11 花邑家
悩みというのは、大抵が金か人間関係である。
それは大多数の人がそう言っているし、自らが前世で経験したことでもあるし、何よりアンケートなどでそうであることが明確にされている。
ゲームをやっていてもそう思うだろう。特にエロゲに関していえば、主人公達の悩みの大半はどうすれば美少女達と仲良くなれるか、である。恋愛ゲームなのだから当たり前なのだが。そして面白いことに紳士諸君も金と人間に頭を悩ませることになる。
そもそもエロゲというのはとても高いのだ。1本のソフトに1万円近く払うことはざらで、普通のリーマンの小遣いならば、あまり多く買うことが出来ない。断腸の思いで取捨選択しなければならない。
買う商品を決めたら今度は人の悩みだ。エロゲの初回盤を買うときは、タペストリーやら、クリアファイルセットやらの店舗特典がついてくることがある。しかしその店舗特典はヒロイン勢揃いではなく、ただ一人のヒロインがピックアップされたグッズがついてくることが多い。
つまりゲーム未プレイ状態で、一人のヒロインがピックアップされたグッズを選ばなければならない。無論全部買うことは出来るが、しがないサラリーマンが一万円近いゲームを、ヒロイン分(店舗特典分)買うことは非常に辛い。俺たち紳士はゲーム発売前から自分にとって一番になりそうなヒロインを選ばなければならない。
またゲームを始めても人間関係に頭を悩ませる。そう、誰から攻略するか、という贅沢な悩みをするのだ。並べられた様々な美少女を見比べ、攻略者を決める。なんて贅沢な悩みだろうか。
さて、ゲーム内で明かされることはなかったが、瀧音幸助は主人公以上に色々な悩みを抱えていただろう。その生い立ちもそうだし、特殊じみた能力だってそうだ。そして新たな家庭での人間関係でも大きな悩みを抱えていた事は間違いない。
「あの……」
「……」
じっとこちらを見たまま微動だにしない彼女。毬乃さんの娘とあって非常によく似た背丈、容姿をしているが、毬乃さんほど感情が表に出てこない。無表情で何を考えて居るかが分からず、どう話をして良いのかも分からない。無口キャラだったのはゲームからだったのではあるが。
どうしようか悩んでいると、不意に花邑はつみは口を開く。
「……あなたの境遇は聞き及んでいるわ」
「は、はい」
「…………」
「え、えと……はつみさん?」
「…………」
それだけっ!? なんか言ってくれないの!?
彼女は何も言わず、ただただ不機嫌? そうな顔で俺をじっと見つめる。
これはゲームで瀧音幸助が花邑家に居候しなかった理由の、一因であることは疑いようがない。
彼は花邑はつみに耐えられなかったのだろう。もちろん美魔女毬乃さんの娘であることもあり、彼女は非常に美人ではあるが、何を考えて居るかさっぱり分からないし、根暗だし、どう話しかけて良いかも分からない。対して瀧音幸助は端から見れば『うぇーい』キャラだ。内心は多分相当病んでいたんだろうが。
さて瀧音幸助と花邑はつみは水と油である。そりゃあ彼が寮生活を選択するのも仕方が無いか。
ただ、俺がここがマジエロの世界であることを知らなければ、同じく寮生活を選んだかもしれない。もちろん美人親子につられて、一緒に生活する可能性も否定は出来ない。だが、俺はマジエロの瀧音幸助ではなく、マジエロ自体を知っている変態紳士である。寮生活を選ぶことはない。
そもそも俺はいろんな人間関係を経験した事があるし、ブラックな会社で働いた経験もある。くそドロドロ人間関係なんて慣れてしまった(胃に穴が開き医者に休むよう命じられたが)。相性が悪い人間関係なぞ慣れているし、なによりこんな好条件な家を出る必要性がない。
「はつみさん、これからよろしくお願いします。いきなりぶしつけで申し訳ないのですが、魔法書、強いて言えば空間魔法に関する本を出来れば貸していただきたいのですが」
この家は花邑毬乃というツクヨミの魔女と、花邑はつみというツクヨミ学園講師がいるのだ。魔法書があるのは当たり前で、二人の研究施設もある。そしてエンチャントの施設もあることは確認済みだ。無論学園にもエンチャント施設はある。だけど学園は利用時間があるし、寮には門限もある。
確かに居心地は悪いかもしれない。けれどここには魔法使いにとって最高の家(環境)がある。それなのになぜわざわざ出る必要があるのか。利用できる物は利用すべきだ。とはいえ、あまり迷惑にならないようにだが。
「……こっちよ」
はつみさんはそう言ってくるりと身を翻すと廊下を歩きだす。俺はすぐに彼女の後を追った。彼女に連れてこられたのは、一般家庭にはないだろう大きな書庫だった。
円形の部屋の中心にはテーブルとソファ、またいくつかの椅子がある。テーブルの上にはパソコンらしき機械が置かれており、ソファの上には毛布と枕が置かれていた。椅子とテーブルの周りは本棚になっており、そこにはたくさんの本が収納されている。それは千冊どころではない。万は超えているだろう。もはや小さな図書館だ。
軽くあたりを見たところ、置かれているのは魔法書だけではないようだ。子供向けの絵本もあれば、植物図鑑もある。普通の文学書もあればライトノベルらしきものも有る。もちろん錬金術師向けの本や上級魔法について書かれた魔法書も見つけた。
「この辺り」
案内されたのは書庫の一角。数多の魔法書が並ぶ中に、やけに古びた書物だったり、装丁されていない紙束としか言えないような物も挟まっていた。
「全部見ても良いんですか?」
俺は知っている。彼女の研究対象がこの時空魔法であることを。そして彼女がいずれチート時空魔法を発明し、ゲーム主人公に伝授することを。
そしてここに有る書籍は、その研究において重要な書物が混じっている可能性がある。もし落ちている紙束なんかが重要な統計データだったり、研究内容であったら……それを簡単に他者に見せて良いのだろうか。
「……あなたは私の研究を知っているの?」
「お亡くなりになった父親の研究対象である、時空魔法の研究をしているんですよね?」
そういうと、はつみは頷いた。
ゲーム内では詳しく語られなかったが、彼女の父はとある研究者の罠で殺されている。公式サイトの開発者ブログで、『設定とかすごく考えてたんですけど、予算の都合で全カットされましたw』となっていたため、俺も詳しいことが分からないが。つうかこのゲーム色々カットされすぎだろ。
「本当に重要な物はここにはないわ」
と言われて俺は頷いた。
「ありがとうございます、では俺は少しここで読書させて貰います」
と彼女に背を向け歩き出す。
本来ならばより親密になるためにも彼女と会話すべきなのかもしれない。でも彼女と話しても盛り上がる未来は見えないし、彼女も俺と話していることはつらいだろう。相性悪そうだし。
俺は棚からいくつか本を取り出し、テーブルの上に置く。そして、読書しながら魔力操作の練習をするため、第三の手と第四の手で本の表紙をめくる。数日の実験で確定した事実ではあるが、面積が大きければ大きい程、必要な魔力も増大し、長さが伸びれば伸びる程、繊細な動きが難しい。ただ毎日練習しているうちに、少しずつではあるがだんだんと器用に動かせるようになってきている……気がする。
数ページ読んだころだろうか。ドサドサと多くの荷物が置かれる音がしたのは。振り向くとそこには、はつみさんが大きな荷物をいくつか置いていた。
「……気にしなくて良い」
何をしに来たのだろうか。はつみさんが気になりながらも読書を続ける。しかし、一向に、はつみさんが出て行く気配がない。
俺は本から視線を外し、はつみさんを見ると、なぜか彼女はコーヒーを入れていた。彼女と目が合うと、すっと立ち上がりこちらに近づいてきた。
「どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
そういうと小さく頷いて荷物を置いたところに戻る。そしてあろう事かそこで仕事らしき事を始めてしまった。
……なぜ彼女はここで仕事を始めたのだろうか。俺の監視だろうか?
「あ、おいしい」
普通のコーヒーとは少し違った独特の香りがするそれは、酸味が少なく苦みが濃厚で後味がくっきり残る。そんな癖の強さがあるため、コーヒーの苦みが苦手な人は間違いなく大嫌いになるであろう。しかしコーヒー好きで酸味が少ない方が良いと言う人なら、間違いなく絶品と手放しで喜んでくれるはずだ。
ちらりとはつみさんを見つめる。彼女は紙に向って、黙々と何かを書いているようだった。コーヒーの話はまた後にしておこう。
俺は第三の手で持っていた本をめくった。
----
それから何時間かたったころだろうか、はつみさんが立ち上がってこちらに近づいてきたのは。
「ご飯を食べに行きましょう」
スマホを見てみればもうとっくに昼を過ぎており、会社や学校ならばもう昼休みが終わりそうな時間だった。
「もしかして待たせてました?」
「いえ。この時間帯に行くと、混んでないことが多いから」
どうやら外食予定らしい。そういえば花邑家では家政婦を雇っていないのだろうか。想像よりも小さい家だったが、それでも三人で住むにはとてもとても広い。多忙そうな毬乃さんのこともあるし、片付けとか料理をしてくれる人が居てもおかしくないと思うのだが。
「良ければ帰りにこの辺りを案内しようと思うのだけれど」
と言われ、俺は何も考えずに首を振る。
「ああ、それは毬乃さんに……教えて貰ったので大丈夫です」
と口にした瞬間、わずかではあるが、彼女の表情が変化した。それは本当に小さくて、もしかしたら見間違いだったかもしれない。
「そう、なら行きましょう」
彼女に連れてきて貰った店は、徒歩5分くらいの所にある小さなカフェだった。そこはさほど広くなく、数席のテーブルと数人が座れるカウンター席しかなかった。
俺とはつみさんは空いているテーブル席に着席すると、メニューを見つめる。そして、はつみさんを見て再度メニューに視線を落とした。
「はつみさんのオススメはありますか?」
以前住んでいた町は、はっきり言ってニアリーイコール日本と言って良いだろう。建物の見た目も、コンビニに売っている雑誌も、レストランの料理も。ただ今居るここは、新世界に新たに作られた町だからか、建物の見た目が少し独特だ。そしてメニューに書かれた料理名もまた独特だ。
「……全部美味しい。強いて言うなら、ブラッドホーンラビットのからあげ」
もしかしたら引きつった笑いをしているかもしれない。
ブラッドホーンラビットはモンスターなはずだ。序盤にレベル上げとレアドロップアイテムのために狩りまくった記憶がある。モンスターは食べられるようだ。
「じゃあそれにしてみます」
と二人同じ商品を注文し料理が来るのを待つ。そしてすぐさま沈黙が訪れた。
何を話せば良いのだろうか。書庫だったら本を読むことでお茶を濁す事が出来るが、今は対面に座っているし、本を読むなんて失礼なことをしたくない。なにか共通の話題になりそうなことでも振ってみようか。
「ええっと、はつみさんはツクヨミ魔法学園を卒業したんですよね。学園ってどうでしたか? 周りの人たちの雰囲気とか、やっぱりエリート揃いなんですか?」
そういうと彼女は俺から目をそらす。
「……すごい人はいっぱい居た……でも私は学園に友達がほとんど居なかった」
「は、ははは」
空気がさらに重くなった気がする。確かに花邑はつみならありそうだと、言われてから思った。
「ただ、学力と強さを求めているなら、最高の環境。それだけは確信を持って言える」
「勉強、頑張ります」
と適当に話を振っていると、料理が運ばれてきた。空気は冷めていたが、料理は温かかった。
食事をしながら話を続けていると、今度は授業形態についての話に移り変わる。
「え、それじゃあ順位を上げれば上げる程、色々な授業が受けられるって事なんですね?」
「ええ。まずは基本科目と魔法基礎科目を。また習得度が十分に達した人から、追加で授業を受けられる」
なるほど、と頷く。そこはゲームとほとんど同じだろう。ゲームではステータスをあげていれば受けられる授業が増えていった。こっちでも自分の能力を上げれば受けられる授業が増える。受ける授業が増えれば増える程、魔法について詳しくなっていけるだろう。
しかし授業によって得られるものが、ゲーム内の授業コマンドで得られるものと同等ならば、授業を受ける価値はあまりないかもしれない。瀧音幸助に至っては追加授業なんて特に不要だろう。
「そうなんですね……ちなみに追加の授業って攻撃魔法のことが多めだったりしませんか?」
「……そうね。高ランクの攻撃魔法を教えてもらえたりした」
うん。それ多分俺使えない。詳しく言えば使えるんだろうけど、威力が芳しくないから無駄だ。まあ成績なんて気にしなくていい、卒業できれば良いだろう。その時間を別の鍛練やダンジョン攻略に当てようではないか。
と、頭の中でしばらくのスケジュールを簡単に作成する。入学後しばらくは基礎体力と魔力強化、そして遠距離の対策が主な行動になるだろう。あれ、今と変わらない?
「……私が教えてもいいわ」
と、はつみさんに言われる。一体何のことだと一瞬頭をひねったが、魔法の追加授業の事であるとすぐに分かった。
「はつみさんには話しておきます。実は俺、体質で大抵の魔法をうまく使えないんです。だから応用の魔法を教えていただいても、使いこなせるかは分かりません」
と言うと「そっか」と悲しそうに呟く。あれだけ進んでいた食事の手も止まり、ぼうっと目の前の料理を見つめていた。
「それより、はつみさんにはこの体質のことで相談したいことがあって……良ければそちらで付き合ってくれないかな、と思ってるんですけど」
そういうとはつみさんはがばっと顔を上げる。そしてしゅびっと親指を立てた。
「任せて」
無口で何考えて居るかは分からないけれど、悪い人ではないんだろう。なんて、漠然とそう思った。
モンスターの肉は筆舌に尽くしがたいほど旨かった。





