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ただ側にいたかっただけなんです

 リアは遼河の部屋のベッドに座っている。まだ泣いてはいるものの、落ち着きは取り戻していた。頭は横に座っているクレアの胸に預けて、優しく抱きしめてくれるクレアを頼っている。


「リアさん。もう一度聞きますが、どうしてあなたは死にたいなんて考えているんですか? それはきっと、あなたのご主人様は望んでいないはずです」


 クレアが改めてリアに尋ねる。リアを見ていると花火大会の終わった後の、あの切ない静けさが思い出されてしまうのはどうしてだろう。

 

 遼河は自室の絞められた扉に壁に背中を預けて、二人を黙って見守っている。クレアみたいに話しかけられないから、そうするしかない。


 リアが『殺してください』と頼んでいるのに、『分かりました』と言えない自分が酷く腹立たしい。


「それは私もそう思います。だって鉄平様は優しい人ですから。私のことをいつも気にかけてくれます」

「じゃあどうして死にたいなんて、戦えないなんて言うんですか?」

「それは……それは私が、ただ単に叶えたくないから。だって叶えちゃったら、鉄平さんが今の彼女さんといつまでも一緒ってことだから」


 彼女? はっ?


 想定外の言葉が出てきたことに驚き、思わずリアを無言でまじまじと見つめてしまう遼河。


 彼女って、いやでも、それはつまり……。


「じゃあ、鉄平さんの願いって、まさか」


 クレアもおそらく同じ気持ちを抱いたのだろう。

 そして、遼河たちでこれ程までに感じているのならば、リアはもっと苦しいのだろう。

 リアはこくりと、どこか素っ気なくうなずいた。


「はい。彼女といつまでも一緒で幸せに暮らしたいって、そうおっしゃったので」

「何で、何でそんなこと平気で願えるんだよ?」


 思わず、怒りが口からあふれ出てしまった。苦しさと同時に自分の中に湧き上がった怒りを抑えることはできなかった。

 その怒りは、リアに対してでもクレアに対してでもない。

 リアのご主人様であるはずの、城ケ崎鉄平という人物に対しての、どうしようもない憤怒。


「遼河さん? いきなり……」


 クレアから心配そうに見つめられているのも分かる。自分でも、自分が暴走しているのが分かっている。


「俺には全然分からない。自分のことが好きで、そうやって言ってきてるやつに、彼女がいるからって理由で、そいつと幸せになりたいとか願えてしまうやつの、神経が理解できない。他のこと願えばいいのに、わざわざ何でそんなこと願うんだよ。そんなの、ありえないだろ。無神経にも程があるだろ」

「鉄平様を悪く言わないでください!」


 リアが抗弁を返してくる。

 それすらも腹立たしかった。

 どうして、そんな最低なご主人様の肩を持つのかと。


「悪く言うなって、実際そうだろ! 普通そんなこと願わないだろ! 自分のこと好きなやつが目の前にいてさ!」

「鉄平様は! ……そのこと知らないんです。私そのこと言ってないんです。言えなかったんです」


 リアがぽつりと紡いだ言葉が、心にべとべとと纏わりついていく。


「鉄平様のメイドに、鉄平様と一緒になりたかったから」

「一緒になりたかったって、でも……」


 声が続かなかった。

 リアの悲痛な叫びを前にして、どうしていいのか分からなくなった。


「リアさん。何でそのこと言わなかったんですか? ご主人様のことが好きで、私たちがそういう人のメイドになるってどうして」

「だってそんなの言えないじゃないですか。私が鉄平様と初めて会ったとき、彼女さんが横にいたんですから。私は人間になるためだけに戦ってるって、そうとしか言えないじゃないですか」

「じゃあ! 何でお前はその願いで納得したんだよ!」


 遼河は自分で自分を制御できていなかった。リアが全く悪くないということなんて分かっている、分かっているのに、自分が傷つく道ばかりをリアが選ぶから。城ケ崎鉄平とかいうやつより、ここで泣いているリアの方が何倍も優しいから、そう思うと、怒りがまたこみ上げてしまった。


「別の願いにしてもらえばよかっただろ! いや、そもそも何でそんなやつ選んだんだよ!」

「好きなんだから仕方ないじゃないですか! それに願いだって、私が無理やり……」

「無理やりって、ないならないで別の人を探せばよかったんだ!」

「だから私が! 私が……鉄平様がよかったんです。ただ側にいられればいいって、それだけで私は満足だって……そう思ったんです」


 ただ側にいたかっただけなんです。


 そこまでリアに言わせて、ようやく自分がリアを傷つけていることに気が付く。

 

「悪かった。怒鳴って」


 リアに謝る。

 情けない。

 歯痒い。

 もどかしい。


「でもさ、それじゃあ結局お前は願いが叶ったって、報われないじゃん。そんなのって酷すぎるだろ」

「私はそれでいいって思ったんです。思ってた、はずだったんです」


 リアの顔がさらに仄暗く染まっていく。

 これが錯覚や幻覚なんかの類のものだったらどんなにいいか。


「なのに、今になったらやっぱり嫌だって、鉄平様の優しさを見るたびに、一緒にいるたびに私は鉄平様のことが好きだって、痛いほど分かってしまうんです。願いを叶えたら……叶えなくても、私は結局二人の邪魔ものなんです」


 苦しむ彼女に、自分は何を言ってあげられるのだろう。脳裏にはそれが浮かんでこないから、何も言えない。


「それに、私分かっちゃったんです。一週間前、私と鉄平様は敵と戦いました。その時、私たちは勝つことができました。私は鉄平様と戦えて、その時は嬉しかったです。でも、後で考えたら全く嬉しくなかった」


 勝つことで絶望へと近づいて行く。

 なんて残酷な話なのだろう。


「それに、鉄平様は戦いが終わった後、苦しそうだった。きっと鉄平様は戦いたくないんです。でも優しいから、私が人間になりたいって言ったから、そんな願いでも、私のために戦ってくれるんです。私のために……戦ってくれるんです」


 ぽろぽろと涙を流すリアを、見ていられなくなった。

 視線をそらしたって、彼女の声は聞こえてくる。


「それなのに私は昨日、鉄平様が昨日彼女さんと喧嘩したって分かった時、喜んでいる自分がいることに気付いて。鉄平さんはショックを受けてて悩んでて、弱っていたのに。鉄平様のそういう姿を見て喜んでしまう自分が許せなくて。自分でこういう気持ちになることくらい、覚悟して決めたはずなのに。彼女さんに嫉妬心を抱く自分も、喧嘩を喜んでしまう自分も許せなくて……」


 ――だから私を、殺して欲しいんです。


 リアは泣いている。殺して欲しいと頼んでいる。その理由は理由として成立しているし理解もできた。分かっているけど、そんなことを聞いてしまったらますます殺せない。少しくらいの救いがあったっていいと思ってしまうから。


「リアさん」


 今まで黙っていたクレアがリアにつと語り掛けた。その声には冷たさがこもっているように聞こえたけど、どこか優しくも聞こえるような、そんな声だった。


「きついことをお伺いしますが、どうして自分で命を絶とうと思わないのですか? 頼まなくたって、戦いを挑めばよかったんじゃないですか? こうしている間にも無理にでも戦いを挑んで、わざと負ければよかったんじゃないですか? そんなこと言われて、あなたを殺したいなんて思う人が、どこにいるんですか?」


 クレアの言い分は最ものように思えた。

 リアは目を見開き、苦しそうに俯いてから、


「それは、だって、私だって本当は死にたくない。鉄平様とずっと一緒にいたい。だから、でも……鉄平様といると、どんどん自分が最低だって分かっていくから。鉄平様とは釣り合わない存在だって分かっていくから」


 リアも本心では、死にたくないと思っている。希望に縋りたいと思っている。

 

 ただ、そんな希望は存在していない。


 生きていても、たとえこの戦いに勝ったとしても、リアの気持ちが報われることは絶対にない。


 ご主人様が願ってしまったのだから。


 遼河の部屋にはリアの泣き声だけが響いている。時計はいつの間にか朝六時を示していた。外から雨の音も聞こえて来る。今日に限って太陽は仕事をしないのだ。誰の上にも平等に優しい日の光を届けるのが太陽の使命だというのに。


 遼河宅に訪問者を告げるインターホンの音が鳴った。

 この重く刺々しい空気に押し殺されてしまうまえに、遼河は無言で部屋を出て玄関へと向かう。



「……あの、どちら様で」


 小さな声でそう言いながら玄関の扉を開けると、


「えっと、あの、こちらに、リアという女の子が来てませんか?」


 訪問者は、遼河が扉を開けるや否やすぐに聞いてきた。とても誠実そうな顔立ちに、誰にでも好印象を与えそうな清潔感のある髪型。スラッと伸びる手足。スーツのズボンの裾は雨水で濡れていた。傘は二つ持っていて、息が少し上がっている。少し前まで、雨の中を走っていたことは明白だ。


「あの、聞こえてますか?」

「あ、ああ、はい。で、どちら様で?」

「私は城ケ崎と言います」

「……城ケ崎さん、って、あなたが?」


 目の前の人物の言葉をすぐには信じることができずに、反射的に訊き返してしまった。


「はい。それで、今ここにリアという女の子、来てませんか? 昨日から突然いなくなって、この辺りでリアらしき女の子を見たとさっき聞いたので、朝早く申しわけないとは思ったのですが……」

「……そうですか」


 自分の背中を流れているのが冷や汗なのだと分かるくらい、動揺していると自覚していた。

 目の前にいるこの男が城ケ崎鉄平。

 リアのご主人様。

 その人が『リアはここにいますか?』と訪ねてきている。


 これはいるといった方がいいのだろうか? いや、それとも言わない方がいいのだろうか?


 そもそも城ケ崎鉄平の印象というか見た目は、遼河が思い描いていた姿といい意味で異なっていた。もっと酷い人間かと思っていた。


「あの? 話、聞いてます?」

「……あ! はい。聞いてますよ。えっと、リアさんでしたっけ?」


 遼河は咄嗟の判断で知らないふりをしようと決めた。リアは城ケ崎から逃げてきたわけなのだから、今は会わせない方がいいのかもしれないと結論付けた。


「はい。銀色の髪が特徴の……って、それ、リアの靴じゃないですか?」


 城ケ崎が玄関に無造作に置かれてあったリアの靴に気が付いてしまった。


「……これは、その何ていうか……つまり……」


 遼河の考えは脆くも崩れ去った。しかも案外簡単に。

 こうなってしまっては、もう隠し通せない。

 遼河は次の作戦に移行した。


「実は夜中に一人で歩いていたのを、メイ……じゃなくて姉が見つけて、危ないから家に一旦上がってもらってたんです」

「そうだったんですか。ごめんなさい。迷惑をかけてしまって」

「いやそんな全然」


 そんなに深々と頭を下げられても反応に困る。


「じゃあ呼んできますね。ちょっと待っててください」

「すみません。お願いします」


 遼河は逃げるように玄関を去った。

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