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華奢よりも、もっと

「えっ? 今、何て」

「私を、殺していただけないかと……」


 再度確認して、自分の耳がおかしくなってしまったのではないと理解した。同じ言葉が聞こえてきた。幻聴ではなかった。


 背後から呑気ななあくびの声が聞こえてくる。


「……ふぁわぁ。遼河さん。誰かいらっしゃってるのですか?」

「っあ! クレアか……」


 突然だったとはいえ、後ろから聞こえてきたクレアの声にすら驚いてしまう。クレアも一階が騒々しいことに気が付いたらしく起きてきたようだ。


「そんなに驚かなくても……って、遼河さん離れてください!」


 クレアは訪問者であるリアを見るなり、ピキリと空間に亀裂を走らせそうなほどの殺気をほとばしらせ、険しい顔つきでリアのことを睨みつける。

 三人を取り巻く空間が歪んで薄暗くなっていく。


「私は別に戦いに来たわけでは……」


 リアが戦う意思がないことを慌ててクレアにも説明する。


「そ、そうなんだクレア。こいつは戦いに来たわけじゃないんだって」


 遼河もクレアの誤解を解くのに必死だ。


「えっ? じゃあ、えっ? これは一体」


 クレアは口をぽかんとさせて、無防備な姿をさらす。空間の歪みも次第に元に戻り、遼河宅の玄関がはっきりと空間を支配し直した。


「あの、私はリアと申します。実はあなた方に頼みがあって伺ったのです」


 リアはクレアにも頭を下げる。なんて律儀な子なんだろう。


「えっ? 頼み?」

「そう、こいつ頼みがあってきたんだって」

「じゃあその頼み事とは、一体何だったのですか?」


 クレアが当然のように訊いてくる。ここまでの流れを見れば、遼河がすでにリアの頼み事を知っていると誰でも判断することができる。


「……いや、それは、その」


 しかし、遼河はリアの頼み事を言うことができないでいた。

 まだ信じられないというか、信じたくないというか、そんな言葉を言いたくないというか。

 もし自分で言ってしまうと、殺して欲しいという願いを認めてしまったような気がする。


 ただ、遼河が言えなくても、その代わりにリアが脆く儚く響き渡う声でを震わせるのだ。


「私を殺して欲しいっていう……、頼み事です」

「……えっ?」


 表情を氷つかせるクレア。続けて、疑心と不安が詰まった瞳を向けてくる。


「……遼河さん」


 名前を呼ばれてしまった。

 耐えられなくて、クレアから無言で目を逸らした。

 その行為が肯定しているのと同じ意味になることに、後から気が付いた。


「そうなんですね」


 悲しそうに呟くクレア。

 彼女もどうやら現状を理解してしまったようだ。


「私はもう生きていてはいけないんです。私、この戦いに参加する資格がないんです」


 リアはそんな二人を差し置いて話を続けた。いや、二人が何も反応しないから、話してくれないから、自分が話すしかないという一種の自己犠牲的精神なのだろうか。

 リア自身、本当は今、何も話したくないのだろう。話せば話すだけ、自分の心が傷つくのだと、分かっているはずだ。

 それなのに、自分たちのせいでリアの心が傷ついていく瞬間を、遼河とクレアはまざまざと見せつけられているのだ。


「……あっ……えっ? 遼河さん? まさか頼み事、受けてないですよね?」

「いや! それは、受けてないけど……」


 突然のクレアの問いかけに、遼河は反応に困ってしまう。実際さっきは戦えるように努力するとクレアに誓った。ただ、殺せる覚悟が今あるかといえば、それはまだない。心の準備がそんなに簡単にできるのならば苦労はしない。こんなに苦しそうなリアを真正面から見ることができないうちは、きっと誰かを殺すなんてことは無理なのだ。


「私、もう耐えきれないんです。だからお願いします。私が邪魔ものなんです」


 リアは声を荒らげてもう一度頭を下げる。いつの間にか彼女の目からは、涙がゆっくりと零れ落ちていた。


「いや、でも、殺すなんて」


 リアの涙ながらの頼みでも、やはり殺して欲しいという頼みは聞き入れられない。戦わずして勝つことができるというのに、受け入れられない。


「何で? 何で殺してくれないんですか? 戦わないで一人敵を倒すことができるんですよ? それなのにどうして……」


 顔を上げたリアから狂ったような瞳で見つめられる。女子の上目使いは可愛く見えるというのが定説なのに、リアの瞳から苦しさだけしか感じないのはどうしてだろうか。


「だから、そんなのは」

「何で、何で殺してくれないんですか!」

「あの! ちょっと落ち着いてください!」


 狂乱していくリアをクレアが声で制する。


「……あ、私、ごめんなさい。でも」


 リアはさっきみたいに声を荒げることはしなくなった。

 俯いて涙を一粒ずつ落下させ、背後の風景が透けて見えそうなくらいひっそりと佇ずみながら、殺されることを望んでいる。


「リアさん。申しわけありませんが私たちは、あなたの頼みを受け入れることはできません。私たちは恥ずかしながら、まだ命を奪うという覚悟を持ち合わせていないのです」


 クレアはリアに対してそう言いきった。クレアは遼河の意思を尊重しているのだ。遼河が戦える状態になれるまで待つと決めているのだ。


「別に覚悟とかじゃなくて、殺してくれさえすれば、それでいいんです」

「リアさん。どうしてあなたはそんなにも死ぬことを望んでいるんですか? あなたも私と同じように、ご主人様に出会っているはずです。あなたが死ぬということは、ご主人様の願いは叶わなくなるということです。それにあなた自身もご主人様と会えなくなるということなんですよ? それは私たちにとって、一番辛いことで――」


「そんなの分かってます! だけど私はご主人様のために戦えないんです。……ご主人様のために戦いたくないんです」

「戦えないって……どうしてですか? この戦いに勝たないとあなたはご主人様と一緒にいられないんですよ?」

「一緒にいたいです! 鉄平様といつまでも一緒にいたいです!」


 リアはそう言い残すと膝から崩れ落ち、ぼろぼろと泣き始めてしまった。


「でも鉄平様の願い事は、叶えたくないんです……」


 手で顔を覆い、袖が肘のあたりまでずり落ちて、華奢な腕が露わになる。その華奢な腕にも、彼女の目から零れ落ちる涙はつたい、裾がどんどん涙で濡れていく。


「リアさん」


 クレアは名前を呼ぶだけしかできなくなっている。


「あ、あの、とりあえず、入りますか? いつまでも外だと寒いですし」


 遼河が家の中に入るように勧める。

 実際、今は夜中で、五月とはいっても少し肌寒かった。


 しかし、リアは泣くだけで返事をしなてくれない。


「遼河さん。とりあえずリアさんを中に」

「ああ。分かってる」


 リアの返事は得られなかったが、クレアと遼河はリアを何とか支えつつ、半ば強引に家の中へ連れ込んだ。

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