147 学園長室にて
リュディ視点です。
「ふぁぁああーおっっっいっしーですね、このお菓子」
学園長室のソファーに遠慮なく座り、目をキラキラさせた結花ちゃんはお菓子を口いっぱいに頬張る。こんな素敵な食べっぷりを見てしまったら、出した側は笑顔になってしまうのは仕方ないだろう。
「結花っ……!」
相手が相手だからだろうか。伊織君は小声で注意するも、毬乃さんに対してその必要はない。
「伊織君ったら、そんなこと気にしなくて良いわ。貴方もどんどん食べてね」
結花ちゃん達を見つめながらニコニコと笑う毬乃さん。
「それで、聞きたい事って何かしら?」
遠慮のかけらもない結花ちゃんが気になるようだったが、伊織君は話しはじめた。
「学園長は……ラジエルの書をご存じですか?」
毬乃さんは表情を変えず
「へえ、それ、コウちゃんにも似たような事を聞かれたわね」
そう言って毬乃さんはクスクスと笑った。そう言って置かれた紅茶に手を伸ばす。
「どう解答するのが良いかしら……知っているけれど、知らないというのが正しいのかしら」
「それはどういうことですか?」
「存在していることは知っている。本当にあるかは分らないけれど、ある場所は知っている。詳しくは最近知ったのよ」
「最近知った?」
毬乃さんは伊織君に視線を向ける。
「でもここまで調べたからには、伊織君はすでに何か目星はついている、そうでしょう?」
「それは……」
伊織君は言いよどんだ。そして笑顔を崩さない毬乃さんは頷く。
「ごめんなさいね。変な言い方をして。実はね、私も詳しくは知らなかったの。でも最近そのことについて知った」
「どういうことですか」
私の問いに、毬乃さんが頷く。
「私が詳しく知った理由が、コウちゃんよ。実はね直近にコウちゃんから同じような話をされて……その詳しい場所の話まで出てきたの」
「っはぁーっ……!」
「もう、やっぱりっ……!」
大きなため息を吐く結花ちゃん。そして伊織君が悔しそうに呟く。やはり幸助は色々と知っている。
「伊織君が知っている情報を教えてくれないかしら。そしたら私の知っていることを教えましょう」
「僕達の調べでは……ラジエルの書は実在していて、置かれている場所が学園、もしくはその近辺である事が分ってるんです」
「うんうん♪ それで?」
「そして天使ラジエルは堕天している可能性がある」
「あらあら」
笑顔のまま、相づちをうつ毬乃さん。その顔には驚きはない。そして期待に満ちた目で伊織君を見つめた。
「ええと、ここまでです。それで学園に詳しい学園長なら、何かご存じではないかと思いまして」
「以上……? そっか。そうよね」
へぇと毬乃さんは頷く。そこでようやく毬乃さんの表情が驚きに変わった。
「毬乃さん?」
私が毬乃さんの思考に疑問を抱いていると、毬乃さんは何でもないわと話を切りだす。
「ラジエルの書がどこにあるか、天使ラジエルは堕天しているか、その辺りを知りたいのね?」
そうです、と伊織君は頷く。
「私もコウちゃんの受け売りよ。それでもいいなら……」
毬乃さんは不意に首をかしげる。
「そういえば……コウちゃんからは話さないでと言われていないし、まあいいわ。うん、話して良いわよね♪」
毬乃さんの笑顔に思わず私たちは苦笑する。
毬乃さんはツクヨミ学園ダンジョン四十層攻略の際に、『話さないで欲しい』と言われていながら話した実績があるから、幸助も話されることを覚悟していたとは思う。
あれ、でも何かが引っかかる。
「そうねぇ。ラジエルに関して話す前に前提として聞いて欲しいの。この学園の規模は世界を探しても比類ないわ。アマテラス学園やスサノオ武術学園と比べてもね。結花ちゃんはそう思わなかった?」
話を振られると、真剣な顔をしていた結花ちゃんが渋い表情を浮かべた。スサノオ武術学園のことを思い出したのだろう、結花ちゃんは頷いた。
「思いましたよー! ここって、そもそもの敷地が広すぎなんです、まったく。こんなに広いと全然覚えられないですよ、ここはダンジョンですかっ」
「ふふふっ、ふふふふっ」
毬乃さんは声を出しながら笑う。
「ダンジョンね。確かに小さなダンジョンの一フロアなんかよりも広いわ」
「転移魔法陣で移動って、初めて聞いたときに、っはぁーっ? って思いましたよ。今では納得です」
「そうそう。だからこそ、よ。私は学園を完璧に把握できているわけではないわ。もちろん学園にいる誰よりも知っているとは思うのだけれど」
それは当然だ。上に行けばいくほど、一人で全ての把握と管理は無理だ。ある程度を他の人に任せなければならない。
トレーフル家でもそうである。父上は皇国の領地の全てを知っている訳ではない。その土地その土地に管理者を置いて彼らに任せている。自宅だってそうだろう。庭の手入れは庭師にお願いするし、その庭師は父上が信頼している執事が選ぶ。庭の隅々まで見ているのは庭師であり、父上じゃない。
「コウちゃんは『図書館』と言っていたわ」
「図書館」
伊織君は目を大きく見開いて、そしてため息を吐いた。
「ええ、図書館。伊織君は予想できていたのかしら」
「仮に学園にラジエルの書があるとして……候補の一つが図書館でした。木を隠すなら森って加藤さんが言ってたのがきっかけなんだけれど」
そう言って伊織君は私たちを見る。
「ごめんね。図書館の確信が持てなかったから言わなかったんだ」
私は頷く。すると何かを考えていた結花ちゃんは伊織君ではなく、毬乃さんに向かって言った。
「図書館について教えて欲しいんですけど」
「私が話すよりも司書の方が詳しいと思うわよ。幸助が聞いてきたのは管理している司書さんの名前だったし」
「っ! それって……もしかして桜さんですか?」
毬乃さんは頷く。
「ええ、その桜さんよ」
伊織君は脱力し、ソファーに寄りかかる。そしてすぐに頭を振り立ち上がった。
「何かあれば私ができるだけ力を貸すわ」
毬乃さんはそう言った。
私たちが退室しようと立ち上がると、毬乃さんは私を呼び止める。
「ああ、そうだわ。リュディちゃん。ちょっと話があるから残って欲しいわ」
そう言われて、伊織君と結花ちゃんは先に行ってるねと退室していく。
「どうかされたのですか?」
「大したことではないんだけどね」
そう呟いて空になったカップをてにとり、紅茶を入れ始める。
すると私のツクヨミトラベラーが振動した。
クラリスやななみの『いつ頃お帰りですか』のメッセージかと思い、簡単に返信し毬乃さんの話に集中しようと思った。しかし。
『すぐに見て欲しいです』
メッセージは結花ちゃんからだった
『毬乃さんって何か隠していないですか?』
私もそれは思っていた。自然でいて、何か引っかかるところが所々にあったのだ。
『なーんか言葉巧みに誘導された気がするなーって』
『もし聞けたら、何か隠してないですかと聞いて貰っても良いですか?』
『誤魔化されて終わるとは思いますけど……』
『こっちは、お兄ちゃんはお兄ちゃんで何かを隠していそうなので、ちょっと聞いてみます』
そのメッセージから目線を外し、じっと毬乃さんを見つめる。毬乃さんは笑顔で紅茶を入れていた。そしてこちらを振り向くと首をかしげる。
「あら、どうしたの? 私の事が気になる? そんな熱視線で見つめられると恥ずかしいわ」
私は彼女の冗談を無視し、頷いた。
「毬乃さんは……何か隠していないですか?」
「フフッ。女は秘密がある方が美しく見えるのよ…………」
まだボケようとするのだろうか。私がジト目で見ていると毬乃さんはクスクスと笑う。
「冗談だわ……リュディちゃんの言うとおり、確かに隠していることはあるわ」
そう言って毬乃さんは紅茶を飲む。
「でもコウちゃんに聞いた方が良いわ。私も驚いているのだけれど、コウちゃんは私よりもラジエルに関して知識がある。これは本当の話」
「……っ」
「それでね、リュディちゃん私がお願いしようと思っていたことに繋がるんだけど……」
「はい」
「コウちゃんのこと頼むわよ。貴方はよく知っているでしょう?」
「……はい」
知っている。彼は無茶をする人だって事を。
毬乃さんは嬉しそうに頷いた。