デート中の出来事
さっきからずっと居心地の悪さを感じている。クレアが腕に抱き付いているせいだ。歩き辛いし、周りからの視線も気になって仕方ない。
はたから見ればただのカップルにしか見えていないのだろうが、それでも気になってしまう。
「遼河さん。今日は本当にありがとうございます」
日曜日。朝からずっと機嫌のいいクレアを隣に従えて、遼河は駅前のショッピングセンター内を歩いていた。
クレアの服を買いに来たのだ。
「あっ、でも、高い服は無理だからな。お金ないんだから」
遼河が神様から戦いのことや自分が死んでいることを聞かされてから五日。聞かされた時は動揺しまくっていたが、今はそれほどでもない。実感がまるでないからだ。
自分が死んでいると言われても、今こうして体は動いて、意識だって持っているわけで。
戦いだって、一度も経験していない。本当に戦いは行われているのだろうかと疑う気持ちもある。クレアの人間らしからぬところも、体が異常に熱いというところ以外はまだ知らない。それでも十分すぎる証拠なのだが、何かもっと違いがあった方が実感しやすいのにと、遼河は思ってしまう。
「そういえば遼河さん。これって私たちの初めてのデートですね」
「……それでいいよもう」
誰がどこからどう見ても軽くあしらったと感じるような淡泊な声で返事をしたのに、
「やったー。遼河さんとデート。初デート」
クレアは笑みを振りまき、さらにむぎゅっと体をくっつけてきた。
そんなクレアは今、もちろん遼河の家に住んでいる。
遼河は一つ屋根の下に男女が二人きりで……から始まる妄想を多少期待していたのだが、どうも自分の恥ずかしさというものが勝ってしまうということに気が付いて、多分一生彼女ができないと悟った。
クレアが「お背中流させていただきます」と言って風呂に押し入ろうとした時も、「一緒に寝ませんか?」と言ってベッドに入ってこようとした時も、顔を真っ赤にしながら断ってしまったのだから。
でもそうだったからこそ、クレアは今日こんなにも嬉しそうにベタベタくっついてくるのだとも思う。
「あんまりテンションあげるなよ。もう死にかけるのはごめんだ」
「はい。それは心得ておりますから」
そう言っているクレアの体温が少し上昇してきているのを肌で感じていた。ただクレアも意識していれば自分の体温上昇を抑えられるらしいので、抱き付くこと自体は許していた。
別に腕に当たるあのやわらかい感覚が癖になったというわけではない。断じて違う。
「あっ、遼河さん。あの服着てみたいです。あっ、あの服も可愛い」
とある店に入った遼河とクレア。随分とガーリーでピンクピンクしている。男一人で入るようなことになれば、変態の烙印を押されてしまいかねない雰囲気だ。
「うーん。どっちにしようかな……」
クレアはそんな遼河の心情を無視して服の前で悩んでいる。
「遼河さん。この服とこの服、どっちがいいですか?」
おっ、この質問は……。
遼河は一瞬にして身構える。
この質問は、世にいう正解するのが極めて難しい質問だ。
クレアは左右どちらの手にも、男の遼河からしたらどっちでもいいと思ってしまう、似たような感じの白いフリルのついたミニスカートを持っている。
「あっ、えっと、俺は……」
こういう時、女子の中では答えがすでに決まっていると聞いたことがある。そして、男はそれを確実に選ばなければならないとも。いや、一緒に悩んで欲しいからあえてこういうことをしていると言っていたような。
「俺は、その」
クレアの無言のプレッシャーに、もう背中は汗でべとべとだ。私が好きな方なんて知ってるよね、とでも言いたいのだろう。ってか、そもそもまだ二日しか一緒に過ごしてないし、彼氏彼女の関係性でもないので間違えたってそんなに大したことには……。
「遼河さん? どうしたんですか?」
「えっ、ああ、俺は右の方が可愛いかなって……思うよ」
「そうですか。じゃあこっちにしますね」
あれっ?
何だかあっさり終わってしまい拍子抜けしてしまう遼河であった。
クレアは遼河が選んだ方を買うことを即決した。
***
その後も遼河はクレアの服を買って回っていたのだが、クレアの服を選ぶ基準はどうやら、遼河がその服を好きかどうからしかった。
何だかそれは少しどうかと思う遼河であったが、クレアがそれでいいのなら……と正直に自分の好みで答えていた。
「遼河さん。今日はこんなにも、ありがとうございます」
「ああ、いやいいよ。これくらい」
そう言った後で財布の中を覗き、残っているお金を確認する。
まあ、そうだろうな。
お金は使うと減るということを改めて実感しつつ、当分無駄遣いはできないと肝に銘じる。家に帰ったら親に仕送りの額を増やしてもらう電話をしよう。単純に考えても、食費が二倍になるわけなので。
「遼河さん。やっぱり私が荷物をお持ちします。私は遼河さんのメイドですので」
「それはいいって。俺が持つから」
クレアはさっきから何度も荷物を持つと主張してくるが、それだけは頑なに譲らなかった。
そりゃあもちろん、クレアが荷物を持とうとする気持ちは分かる。一応自分のことをメイドと言っているわけなので。
しかし、それでは男としてどうかと思うのが遼河の正直なところ。
実際、最初に服を買った店で、クレアが遼河に受け取らせる隙すら与えず荷物を受け取った時、店員との間に変な空気が生まれたのだ。
えっ? 彼女に持たせるの? 的な空気が遼河にとって余計に恥ずかしかったのだ。
だから、絶対クレアに荷物は持たせられないのだ。
「遼河さん。やっぱり優しいんですね。そういうところも、私、大好きです」
クレアはそう言うとまた遼河の腕に抱き付いた。クレアのこういうところ、自分の思いをストレートすぎるくらいに相手に伝えられるところには、まだ慣れることができない。
「分かったから、とりあえず何か食べよう。ちょうど昼時だし、そろそろ腹も減ってきたし」
「そうですね。私もお腹が空いてきたところです」
「クレアは何食べたい?」
「遼河さんが食べたいものが食べたいです」
「いや、俺も何でも……」
男として、こういう時は女の子の好みに合わせなければと思っていたのだが、クレアの予想外の返しのせいで言葉に詰まってしまった。いや、これまでのクレアの行動を見れば、これくらいは考えておかなければいけないはずだった。
「そうだなぁ。じゃあ……」
クレアに任せるつもりでいたので、急に言われると優柔不断な気質が発動してしまう。
「どれもおいしそうですよね」
普通だったら嫌われてしまいそうな特技を見せつけている遼河のことを、クレアはにこにこしながら楽しそうに見つめている。
「じゃあ……あそこの店にし――」
「――あれ? 遼河じゃん。こんなところで……って」
ようやく店を決めたという時に、後ろから声をかけられる。
遼河はその声の主が誰なのか、すぐに分かった。
「お、おう。優。ぐ、偶然だな」
努めて冷静を装いながら振り返り、見え見えの動揺をできる限り隠しながら返事をした。
できればこんな状況で優には会いたくなかった。クレアを連れている状況で、優だけには会いたくなかった。学校も今週は体調がすぐれず休んでいたので、会うこと自体も久しぶりだ。
「まあ、偶然……いや、そんなことより遼河、お前、彼女いたのか」
優もまた動揺の色を顔に浮かべていた。彼女がいるなんて話したことはないので当然といえば当然の反応ではある。そもそもクレアはメイドという立ち位置で彼女ではないのできちんと訂正しておかないと。
「そうじゃなくて、彼女じゃなくて……」
否定しながら、クレアの手を振りほどく。
ただ、それはそれで少しまずいと思い、罪悪感からクレアに目を向ける。
「遼河さん。この方は一体?」
クレアはショックを受けているようなそぶりも少しも見せず通常運転。声色もいつものままで優のことを尋ねてきた。
「ああ、こいつは――」
「俺は檜佐木優っていいます。遼河とは高校の同級生で、仲よくて。どうも」
どうやらクレアの声は優にも聞こえていたらしい。優は自己紹介をして軽くお辞儀をした。
「遼河さんのお友達なんですね。それは大変失礼しました。いつも遼河さんがお世話になっております」
クレアも優に向けて深々と頭を下げる。
「あ、いや、そんな、何ていうか、俺の方がお世話になってるっていうか」
優は自分の親友にこんな美人な彼女がいることに驚いているのだろう。たどたどしい受け答えしかできていない。
それから優の腕を掴んで、自分の方に手繰り寄せ、耳打ちする。
「おい遼河、ちょっと」
「何だよ」
「お前、彼女いないって言ってなかったか? いつの間にこんな美人な彼女を――」
「だから彼女じゃないって!」
また大声で否定してしまった遼河は慌ててクレアを見るが、やはりショックを受けているような様子はない。
「そんな恥ずかしがるなって。それより、こんな子といつから付き合ってるんだよ。いつ知り合ったんだよ」
だんだんと遼河を弄ぶような言葉遣いに変わってきている優。耳打ちももう辞めていた。あえてクレアに聞こえるように話して、恥ずかしがる友達の姿を見て楽しんでいるのだ。
「いや、いつからって、それはその……」
答えに困る。クレアとの出会いは特別すぎるほど特別なので、どこをどう説明していいのかがさっぱり分からない。事実をありのまま、バカ正直に説明するわけにもいかないし。
「そんな勿体ぶらなくたっていいだろ?」
「いや、だから……」
どうしようもなくなってクレアの方に目配せし、無言で助けを求める。
「あ、優さん。それは私が」
小さく頷いたクレアが、任せてと言わんばかりに自信満々な声で説明を始める。
「実は私たちは二日前に出会いました。それから遼河さんのメイドとして、 私は遼河さんにお仕えし、ご奉仕させていただいております」
状況は急転した。
とてつもなく悪い方向に。
「おいクレア! その言い方は」
流石にヤバいと思った遼河は慌てて弁解しようとするも、
「メイド? って遼河、えっ? 遼河のメイド? いや、でも、あ、いや、まさか、いや……あっ、えっ、でも、この子とは一体どういう……」
表情を歪めながら、クレアと遼河を交互に見つめる優。
絶対に性的な意味で勘違いをしている反応だ。
「いや、だからそうじゃなくて、メイドはメイドなんだけど、ご奉仕って、優が今考えてるご奉仕じゃなくて」
「でもメイドって……、いや、まさか……」
「ああ! ごめん優。俺たちちょっと用事思い出しからさ。悪い。また学校で! ほら、クレアも行くぞ」
優の言葉の続きが何となく想像できてしまった遼河は、クレアの手を握り一目散にその場から走り去った。
メイド。
ご奉仕。
正常な男子高校生が聞けば絶対にいやらしい言葉に聞こえる単語。クレアに助けを求めたのが間違っていた。とにかく走り、ショッピングセンターの外に出てもまだ走り続け、人気の少ない裏路地まで来たところでようやく足を止める。
「どうしよう。やべぇ……」
優が言いかけた言葉を想像するだけで恥ずかしくなる。自分の性癖を勘違いされてしまった。いや、そもそも性癖なんて持ってない――はず。
「遼河さん? いきなりどうしたんですか?」
どこか心配そうに尋ねてきたクレアは呼吸ひとつ乱していない。さすがに異世界人というだけはある。
「いや、別に何でもな――いや何でもあるよ! お前なぁ……あれだと変に勘違いするだろ?」
「私はそのままお伝えしたので勘違いは起こらないかと。それにお前ではなく、クレアと呼ぶ約束です」
クレアは腕を組んであからさまに不機嫌そうな顔をしている。
「あのなぁ、今はそんなことより」
「そんなことではありません」
遼河も怒りたい気持ちで一杯だったのだが、クレアの機嫌が悪い状態を初めて見たせいか、怒りの気持ちが自分の中からなくなっていくのを感じていた。
「分かったよ。クレア。俺が悪かったよ」
とりあえず謝罪する。何で自分が謝る羽目になっているのか疑問には思っているが。
「あっ、私もその、取り乱してしまって申しわけありません」
遼河が謝ったことでクレアも少し冷静さを取り戻したらしく、ぺこりと頭を下げる。
「もういいよ。でも、あの言い方は誤解を生むから辞めてくれ」
「誤解? 何の誤解ですか?」
「大丈夫だもう気にするな」
クレアは真実をそのまま伝えたと思っているらしい。これ以上何を話しても無駄だと悟り、説明を放棄した。でもあれなら、彼女だって言ってくれた方が――それも恥ずかしいわ!
「あ、そう言えば、遼河さん」
「ん? 何だよ?」
「さっきは嬉しかったです。初めて遼河さんの方から手を繋いでくれて。しかもこんな人気のないところに連れてくるなんて……」
恥ずかしがるクレアに上目づかいで見つめられ、胸がきゅっとなる。
しかし、それもつかの間。
「遼河さん。来ました」
既にクレアの顔から恥じらいは消えていた。
初めて見るクレアの真剣な顔。力強い声。
遼河は口に溜まった唾を飲み込んで、
「こんな、いきなり来るのか」
緊張感と少しの恐怖に包まれながら、遼河は周囲を警戒し始めた。