100 可能性の種⑤(水守雪音)
2019/05/11 3回目(本日ラスト)
「粗茶ですまないが」
そう言って先輩はお茶を出してくれる。漆塗りの茶托の上には、不格好でありながら完成された茶碗が置かれている。中には若草色のお茶が入れられていた。
一口飲み、その柔らかな苦みを堪能して小さく息をつく。
話があると、俺が先輩の部屋を訪ねると、先輩は快く部屋に入れてくれた。
いきなり来たというのに、それも頼んでいないのに茶を出してくれるあたり、先輩らしいといえばらしい。
「ふふ、楽にしていいぞ」
そういわれて、すみません、と座布団の上で座りなおす。
先輩の部屋は俺がダンジョンに行く前はかなり殺風景だった。ただ、日に日に荷物が増えていったのだろう、急速に生活感が出てきている。
今座っている置き畳や座布団も以前来た時にはなかったはずだ。
「これか……実はななみが用意してくれた。いや、確かに欲しかったのだが、気が付いたら敷かれていたのだ……欲しいと話していないはずなのだが」
俺が座布団や畳を見ていたからだろうか、先輩は畳を撫でながらそう言った。
普段は、真顔でダブルピースしながら迫ってくるような彼女ではあるが、一応有能である。それはダンジョン外でもだ。
「瀧音は用があるんだったな。実は私も用があってつい先ほどお前の部屋へ行ったのだが……」
ああ、とうなずく。
「すいません、誰も出ませんでしたよね。俺、毬乃さんやリュディとかの部屋に行ってたから」
「いや……そのだな……眠そうなはつみさんが出てきた」
…………。
絶句。思わずため息をつき、頭を抑える。
「その……君がはつみさんとどういった関係なのか……いや、その聞いていいことなのかわからないのだが、その、でもやはり気になって……」
「いえ、先輩は俺がソファーで寝ているのを見たことがありませんか?」
狼狽していた先輩が、一瞬固まる。そしてあ、ああ、と声を上げた。
「そ、そうか。いろいろ察した。大変なのだな」
「慣れました」
たまに一緒に寝ていることは言わないでおこう。
「な、なんなら私の部屋を使ってもいいぞ。わ、私は布団に慣れているし、こちらに敷けば」
「すいません、気を使わせてしまって。大丈……」
ん、ベッドを使っていい?
「ゑ?」
「ああ、構わないぞ」
ちょ、ちょっと待て。それは本当にいいのだろうか?
先輩の色っぽくてセクシーでエロスで煽情的でどこか崇高的であふれ出んばかりの魅力が詰まった巨峰に、ランニング中ついつい目で追ってしまう白く美しいうなじに、非常に張りがあって形が良く大きさの丁度いい尻を包み込んだであろうこの布団に、先輩の匂いがうつったこの布団に、私のような紳士を招き入れることによって、崇高なる先輩の……。
「瀧音、瀧音!」
「はっ!」
「ど、どうした。目がこの世を見ていなかったぞ!?」
「あ、いえ。な、何でもないです」
落ち着こう。
先輩は普通に気を使って言ってくれているだけだ。
しかし俺が先輩のベッドに入ったらいろんな意味で眠れない。てか近くで先輩が布団をしいて寝ているのであれば、脳内に登場する羊が1億を超えてもおかしくはない。
永遠のような時間を過ごし、朝日を浴びるまで悶々とすることは間違いなく、充血した瞳でダンジョンやらへ向かうことになる。
さすがにそれはまずい。
「すいません、ありがとうございます。でも大丈夫です。片腕を失ってでもお借りしたい所ではありますが……やはり先輩にご迷惑をお掛けする訳にはいかないかと」
「君はどれだけ追い詰められてるんだ?」
「いえ、大丈夫なんです」
むしろお借りした方がいろいろ大丈夫じゃないんですけど、お借りしたいのは山々で、でもそれじゃ大丈夫じゃない感じだろうか。うん、自分でも意味分からん。
「まあ、いつでも言ってくれ。それでだ、瀧音。お前の用から済ませよう」
「ああ、そうですね。先輩に貰っていただきたいものがあって」
俺は先輩に手を出してもらうと、その手の上に黄金に輝く種を一つ置く。
「……これは?」
「先輩なら、聞いたことがあるかもしれません、これは可能性の種と……」
「待ってくれっ!」
先輩は慌てて俺の手に種を戻そうとするも、俺は手を背に隠す。
「いったいどういうつもりだ、このようなものを私に渡すなんて」
「先輩、今回のダンジョンをソロで潜った理由です」
「まてまて、これはお前が努力して得たものであろう? なら自分で使うんだ」
「もうすでに自分には使いました。ただ、一度に数個手に入れたんです。だからお世話になったリュディや先輩にどうしても貰っていただきたくて」
「……一等地に城が建つのではないか」
そんなに価値があるものなのか。
「じゃあ、俺の持ってるこれは、それをはるかに軽く超えますね。値段なんてつけられない」
そういって俺は先輩からもらったお守りを手に取る。
「ば、馬鹿者……それにそんな価値なんてないぞ」
そう、思うだろうか? いや俺は思えない。
「いえ、俺にはあるんです。これに比べたら、こんな種をゴミ箱に投げ捨てたっていいぐらいの価値が」
俺がそういうと先輩は嬉しいのか恥ずかしいのか、それともどちらもだろうか、顔をすこし赤くして手の甲で口元を隠し、視線をそらした。
「値段をつけられないもので、貰ったのはこれだけじゃないです。戦ってる最中での一つ一つの動きだってそうです。先輩やクラリスさんの教えがとてつもなく生きてたんです。二人がいなかったら攻略できなかっただろうなって」
「もちろんいろいろ協力してくれた、ななみやリュディにも渡しました。先輩にも同じです」
「しかし……」
「先輩。自分にとって先輩がしてくれたことは、一等地に城が建つレベルのものではないぐらいに、自分の力となりました。だから、ありがとうございます。むしろ、足りないのかもしれませんが、これを貰ってください」
先輩は真剣な表情のまま手にある種をじっと見つめる。
「本当に、これを私に渡して後悔しないのか?」
「はい、どうしても先輩に貰ってほしいんです」
先輩は小さく息を吐くと天を仰ぐ。そして真剣な表情でこちらを見るが、顔は赤くなったままだった。
「瀧音、お前最強になりたいって言ったな?」
「ええ、言いました」
「いいのか? 私に渡して」
「ええ、もちろんです。俺は先輩に強くなってもらいたい」
確かに負けるかもしれない。だけど。
俺は三強であり最強の一角である水守雪音こそ、最高の水守雪音だと思っている。
そんな大好きな先輩を……
「俺は超えて、最強になります」
何かを真剣に考える先輩を見て、なぜだか何かを言わないといけないような気がして、とりあえず口を動かす。
「それに……ほ、ほら、打算もありますし……これをあげれば一緒にダンジョンへ来てくれるかなっていう……それに修行手伝ってくれたりとか……」
「もらわなくても行くつもりだったさ、言われなくても手伝うつもりだったさ。お前が願えば」
先輩はじっとその種を見つめる。
「大きな、とても大きな借りを作った気分だよ……」
「じゃあ、これで相殺ですね。俺も大きな借りを作った気分でしたから」
そう言ってお守りを取り出す。
「ばかものっ、そんなものと比べ物にならない」
「確かに比べ物になりませんね、こっちの方がはるかに価値がある。大切な大切な俺の宝物です」
「……ほんっとうにお前は」
そう言って先輩は頬を染め視線を外すと、手の甲で笑みを隠し、絞り出すような声でそう言った。
それから少しして、先輩は種を飲み込んだ。
そして俺に向かって浮かべた笑みは、幸せそうな笑みだった。見ているだけで体中が満たされ、それどころか感情があふれ出そうな笑みだった。
幸せそうな先輩を見て、俺もまた幸せだった。
「これからよろしくお願いします、先輩」
「ああ、ついてこなくていいといってもダンジョンへついて行ってやる。これからビシバシしごいてやる。あとは……」
「あとは?」
「お前は私を抜いて最強に至るかもしれない。でも、簡単に至らせてやらないからな」
それは彼女の宣戦布告だろう。回答はもちろん。
「望むところです」
さて、これによって先輩のいくつかある覚醒フラグの一つが立っただろう。しかし、今の先輩なら何もしなくても勝手に覚醒していそうな気がするが、一応言っておくべきか。
「それでだ。私も……瀧音に用事がある」
「そういえば言ってましたね」
そして姉さんと邂逅してしまった。
「まあ、渡すということに関して言えば、君と全く同じ事だ」
「渡す? 何をですか?」
「ああ。君からもらったものに比べれば、まったく価値のないものかもしれないのだが……」
「ねーえ、先輩」
と、お守りを見せる。
「わ、わかった。そ、その。恥ずかしいからしまってくれ。な、なんでそんな大切そうに胸ポケットにしまうんだ!」
「もちろん、大切なものですから」
少しして先輩は小さく咳払いするも、顔がすこし赤いままだった。
彼女は懐に手を入れ、上品な紫色の布を取り出す。そしてそれを開き、一つの手紙を取り出した。
「これは?」
その手紙を受け取った俺はクルリとその便箋をひっくり返す。
そして描かれていた魔法陣と学園のマークを見て、体がぶるりと震えた。
非常に残念ではあるが、先輩からのラブレターではなかった。それに比べたら、おこがましいぐらいどうでもいい物であった。
しかし俺が欲していた物である。
手紙の裏に描かれていた魔法陣に手を触れ、魔力を送る。
すると生徒会、風紀会、式部会それぞれのシンボルマークが空中に浮かびあがり、手紙がひとりでに開封された。
そして一枚のカードが飛び出すと同時に、先輩が口を開く。
「おめでとう、瀧音幸助。君は選ばれた」
まさかだ、まさか、このセリフを現実で聞けると思わなかった。ゲームでは三会副会長職の誰かが同じことをするのだが、一番接点のある水守先輩に託したのだろう。何度も聞いていたから、文字スキップをしてしまうぐらい聞き飽きた、どうでもいいセリフでもあった。
このセリフはとあるイベントの始まりだった。
このセリフが、この手紙が、なんて嬉しいのだろう。
「ようやくここまで来たか……」
そのカードには何かが書かれているようだが、読まなくても内容は分かっている。
三会からのラブコールだ。
レビューとか応援コメントありがとうございます。生存報告(執筆進捗)はツイッターの方にあげてるので、しばらく音沙汰なかったらそちらを見てください。