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妙齢の夏

作者: 首藤匡

 みな底が透けて見える海に落下中に着水地点を観察できる時間がある高さから飛び込んだ。跳びだした崖の高さは家の二階より高かった。

 水しぶきを上げて飛び込んだ男が浮かんできた。男が顔についた水を払っていると背後から首に腕が回された。べったりとくっ付いた他人の体温を肩回りと背中に感じる。

 男は体重を男に掛けて浮かぶ女に言った。

「重い。離れろよ」

「重いって言うなよ。罰としてわたしを連れて浜まで泳ぎなさい」

「二人して溺れても文句言うなよ」

 そう男はうそぶいて岸に沿って泳ぎだした。ほとんど腕の力だけで女を首につり下げたまま、力強く進む。

 背中に引っ付く女にはなおさら人を連れて泳ぐ男の力強さが感じられた。いつのまにか女性の自分とは異なるものになっていることに戻れない変化を受け入れないといけない寂しさを感じた。

「いつの間にか成長したね。わたしを連れてもどんどん泳ぐし、無駄におっきくなったね」

「歳もとったんだし、当たり前だろ。来年は大学だしな」

「ねえ、大学に入ったら町から出ていくでしょ? そのあとはどうする? 帰ってくる?」

 首に回している腕をさらに絞めて近づき、女は自分の頭を男にゆだねるように寄り掛かった。

 女のその行為はどこか家族や兄弟、幼馴染といった一線を越えたものだった。

 男は驚きで体を固くし、黙々と泳いだ。

 二人は取りあえず浜についた。泳ぐより歩くほうが速いくらいの浅瀬で二人とも立ち上がった。が、女は男の手を固く握った。

 

 広いようで狭いこの町を出たらどうなるだろうか。海も沖に向かって延々と広がり、荒れ狂う波があるように、一度外にでたらなにがあるか分からない。何度考えてもその度寂しさが胸に広がる。


 迷いのない目をして女は「ついてきて」と男を引っ張って行った。絶妙に男を逆らわせない空気を女は放っていた。

 飛び込みをした崖とは浜の反対方向、浅瀬が岩壁の麓にそって続く細い道を女と男は歩いた。岩壁の下でも柔らかい砂があり足首ほどにまで海水も来ている。進むほどに油蝉の鳴き声は遠退き、浅瀬を挟んで岩壁の反対側に点在する大きな岩が沖からの波と視線を遮る。

 女が立ち止まったのは大きな岩二つが寄り添い沖から浅瀬の道を隠してくれている場所だった。

 左右を岩に囲まれて夏なのにどこか涼しいこの場所で、ついに男が女に聞いた。

「こんな所に連れてきてどうするんだよ」

 女はなにも答えなかった。繋いでいた手を放して女は男に向き合った。男を見つめる目はどこまでもまっすぐで透き通っていた。

 男と向き合い見上げる女が両手の親指で自分の水着の肩紐をすくいあげて紺の水着の胸元を広げた。

「見る?」

 肩から鎖骨、ふくらみがわかる胸元まで顕わになった肌が不思議な引力を持って男に働きかけた。精神的にどうであれ肉体が起こした動作に精神も引っ張られていく。下がろうと思っても逃げたくないという衝動が足を動かさない。男はいつしか考えること自体が止まってしまいそうだった。

 男が戸惑うのが女は愉しかった。男を虜にしていることに本能のような感情が湧いて、男を自由に、手玉にとれると確信した。意中の相手を射止めるのに体を使う躊躇いはなく、男が自分に夢中になって楽しんでくれることに幸せを感じた。

 女は奉仕の気持ちで水着を脱いでいく。女性に成長した体を男に見せるのは初めてだと思い出した。

 男は女が肩紐から腕を抜いて水着が下がる瞬間、乳頭が表れるのを見逃さなかった。普段絶対的に隠されている魅力が見られた感動と自分にはない柔らかい胸があることへの興奮が混ざって男の思考を奪う。

 女はさらに水着を下げていく。胸を支えるものがなくなり、くびれの曲線が体で直に描かれる。あっという間に水着は太ももを通り過ぎ、女は足から水着を抜いてしまった。

  不思議と女の体は日焼けあとは薄く、桃のような濡れた白い肌が広がっている。水滴のような形をした胸はまさしく白桃のようにおいしそうな魅力を放っている。ピンク色の乳首は正面を向いていた。柔らかなくびれが当たり前のように体に艶を作り、突如膨らんでいる腰がまた女を作っている。

 男から下の茂みが覗えた。艶やかな太ももの間にある茂みは地肌の色を隠しきれないささやかな茂みだった。かんじんなものは見下ろす男からは隠れている。

 上から下まで見せつけられて自分にあるものがなく、自分にないものがある異性の体を知った感動と性的興奮は男の中でさらに高まっていた。しかし、女の不可解さからこれ以上のことは手足が動かなかった。

 全部脱いでも晒しても女にさほど羞恥心なかった。むしろ男のほうが脱がされたかのように顔を赤くしている。初めてする性の試みだったが女に後悔はない。見られる恥ずかしさがないわけではないが、この相手なら触られることも嬉しくなる。男とならどこまでも行けそうな気がする。けれども女はまだまだ、ぎりぎりな関係を楽しみたかった。

 裸になった女は膝頭を合わせて若干の内股になりながら言った。

「わたしは男のことが好き」

 女は脱いだ水着を持った両腕を後ろに回した。

「町を出て行かれると寂しい。できればこのまま私と一緒にこの町にいてほしい」

 情けない男の出せた言葉はこれだけだった。

「だ、大学はどうするんだよ」

「いつかこの町に戻ってくる? それまでに他の女の子に引っかかっちゃうよ。だから、」

 女が近づいてきた。

「わたしを連れて行って」

 女が男にキスした。少し潮の味がした。

 思ったより長くなったキスの後、女は男の考えを見抜くように目を見つめた。

 この空間では女が主導権を完全に握り、男ははたから見ると情けなく弄ばれているように見えた。しかし、男の中では責任を今の自分が負えるかどうかを考えた末の決断でもあった。

 女にとって男のそんな性格はよく知ったもであり、男が手を出さないのも理解してのことだ。今まで誰よりもずっと男を見てきたのだから。

 男が耐え切れずに顔を背けたのを合図に、夢から覚めたように周囲のものが戻ってきた。遠くで油蝉が鳴き、緩やかな風に潮の香りが混ざっている。女が水着を着なおしたころ、やっと男は正面を向いた。が、まだ葛藤と戦い口を開けるようではなく、女が助け舟をだした。

「そろそろお昼だね。いったん帰ろう」

 女が先に歩いて男は糸に引っ張られるようについていった。帰りに手は繋がなかった。繋ぐことが男を苦しめるだろうという女の言葉にならない勘と男の忍耐の表れだった。

 崖下の浅瀬を歩いて岩場にはさまれた浜辺に戻り、石で押さえていた服とサンダルを回収した。お互いの家の分かれ道に差し掛かったときにやっと男が口を開いた。

「親の許しが出たらな」

 恥ずかしさと未熟な自分が他人の人生を左右する責任の重さを押しのけて絞り出せる男の限界だった。それだけの言葉でも相当な覚悟を込めたのか、たった数分のこの間に男の顔に強さを感じさせる鋭さが生まれていた。

 嬉しさが自然と女を笑顔にさせた。女は抱き付いてもいいと思ったが、もうちょっと男をからかいたかった。

「もういいって言われてるよ」

 驚き、緊張で固まった男に背伸びをして本日2回目のキスをした。男が照れていく様子に満足して女は自分の家へ駆けだした。

 男は根が生えたように立ち止まって女の背中を見送るしかなかった。しばらく時間を置いて落ち着かないと何もできそうにない。

 遠くなる女の姿が立ち止まって振り返って両手を筒にしてさけんだ。 

「わたしもー、同じ大学受けるからねー」

 それだけを叫ぶと走り去って行った。

 見えなくなるまで見送ってから男がさて自分も帰ろうと歩き出した。

 性への踏み込み、決断、責任と様々な漢としての通過儀礼を本来と比べるとほとんど一瞬ともいえる間に経験した熱は当分冷めそうにない。熱せられた鉄のように形が定まりきっていないが、確かな何かが自分の中に生まれているの男は感じる。昨日までの自分が子供の最後の日だったと思うほど明確な差があった。

 自宅の自分の部屋を目指して歩きながら、ひとまず己を落ち着かせることから始めようと思った。


書けたことに満足。

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