21 花邑家 クラリス②
さて、今回の件について誰に非があるかと問われれば、間違いなくクラリスさんであろう。なぜなら俺は善意で手伝いを申し出ただけなのだ。そして階段で危険が迫った彼女を支える役目をはたし、いわば彼女を助けているのだ。それなのにリュディ殿下は訝しげな目で俺を見続けている。
「本当なの?」
表情だけでなく、口からもでてきた。だんだんと言葉遣いが素の状態になってきている。
「本当ですよ」
ええー? とばかりにクラリスさんの顔を見る。もちろん彼女は頷く。
まあ確かに尻と胸を触った前科があるし、その反応は分からなくもないが、もう少し俺を信じて欲しい。ただ残念なことに変態であることは否定できない。
「そ、その。本当なのです」
と、至極申し訳なさそうな顔でクラリスさんがフォローを入れる。
「そう、ごめんなさい、顔を叩いた事は謝るわ」
なんだかまだ納得いかない様子だが、リュディはそういって頭を下げる。
「いえ、あの現場を見たら誰もが勘違いをすると思います」
そりゃぁ女性物の服の真ん中で、黒いショーツを握った男性を見つけたらそりゃ殴りますよ。クラリスさんとリュディの二人に殴られるとは思って無かったが。
「本当に、申し訳ございません……」
深々と頭を下げるクラリスさん。
「いえ、気にしていないので」
と俺が声を掛けると、リュディが彼女に小声で何かを耳打ちする。するとクラリスさんは『そんな事はありません、多分』と俺にも聞こえる声で返した。
何を言われているんだろうか。ある程度は察せる。良くないことは確実だろう。
そんな時、ふいに部屋がノックされる。
「リュディ様、陛下からお電話が……」
おそるおそる顔を出したのはメイドらしい格好をした女性エルフだった。メイドってこうだよなあと思いながらもクラリスさんと見比べる。クラリスさんメイド服似合いそうだなぁ。
リュディはクラリスさんに一言二言話したのち、こちらを気にしつつも退室していった。
「…………」
「…………」
部屋の中を沈黙が支配する。
さて、俺はなんと声をかければ良いのだろうか。今まで社会人(社畜)として死屍累々の中で一生懸命働いてきたが、こんなこと一度も経験したことがない。
気まずい沈黙の中、口を開いたのはクラリスさんだった。
「何度も助けて貰って。その、私に出来ることがあれば、何でも致します。なにかございませんか?」
思わず耳を疑う。え、今なんでもするって言った?
いや、何を考えてるんだ……反射的に反応してしまった。彼女はもちろん常識の範囲内で、何でもすると言ってるんだろう。
そうなるとだ。なにかお願いしたいことはあっただろうか…………結構あるなぁ。それも大切な事があるな。もちろん自身の強化だ。
「ならお願いがあるんですが!」
と身を乗り出す勢いの俺に驚いたのか、体を少しこわばらせ、沈痛な面持ちで彼女は頷く。
「え、ええ。覚悟は出来ています」
はて、彼女は何の覚悟をしたのだろう。
「……ええっと、どういうことかは分かりかねますが……僕がお願いしたいことは、剣の稽古ですが」
「…………」
クラリスさんはしぱしぱとまばたきすると、ああ、と声を上げた。
「け、剣の稽古でしょうか?」
「そうですけど……」
はて、彼女は何の想像をしていたんだろう(遠い目)。
すると「ああっ!」と声を出したかと思うと、急に立ち上がる。
「そ、そうですよ。剣の稽古です。もちろんです。まずは基礎体力。さあ、走りに行きましょう!」
いやいや待って欲しい。
俺はドアに向いかけた彼女を第三の手で制す。あまりにも性急すぎるだろう。
「ま、待ってください。あの、今すぐにというわけではなくてですね、そもそもですが窓見てください」
と、日が沈んで星が浮かび始めた空を見せる。走ると言っても辺りは暗いし、夕飯も近い。
「大丈夫です、私が灯りになります!」
「いや意味分かんねえし、どんな状態だよそれ」
「お任せください、私、得意なんです」
「余計意味が分かりませんから。落ち着いてください」
漫画だったら目が渦巻きになっているであろう混乱っぷりだ。現に視線が四方八方彷徨ってる。
「いえ、落ち着いていますよ。大丈夫です。ええ、トレーフルの昼行灯と呼ばれたーー」
それ灯り関係ないし、そもそもあざけりの言葉ではないですかね?
「おーい、リュディヴィーヌ様、リュディさーん、僕をお助けくださーい!」
ドアを開けて助けを呼ぶ。もう無理。
----
それからすこしして現れたのは、残念なことに目的の人物ではなかった。
「……どうしたの?」
いつものように無表情ではあるが、軽く首をかしげるはつみ姉さん。何をしていたかは分からないが、着ている白衣が絵の具で落書きされたような状態になっている。
「あの、クラリスさんが」
と、口にしただけですぐさま姉さんは、ああ、と納得したように頷いた。
「大丈夫、放っておけば明日には治ってるわ」
え、放置? それに……もしかしてこれ一日続くの?
「……クラリスが何か大きな失敗をしたのでしょう? ミスを引きずるのは変わってないわね……ふふっ」
ふふっ、じゃないよ。止めてください。
それからクラリスさんが落ち着いて部屋に戻ったのは、15分くらいしてからだった。
ようやく落ち着いたこともあり、俺が姉さんに何があったかを詳しく話していると、ようやく本命の人物が目の前に現れた。
「ごめんなさい、遅くなったわ。私を呼んでいたみたいだけれど……察するにもう解決したのかしら?」
遅いよ、と思うがもちろん口には出さない。
「ええ、解決したので大丈夫です」
「そう…………」
とリュディが言った後、目線が姉さんの白衣で止まる。ただ姉さんは全く気にしている様子はない。
「まあ、話を戻すけど……それでクラリスさんが足を滑らせて、僕が彼女の……まあ、荷物をですね、頭から被ったんです」
「それも女性物の下着をね」
と、リュディ殿下が一番言いたくなかったことをさらりと言う。姉さんは納得したように頷いた。
「ラッキーだったわね」
「ええ、本当にそう思…………リュディさん、手から魔力がっ! 冗談だから抑えて!」
まあ冗談でも何でも無くて、心からの気持ちが漏れただけなんだが。
「リュディ?」
眉間に皺が寄る。ああ、こんな彼女をゲームで何度見たことだろうか。ゲームで威圧&罵倒されると幸せになるのに、現実でされるとこんなに恐いなんて。でもちょっとだけ幸せも感じてる自分がいる。
「ヒェッ、すみませんリュディヴィーヌ殿下!」
すると彼女は小さく首を振った。
「リュディでいいわ、敬称も要らない。それよりも貴方、本当はクラリスの服目当てでわざと転ばせた、なんてことはしてないわよね?」
おっと。一度引っ込んだ疑念が、姉さんの一言によってまた復活の兆しを見せている。いや、俺が率直な気持ちを吐露してしまったことが原因か。
「そ、そんなわけ無いじゃないですか」
「まあ、そうよね。でも覚えておいて。もし下手な下心を持って私たちに近づいたら……生まれてきたことを後悔させてあげるわよ」
と笑顔で言われて思わず悪寒が走る。この雰囲気は恐い。どうにか話題をそらそう。
何か話題はないだろうか、と周りを見て姉さんの服に目が行く。そういえば姉さんはどうしてそんな絵の具みたいなのが白衣についているのだろうか。
「も、もちろん下心はないですよ! そ、そういえば姉さんは何してたの? もしかして忙しいんじゃない!?」
もし邪魔にならなければ姉さんの手伝いを買ってでよう。そしてこの場からフェードアウトしようではないか。
「忙しいと言えば忙しいかもしれない。実は母様に……料理を教わりながら夕食を作っていたの」
へえ、なるほど、料理ね。……………………料理?
もう一度俺は姉さんの白衣に視線を向ける。料理というのは、服に絵の具やら蛍光塗料やらが付着する可能性は、万が一にもないと記憶していたのだが。
いや、待って欲しい。もしかしたらマジエロの世界と地球の料理は、見た目が異なる可能性がある。現にモンスターの肉なんて物は美味しかった。外国には気味悪い色のお菓子があったのを見たし、食べたこともある。そう、だよ。見た目がアレなだけで中身は安全なはず。安全でなければおかしい。安全に決まっているではないか。
いま隣にはリュディがいる。彼女にこの世界の料理について質問してみよう。多分彼女はいつもの調子で「なに、そんな事も知らないの? しょうが無いわね」なんて言いながら教えてくれるはずだ。
俺は一抹の不安をぬぐうため、リュディを見つめる。しかし、彼女は顔面を蒼白にし、引きつった笑みを浮かべていた。
こいつぁやべえ。
「私が味見して貰おうと思って母様に声を掛けたら急に仕事が入ったみたいで……それでもしこうすけが暇だったら……どう?」
毬乃さん逃げやがった。手に負えないと思って逃げやがった。
「っっ……ぁぁぁぁあ。ゴメン姉さん。学園に使う物で買い忘れていた物があって……買いに行く予定だったんだ!」
と言うと無表情な彼女の顔が、ほんの少しだけ悲しそうに変わった……ような気がした。
「そう……ならリュディヴィーヌさんはどう?」
と話を振られたリュディがビクリとし、体をこわばらせた。
「ええ、その……なんというか」
と、しどろもどろになっている彼女は俺の顔を見るなり、何かを思いついたように笑顔を浮かべた。そして俺の隣に寄ってくる。
「そう、彼と一緒に買い物に行く予定だったの!」
ファッッ?
「え、そんな話きいて……ふんぐぅっっ」
と俺が言い切る前に、背中に鋭い痛みが走る。どうやらリュディが身体強化した上で俺の背中をつまみ上げているらしい。
「話を合わせなさい……」
耳元でボソリと囁かれた。ヤバイ、青筋が浮かんでる。
「そ、そうだったそうだった。ゴメン姉さん。また今度という事で……」
「そう、仕方ないわね」
そう言って姉さんは少し悲しそうな表情のまま部屋を出て行った。
その背中を見送った俺とリュディは、同時にため息をついた。





