出会いと別れの季節
「遼河、今朝のニュース見たか? 公園のやつ」
「知ってるよ。昨日の火事だろ」
「犯人も方法も一切不明らしいってさ。怖いよな」
五月十二日の放課後。焔木高校、一年四組の教室では、紅嶺遼河が鞄に教科書を詰めつつ、同級生の檜佐木優と、昨日発生した放火事件について話していた。
遼河と優は高校に入学してから知り合ったので、初対面から一ヶ月近くしか経っていないが、何かと息の合った二人はすぐに友達になっていた。
優は爽やかな雰囲気で、笑顔以外の顔を遼河はほとんど見たことがない。ショートの黒髪で大きめが特徴で溌溂としたイメージがそのまま顔のつくりに表れている。身長も百八十はあると言っていた。
「そうそう。目撃者の話だと、急に炎がブワッって出てきたらしい。一瞬マジックか何かだと思ったって」
「確か、その中心に女の子がいた、みたいな話もなかったっけ?」
「あっ、言ってたなそれ。でも、そいつが犯人だとすると、怖いよな。まだ逃走中ってことだろ?」
「ま、いずれ見つかるさ」
優と他愛もない会話をしながら鞄に荷物を詰め込む。それを終え、スマホをポケットから取り出して時間を確認する。
「ごめん優。俺、いつものやつ」
顔の前で両手を合わせる。優もそれで察してくれたようで、ねぎらいの言葉をかけてくれる。
「そっか。今日はタイムセールか。一人暮らしはそういうところが辛いな」
「まあな。親が必要最低限しか金くれなくてさ、こういうとこで削らないと、他が何も買えなくなるから」
遼河の両親は海外に住んでいる。遼河が中学校に上がる時に転勤が決まったのだ。その際、両親は遼河も連れて行こうとしたのだが、遼河がそれを拒否。その後、少し一悶着があった結果、こういう形で遼河は家に残って一人暮らしをしている。
「一人暮らしって意外と大変なんだなぁ」
「そんなことないって。結構気ままだし、楽でいいよ」
優に返事をしながら鞄を背負って帰る準備完了。
「じゃあまた明日な」
「ああ、ジャガイモいっぱい買えるといいな」
「おう、まかせとけ」
軽く手を上げて優に別れを告げ、遼河は主婦の戦場であるスーパーに高校生代表として向かうのだった。
***
今日は清々しいほどの青空が広がっていた。陽光を遮るものがないため、夏を思わせるような暑さが空から降りかかってくる。汗をかくのは嫌いではないが、じんわりと体に纏わりつくような汗となると話は別だ。まあ、歩くスピードを緩めるつもりはないんだけど。
遼河は今日の夕飯に何を作るかを考えながらスーパーへ早歩きで向かっていた。ジャガイモのフルコースは決定として、どの料理を作るか。自分より前を進んでいた人たちをどんどん追い抜いていく。タイミングよく目の前の交差点の信号が青に変わってくれた。
横断歩道を渡りつつ、今一度買うものを確認しようとスマホを取り出し、ネットで検索してスーパーのチラシを確認する。えっと、豚肉、卵、ニンジン、ジャガイモと――
「――あっ、すみません」
スマホの画面しか見ていなかった遼河は、横断歩道を渡り切った時に、明らかに自分の不注意で体をぶつけてしまった。
「ちょっとボーっとし……」
ぶつかってしまったのは自分に非があったのだが、それで相手が倒れてしまったわけではない。本当に軽くぶつかってしまっただけだ。
遼河は軽く頭を下げそのままスーパーに急ごうとした。
「……て…………て」
言葉が空中をさまよって、誰にも届かず霧散する。
顔を上げて、ぶつかった人と目があった瞬間、遼河の体は動かなくなってしまった。艶やかでさらさらとした真っ赤なロングヘアーが風ではらはらと揺れている。頬はほんのりと朱色に染まり、来ている白色のワンピースが何も主張していないからこそ、かえって彼女のスタイルの良さや可憐さを強調させている。そして、小さな口をぽかんと開けて、虚を突かれたかのような表情で遼河をじっと見つめている。よく見ると瞳の色は燃えるような深紅色だ。
「あっ、えっと」
真っ赤な髪の少女に見惚れてしまって、つい我を忘れてしまっていた遼河だったが、こんな女の子と見つめ合っているという状況がだんだんと恥ずかしくなってしまい、
「ホントにごめんなさい。ちょっと俺急いでるんで」
紅潮した顔を隠すようにもう一度頭を下げて、急いでその場から立ち去ろうとする。
「……あっ、待って下さい!」
が、その少女は手首をつかまれてしまう。彼女の手が触れている部分から熱が体中に広がっていく。体中の細胞が強張って、体の自由を奪っていく。
「えっ! あっ、えっ、えっと……」
情けない声しか出せない。
早くこの場を立ち去りたいけれど、呼び止められたのも事実なので無視するわけにもいかない。動揺が清々しいほどに浮き彫りになった表情のまま彼女に目をやると、彼女は面映そうに目を伏せて、黙ってしまった。一向に手も離してくれない。
「あの……ごめんなさい、俺に何か用ですか?」
しびれを切らして遼河の方から問いを投げかける。冷静を装っているものの、本当は心臓が飛び出そうなくらい緊張していて、声は若干震え気味だった。
「……あっ、えっと、あの、私、私を、あなたのメイドにして下さい。私、今とてもドキドキしてい――」
刹那、遼河を悲劇が襲った。二人が立っている場所に、猛スピードで白のトラックが突っ込んできたのだ。
えっ?
この出来事はあまりにも一瞬過ぎて、遼河は視界の隅にトラックが急に出現した、と思う程度のことしかできなかった。そう思った直後には、痛覚とか視覚とかの感覚はなくなっていた。体がトラックとコンクリートの壁の間に挟まれて、押し潰されてしまったのだ。
死に対する恐怖とか、今から自分は死ぬんだという意識も感じられないまま、視界が暗転して何も見えなくなる。体が熱い気もするし、酷く冷たくなっている感じもする。遠のく意識に対して、抗うことなどできるはずもなく、実感も何もないまま紅嶺遼河は死んだのだ。十五歳というその短い生涯を終えたのだ。
しかし、この出来事で唯一幸運だったことがある。
それは、トラックが遼河の体だけに直撃し、その瞬間に遼河は彼女の手を振りほどいたために、彼女が事故に巻き込まれなかったことである。