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願い事のために

「遼河さん。あの、私……」


 ベッドの上で小さくうずくまっていると、背後からクレアの声が聞こえてきた。

 遼河は奥歯をかみしめながら、何とか言葉を返す。

 

「俺のこと、失望しただろ」

「私は、そんなこと……」

「あんな絶好の機会だったのに、逃げたいとか言ってさ」

「だから私、そんなことは――」

「そんなに俺を肯定しなくていいから! こんな時まで、メイドになろうとしなくていいから!」


 遼河は心配してくれるクレアに対して怒鳴ってしまった。


「はっきり偽善者だって言ってくれよ」


 クレアの声がぱったりと聞こえなくなる。


 遼河とクレアは、二人目の敵から逃げることに成功して家に戻っていた。


 玄関の扉を開ける。靴を脱ぐ。階段を上って遼河の部屋へ。流れ作業のように淡々と。部屋の明かりは消えたまま。


「遼河さん。偽善者って、たとえそれが偽でもいいことをしているんです。だから偽善者ってそんなに」

「悪くないとでも言いたいのかよ? そんなのただの屁理屈だ」


 ようやく声を発したクレアだったが、そのか弱い声は一瞬にしてかき消される。


「第一、俺は殺せなかった。それが何よりの証拠だよ! 俺はあの黒いやつは殺せても……他のは殺せないんだ」


 最初の敵の姿を見て安心したこと。

 最初の敵を殺すことを止めなかったこと。

 二番目の敵を殺せなかったこと。

 辞めろ! と叫んだこと。

 動揺したこと。

 逃げたこと。


 その全てが、遼河を苦しめていた。


「でも、遼河さんは戦わなければ死んでしまうんです。だから私は遼河さんに、戦って欲しいんです」

「そんなの分かってるよ。分かってるけど、俺は人を殺せないんだよ。人の形をしたやつが殺せないんだよ。黒いやつなら殺せるんだよ。殺せる命を選んでるんだよ。俺はそういうやつなんだよ」

「自分をそんな風に言ってはダメです」

「仕方ないだろ!」


 自分の中に蔓延している黒い感情を言葉と共に吐き出せたらどんなに楽か。

 どれだけ大声で怒鳴っても、かえってその感情は増すばかりだ。


「俺さ、あいつらから逃げてるとき、昔、俺が俺自身に抱いた嫌悪感を思い出したんだよ。きっと、黒いやつは俺にとって豚や牛と同じなんだ。俺は子供の時、豚や牛の肉を何も考えずに食ってた。それは当然だと今でも思う。でも、こうやって成長して、牛や豚の命を奪って肉ができてるって知った。テレビで首を絞められて悲鳴を上げる豚の映像なんかも見て、驚いたというか、ショックだったというか、そういう感情になったこともある。……けどさ、それからも、普通に食べてる。豚肉も牛肉も、普通に食べてる。俺は、食ベることができてる」


「でも、それは、みんな同じじゃ」

「だから! きっと俺はこういう経験しても、黒いやつならいくらでも殺せるんだよ」

「遼河さん、私の話を聞いて下さい」

「だから! 今は、戦いたくないんだ」


 もう話しかけないでくれ。

 その気持ちを声に込めたつもりだった。

 クレアには伝わっていなかった。


「じゃあ戦わないで勝てばいいじゃないですか。戦わなくたって、願いを諦めさせれば、勝つことができます」

「そんなの誰が待ってるんだよ? さっきの涼真ってやつをクレアも見ただろ? あいつはどうしても叶えたい願いのために戦ってるんだ」

「……でも」

「そんなやつが願いを簡単に諦めるはずないんだよ。願いを叶えたくてこの戦いに参加してるんだから」

「だったら遼河さんだって願いのために戦って下さいよ! 遼河さんだって、願いを叶えないといけないのは一緒のはずです! 願いを叶えないと死んじゃうんですよ?」

「だから実感ないって言ってるだろ! 願いのために戦うなんてできないんだよ!」

「何でなんですか! 戦って勝たなきゃ、遼河さん死んじゃうんですよ!」

「それも分かってるって言ってるだろ! ……実感湧かないんだよ。戦えないんだよ」


 クレアの声より大きな声で怒鳴り返す。

 

「それじゃあ私は遼河さんと一緒にいられないじゃないですか。私は遼河さんと一緒にいたいんです。人間になって、遼河さんとずっと一緒にいたいんです」

「お前が人間になるために戦ってるって分かってるよ! そのために戦ってるって、同族のやつらを殺せるって分かってるよ! でも、俺が戦うのが嫌なんだから仕方ないだろ」 

「戦わなかったら遼河さんは死んじゃうんですよ? 私は遼河さんに、この先もずっと生きてて欲しいんです。一緒にいたいんです」

「俺は今生きてるよ! 俺は今、こうして生きてるんだよ。死んでるなんて思えないんだよ。実感湧かないんだよ。お前みたいに、叶えたい願いなんてないんだよ!」


 逆切れだと分かっているのに叫んでしまう。ぶつけてしまう。クレアに自分の負の感情を押し付けてしまう。


 クレアの声が、聞こえなくなる。

 代わりに耳に届いたのは、涙をすする切ない音だった。


「私は、クレアです。お前じゃなくてクレアです。そう呼ぶ約束です、約束したんです」


 とうとうクレアは幼い子供のように泣きだしてしまった。遼河より先に、クレアの心の方が崩れてしまった。


「……あ、クレア」


 クレアの涙声を聞いて、自己嫌悪に陥る。何をやっているんだ。

 床に座り込んで涙を流すクレアを見て、自分がどれだけ身勝手だったかということにも気が付いた。クレアがどんな思いで戦っていたのかというのも考えてみれば簡単に気付くことができた。それを言わなかったクレアの気持ちを考えると、自分という存在が情けなかった。


「もう泣くなよクレア。俺が悪かった。悪かったから」


 ベッドから下りて、クレアの横に腰を下ろす。


「でも、でも私、どうしたらいいか分からないんです。遼河さんが戦えないなら、だって」

「分かった、分かったから。俺が戦えるように何とか努力するから。覚悟決めるから。だから、それまで待っててくれ。猶予が一ヶ月あるんだろ?」

「でも、遼河さん戦いたくないって」

「そんなこと言ってられないんだろ? 戦わなきゃいけないんだろ? 分かったからもう泣くのは辞めてくれ。大丈夫だから。クレアの気持ちも分かったから」


 クレアの頭を撫でながら必死でなだめる。

 クレアの涙も少しずつ少しずつ止まってきた。


「遼河さん。ごめんなさい」

「何でクレアが謝るんだよ」

「だって、だって、私のために、無理やり戦わせてるみたいで」

「それは違う。クレアのせいじゃない。誰のせいでもない。クレアは俺を生き返らせてくれて、俺はその実感がないっていう理由だけで、戦いから逃げる理由にして。クレアもあいつも、俺とは違って願い事のために、とっくに戦う覚悟を決めてるっていうのに。そりゃあ、あいつから『好奇心で参加するんじゃねえぞ』とか言われるわけだよな」


 クレアをまっすぐ見つめ、決して目を離さない。


「遼河さん」


 クレアはわずかに口元をほころばせ、目から零れてきた最後の涙を手で拭いながら、ご主人様の名前を呼んだ。


「俺自分のことばっかでさ、ホントごめん。この戦いってさ、クレアも優勝しないと死んじゃうんだってことに、全然気が付かなくてさ」


 そう。遼河はようやくこの戦いに負けると、自分の命とともにクレアの命も失われるという単純な事実に気が付くことができたのだ。


「私はそのつもりはありません」

「うん。それは俺もそう思ってる。だからさ、クレアが俺を生かすために戦ってくれるように、俺もクレアが生きられるように戦う。まだ戦えるほどの覚悟はできてないけど、でも……それじゃあ、ダメかな?」

「いいえ。嬉しいです。ありがとうございます。遼河さん」


 クレアは涙を手で拭いながら、遼河の体にもたれかかって、肩にちょこんと頭をのせた。



 ***



 そういえば、あいつの願いって、一体何なんだろう。あそこまでの覚悟ができるものって……って、誰だよ、こんな時間に。


 その日の夜。ベッドで横になって考え事をしていた時、突然訪問者を知らせるインターホンの音が鳴った。

 クレアはあれから少したって、うとうととベッドの上で寝てしまったので、遼河はベッドの横に布団を敷いて寝る羽目になっていた。


 クレアは……気付いてない、か。


 クレアの寝顔を見て大きな安心感に包まれる。顔から自然と笑みがぼれる。


 ベッドの上で幸せそうに寝ているクレアを起こさないように部屋を出て、一階へと降りて行き玄関のドアを開ける。


「あ、あの、夜分遅くに申しわけありません」


開口一番、訪問者がぺこりと頭を下げて、非礼をわびた。


「……あっいや、別に」


 訪問者の姿を見て、身体が固まってしまう。ドアに触れている手は力が入っているというわけでもないのに、一向に動かない。


「夕方ごろ、あなた方が走っている様子を偶然見かけて……メイドさんとそのご主人様かなと思って。でも話しかけていいのかどうかずっと迷って、それで、こんな夜中に……」


 訪問者は色々と喋ってはいたが、遼河の耳には全くといっていいほど入ってきていなかった。それもそのはず。


 こんな夜遅くに家を訪ねてきたのは、銀色に輝く長い髪が特徴の女の子だった。

 小柄で大きなパッチリ二重。瞳の色はもちろん銀色。クレアと同じ年齢くらいに見える。少なくともこんな時間に出歩けるような年ではないだろう。


「どうかされましたか?」

「あ! いや、何でも。……あっ、でも、えっと、あの、何ていうか」


 銀髪の訪問者を前にして、動揺してしまったためかは分からないが、


「……もしかして、あの、メイドさんですか?」


 単刀直入に聞いてしまった。

 

 もしかして戦いに来たのだろうか? そう一瞬思ったからもある。その理屈をすぐに撤回したのは、この女の子から、戦いの意思というか殺気というか、そういう敵対心のようなものがこれっぽっちも感じられなかったから。


 まあそもそも、この訪問者がメイドじゃない可能性もある。

 しかし、この外見にさっきの発言。

 どれをとっても自分がメイドだと語っているようにしか思えなかった。


「あっ、申し遅れておりました。私はリアと申します。城ケ崎鉄平じょうがさきてっぺい様のメイドをしております」

「そうなんですね、やっぱり……」


 自分で聞いておいて、相手がメイドだと認めたことに面を食らってしまう遼河。

 その動揺が相手に伝わってしまったらしく、リアは首を左右に振ってから、


「その、安心してください。私は別に戦いに来たわけではありません」


 と戦う意思がないことを表明する。


「えっ、じゃあ、どうして……」


「そうですよね。はい。えっと……実はあなたとそのメイドさんに頼みがあってきました」

「俺たちに……頼み?」


 リアの表情が突然暗くなったのを見て、ただならぬ雰囲気を感じ取る。

 体が緊張なのか恐怖なのか、よく分からないけど硬直して動かない。


「はい。実は……あの、私を、殺して欲しいんです」


 リアの声とともに伝わってきたのは、間違いなく苦しみや切なさといった負の感情だった。

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