52 瀧音幸助③
「ああ、おいし」
そう言って毬乃さんは幸助が入れたコーヒーから口を離す。魔族関連でごたごたしていたせいで、久しぶりに毬乃さん達と夕食を共に出来たというのに、彼はコーヒーを淹れて食後の素振りに出てしまっていた。
「ほんと美味しい」
そう言って山のような砂糖を入れたコーヒーを飲むはつみさん。
「くっ」
悔しそうに紅茶を飲むクラリス。確かに彼はコーヒーだけでなく、紅茶も淹れるのが旨い。どうしてこんなにも美味しいコーヒーや紅茶が淹れられるのかを尋ねたら、『脱サラしてカフェを開くのもいいかなって思ってたんだよ』とツッコミどころ満載な台詞を残し、話をはぐらかされた。脱サラはジョークだとして、本当はどういった理由だったのだろう? 亡くなられたご両親が好きだった? ならば言いづらいか。
幸助なら会話を重くすることをいやがり、配慮してくれたのかも知れない。
「目に余るくらい休むようなら注意しようかとも思ったのだけれど、出席日数を計算しているようだし、苦手な科目こそしっかり出席しているのよねぇ……」
毬乃さんの言うとおり、幸助は自分の苦手科目こそ、なるべく出席するようにしている。これが素行不良の生徒であれば、苦手な教科こそサボるのであろうが。
「むしろこうすけの成長度合いが目に余る」
とはつみさんは淡々と話す。ははっ……、とクラリスが乾いた笑いを漏らしていたが、ここ最近負け続きのクラリスが、彼の成長を一番感じていることだろう。
「危ないお薬でもやってるのかしら? なんて考えちゃうくらいには異常よね」
「私も欲しい」
はつみさんも理解しているだろうが、そんな物は実在しないだろう。
「やはり授業を欠席している間に、何かしらをされているのでしょうか?」
と、クラリスが言うと毬乃さんは頷いた。
「そうね、しているわ。それもしっかり学園の記録に残っているの。ただその記録がね……異常なのよ」
「ええと……異常ですか?」
と私が言うと、毬乃さんは話を続ける。
「ええ、おかしいのよ。コウちゃんは初心者ダンジョンに挑み続けているのだけれど……まあそれはわかります。まだ学園では一年生にツクヨミダンジョンを解放していないから」
ツクヨミダンジョンは初心者ダンジョンとは比べものにならないほど、難易度が急上昇するらしい。そのためある程度ダンジョンについての教育を受けた後、初心者ダンジョンを攻略した者のみ攻略が許可される。その教育が終わる予定が来月初め頃であるが、残念な事に定期考査と被っているらしく、テスト後にならなければ潜れない。
毬乃さんは、これは「個人情報だから、本当は機密事項よ?」と前置きして話し始める。
「コウちゃんはね、一日に複数回もダンジョンに潜ってるの。複数回よ? 普通一日一度潜れば十分じゃない? それも食事の時間を除けば2時間おきに。それだけで異常なのに、何より異常なのは、彼がしっかり攻略を終えていることなのよ」
はぁ、と毬乃さんがため息をつく。するとクラリスが驚いた様子で毬乃さんに質問した。
「攻略を終えている? 一日に複数回も? 済みません、わたくし毬乃様にツクヨミ初心者ダンジョンは十層ダンジョンと伺った記憶があるのですが」
初心者ダンジョンに挑んだことのないクラリスはそんな疑問を口にする。
「ええ、そうね。十層よ。しっかり計測をした事は無いけれど、学園最速攻略であることは間違いないわ」
「瀧音様は一体ダンジョンで何をしているのでしょうか?」
クラリスの疑問は、この場全員の疑問である。
「それが分かればコウちゃんの成長も説明できそうね。毎日ランニングや、素振り、そして常時エンチャント(第三の手第四の手)、それらだけではとうてい説明出来ない成長度合い。いえ、今連ねた物も一部おかしいのは理解してるんだけれど……」
と毬乃さんは苦笑する。
あのツクヨミの魔女である毬乃さんでも常時エンチャントなど不可能だ。それを可能としているのはあの類稀な魔力量の幸助だけ。
まったく、今の花邑家は一体何なのだろう。
歴史に名を残す魔法使いを輩出してきた花邑家の血筋ではあるが、今代が一番魔法使いに恵まれているかも知れない。毬乃さんに時空魔法の権威であるはつみさん、そして幸助。
毬乃さんが台頭するまでは「花邑家は魔法使いから商人に鞍替えしたようだ」なんて揶揄されていたらしいが、今では聞くことはない。
「こうすけの凄いところは……どこか達観した思考かも」
確かに。幸助はまるで実際より何年も生きてきたような落ち着きがある。学園では学生達のノリに合わせた阿呆な振る舞いをしているが、内心はしっかりしていて、場合に合わせてしっかり切り替えることが出来る。
そして他の生徒にはない芯みたいな物があって、ふとした拍子に見せる哀愁を帯びた表情に、不思議と重みのある言葉は、彼が年齢を偽っているのではないかと錯覚させる。
ただ彼が過ごしてきた環境を鑑みれば、そうならざるを得なかったのかも知れない。
「……私は生き急いでいるようにも、見えるのよね」
毬乃さんはぽつりと、そう呟く。すると辺りは沈黙に包まれる。確かにそうも見ようと思えば見えるのだ。気が狂いそうな程の鍛練なんて、普通はしない。
「ごめんなさい、こんな話すべきではなかったわね」
毬乃さんは私だけを見ながらそう言った。つまりそういうことなのだろう。
でもそういうことは言って欲しくない。私は見て、知って、そして彼の助けになりたいと思っているのだから。
「なんだかコウちゃんが羨ましいわ……」
私達を見ていた毬乃さんは、そう呟く。
「幸助がどうしてダンジョンに潜り続けているか、私が聞いてみます。幸助のことですから、案外自分の成長が楽しくて、攻略しているだけかも知れません」
私がそういうと、毬乃さんは苦笑して頷いた。
「コウちゃんだったら何でもあり得そうなのよねぇ」
それについては同感だ。
パン、と毬乃さんが手を叩く。
「なんにしろコウちゃんは頑張って自分を高めている。だったら私達は頑張っているコウちゃんをねぎらってあげましょう。学園では色々と鬱憤がたまっていそうだものね」
そう言ってウインクする。
そして真っ先に頷いたのは、はつみさんだった。しかし彼を労うならば真っ先に行動しなければならないのは、LLLで迷惑をかけてしまっている私だ。私のせいではないとは言えばそうなのだが。
「何をしてあげるのが良いでしょうか?」
と私が尋ねる。
「そうね、たとえば『褒めてあげる』、『マッサージしてあげる』、『好きな物をあげる』、『添い寝』、『頭をなでる』、『添い寝』、『耳かきをしてあげる』、『添い寝』、『添い寝』なんかどうかしら」
なぜ添い寝をこんなにも推すのかしら。場の空気を一度重くしてしまった為に、冗談で笑わせようとしているのだろうか。とはいえエッチな彼の事だ。私は苦笑しながら
「確かに喜びはしそうです」
と答える。現実的に考えればマッサージが良いだろうか。今も食後の運動と刀を振るっている彼にしてあげても良いかもしれない。
まずクラリスにやり方を聞かなくちゃ、そんな事を考えながら彼が淹れてくれたロイヤルミルクティーに口をつけた。
そしてふとクラリスを見つめる。そして思わず顔をしかめた。
彼女は名目上メイドである。ただ、私を守るための騎士業がメインだ。とはいえ紅茶淹れに関しては、花邑家に常駐しているクラリスの仕事である。
元々クラリスも良家の令嬢であるから、紅茶の知識はそれなりにあるし、淹れるのもうまい。
しかし彼の紅茶はクラリスのそれよりも香りよく、そしてミルクと砂糖、そして蜂蜜のバランスが絶妙だ。まるで私専用に淹れてくれたみたいだ。クラリスに出した紅茶は私とはまた違った淹れ方をしていたから、クラリスにも好みに合った物が出されたのだと察せる。
美味しかったのでしょう? 分かるわ。でもね、嫉妬するのは結構だけど、悔しそうに「くっ」て言うのはどうかと思う。
そういえばはつみさんが部屋から出て行った後に、毬乃さんが「花邑家の未来は安泰ね」と言っていたが、なんのことだったのだろう。
瀧音家では彼の昔を知っているからこその勘違い発生中。それに伴う事件は次話。





