが良いのだろうか。
ここで彼女を助けることは物語を大幅に変える可能性がある。彼女の敵対する組織は序盤から中盤にかけて重要な敵役として出現するのだが、もしかしたら攻めてこなくなる可能性がある。
なら、俺は助けにいくべきなのだろうか?
いや落ち着こう。そもそも、そもそもだ。今の俺は、彼女を助けられるのだろうか。
彼らが持つ未知の武器を今ある装備で耐えきれるのか。有るのはストール一枚と予備用にもっていたマフラー一枚のみだ。もしこのストールが貫かれたら……。
そして実戦なんてしたことがない俺が役に立つだろうか。戦いらしきものなんて学生の頃にした柔道くらいで、あとはからっきしだ。そんな俺が彼女を助けられるか?
それにだ。もしゲーム通りなら、リュディを助けた人は毬乃さんという設定だったはずだ。俺ではない、毬乃さんなのだ。それはゲーム中の台詞で明らかになっている。
じゃあ仮に俺がここで出しゃばって状況を悪化させてみろ、毬乃さんは余計に動きづらくなり、最悪の場合デッドエンド直行かもしれない。何事もなかったかのように引き返すのが良いだろうか。
「もう諦めたらどうだ?」
スキンヘッドの男がリュディにそう言う。しかしリュディは首を縦に振らなかった。
「こちらには鉄壁のクラリスがいるわ、あんたたちに打ち破れるわけないでしょう。それに長引けば長引く程あんたたちは不利なんだから」
クラリスとは彼女の斜め前に立ち、杖を構えている女性だろうか。ゲームでは見た覚えはない。
スキンヘッドは彼女をちらりと一瞥すると、肩をすくめた。
「やれやれ。お嬢様は俺たちが何ら対策をしていないとでも思ったのか?」
「どういう……えっ?」
スキンヘッドがそう言った瞬間だった。リュディの目の前をなにかが通り過ぎ、クラリスが崩れ落ちたのは。
リュディの前を通り過ぎたのは、クラリスの横に立っていた男性、リュディ側に付いていたと思われるイケメンだった。クラリスは腹に拳を受けたようで、腹を抑え崩れ落ちる。その彼女の体をイケメン男性は踏みつけた。
「アギィッァァァ」
何度も、何度も踏みつけた。クラリスはそのたび声にならない悲鳴を上げ、苦痛の表情を浮かべる。
「うそ、うそよね。うそでしょう……。オーレリアン、貴方もなの」
あんなにも強気だったリュディの顔は崩れ、今にも泣き出しそうだった。俺が分かるくらいに手足が震え、逃げ場はないのに後ずさっている。そしてすぐに壁に足がぶつかり、後ろを向く。退路がないことを彼女は思い出したようだ。
「ククッははははは、はぁぁぁっはっははははあ」
それを見たオーレリアンは大声で笑い出した。腹に手を当て心底おかしそうに笑っていた。
「その顔が見たかったんだっ! はは、何のために何年もガキのワガママに我慢してたと思ってたんだ。全部このためだよ。さいっこうだ!」
じり、とスキンヘッド達が一歩前に出る。全員がリュディに銃を突きつけじりじりと近づいていく。
「おいおい、お前らまだ撃つなよ、殺す前に少し楽しんでからだ」
オーレリアンはへらへら笑いながらそう言う。するとスキンヘッド以外の周りの男性は小さく歓声を上げた。
俺は持っていたマフラーの予備を取り出すと、顔が隠れるように頭全体に巻く。そして目線が確保出来るようにマフラーを動かした。そして身体強化魔法、マフラーとストールにエンチャントを施す。
じりじりと近寄っていくスキンヘッド達。ニヤニヤ笑うオーレリアン。
あと十メートルもない、と言うところで、リュディの瞳から一筋の線が出来た。そして反対側の瞳からもぽろりと滴がこぼれ落ちる。
ああ、不思議な感覚だ。怒りで頭が沸騰しそうだけど、なぜか思考はすっきりしている。矛盾しているけれど、そんな感じなんだからそうとしか言い様がないが。
さて、行こう。
『展開が変わるから助けない』だとか、『自分が危ないから見なかったことにする』だなんて選択肢は、微塵も残っていない。





