セクション01:図書室にて
ここは、人工島の上に作られた飛行場。
3000メートルの長さを持つ滑走路には、今日もタービンの音が響いている。
プロペラ輸送機C-27Jスパルタンがゆったりと降り立ったかと思えば、ジェット戦闘機ミラージュ2000が赤い炎を尾から引きつつ飛び上がっていく。
ここにいるのは、全て軍用機。
駐機場に並ぶ機体は、全てジェット戦闘機。
そのボディには共通して紫、白、黒に上から塗り分けられた円形紋と、『Royal Thrusian Air Force』という英文が書かれている。
ゆっくりと駐機場へやってきたスパルタンもまた、その点は共通していた。
この飛行場の名は、ファインズ空軍基地。ヨーロッパは大西洋上に浮かぶ小さな島国、スルーズ王国の空を守るスルーズ空軍の軍事基地なのだ。
だが、軍事基地としてはいささか奇妙な点もあった。
一直線に並んだ格納庫を挟んで向かい側には、学校の校舎があるのである。
当然ながら、ただの学校ではない。
その名を、スルーズ空軍航空学園ファインズ分校。
スルーズ空軍の未来を担うファイターパイロットの卵達が、日々勉学に励む場所である。
軍人の学校とはいえ、行き交う生徒達の雰囲気は民間のそれと全く変わらない。
彼らにとって重要な行事を控えた今の時期も――
* * *
常に静寂な空間が確保されている場所、図書室。
今日もここには多くの生徒達が集まり、テーブルの上に問題集とノートを広げせっせと勉強に励んでいた。
少年ツルギもまた、そんな人物の1人である。
1人だけ車いすに座っているという、軍にいる人間としては異質な風貌ながら、それを一切気にしないほど集中して勉強している。
最後の問題を解き終わり、答え合わせ。
それを終えた所で、体の力を抜き背もたれに身を預ける。
「やっとここまで終わった……」
大きく腕を伸ばしながらつぶやく。
キリのいい所まで進んだ所だし、少し休憩にしよう。
そう決めた彼は、左隣に座るパートナーに顔を向けた。
「ストーム、そっちの調子は――」
どうなんだ、と言いかけてツルギは絶句した。
青いメッシュが入ったセミロングの茶髪が特徴的なパートナーは、力なくノートの上に倒れ込んでいた。
「な、何堂々と寝てるんだよ……」
呆れてそうとしか言えなかった。
勉強があまり得意ではない彼女がここにいるのは、ツルギが連れてきたからだ。
勉強をする時は、自室よりも図書室のような公的な施設の方が集中してできる。その事を教える意味で、彼女とここで一緒に勉強する事にしたのである。
だが、居眠りをされてしまっては、せっかく連れてきた意味がない。
ツルギはストームを起こそうと、肩に手を伸ばした。
すると。
「う、うむむ……」
ストームは、ゆっくりと寝顔をツルギに向けた。
どきり、と僅かに心臓が高鳴った。
「いじょー、ストームによる、『ナイフエッジ・マニューバー』でしたあ……むにゃむにゃ……」
ぎこちなく寝言を言うストームは、夢の中で元気にアクロバット飛行をしているようだ。
そんな彼女の寝顔は、何とも幸せそうで、とてもかわいく見えた。
加えて、机に伏された体に押し潰されている豊満な胸にも目が行ってしまう。
「う……」
反則だ、とツルギは思った。
こんなにかわいい顔されたら、起こす気がなくなっちゃうじゃないか、と。
不意にこんな姿を見せるから、ストームは扱いに困ってしまう――
「何、やってるの……?」
と。
不意に第三者の声が耳に入り、ツルギは現実に引き戻された。
見れば、ツルギの向かいの席には、隻眼の少女――ラームがいた。
桃色にも見える赤髪を後ろで1本にまとめた彼女は、まるで怪しい人を見るかのように左目でじっとツルギをにらんでいる。
「あ、いや、これは、その――!」
まさか、今変な顔でもしていたのだろうか。
途端、顔が一気に熱を帯びてきた。
動揺のあまり、ごまかそうとしてもうまく言葉が出ず、目を泳がせるしかない。
そんな時。
「ツルギ様ーっ!」
ふと、ツルギを我に返らせる声が背後からした。
振り返ると、図書室の入り口近くに、見知った人影があった。
緑色のフライトスーツを身に着けた、無邪気そうな少女。
彼女は目が合った途端、嬉しそうにまっすぐツルギの元へとやってきた。
「カローネ」
「テ、テスト勉強おつかれ様ー! 調子、どう?」
少し緊張気味に話す少女の名は、カローネ・リンドブラード。
輸送機科があるエリス分校の生徒であるが、しばしばここにも顔を出す生徒だ。
見れば、少し離れた所には彼女の姉であるアリス、ベルタの姿もある。輸送実習の一環でここに来た事は、それだけでわかった。
「あ、ああ、何とか。もしかして、今日も輸送で?」
「うん。だから、ついでに――」
すると、カローネは持っていたバッグを開けて、何やらまさぐり始めると。
「これ、差し入れ持ってきたの!」
カローネは、袋を1つ差し出した。
安っぽいビニール袋ではあったが、中にはペットボトルの飲み物が入っていた。
驚いた。まさか差し入れを持ってきてくれる人がいるなんて。
だが、すぐに受け取る気にはなれなかった。
「差し入れ? いや、気持ちは嬉しいけど――」
「え、何?」
「ここは飲食禁止だから、今渡されてもちょっと――」
「あ」
そこで、カローネは自分がした過ちに気付いたようだった。
この図書室は、当然ながら飲食禁止である。下手をしたら飲食物を持ち込んだとばれた途端に追い出されてしまいかねない。
「そ、そうだ! 忘れてたーっ! ご、ごめーんツルギ様! 図書室ってあんまり行った事ないから――!」
途端に顔を真っ赤にして謝るカローネ。
動揺しているせいか、その声は静かな図書室にかなり響くほど大きくなっている。
ラームを含む、生徒達の視線がカローネとツルギに集まる。
隣で居眠りしているストームが、うーん、と唸る。
「ちょ、ちょっと、静かに静かに」
「……あ!」
慌てて注意すると、カローネはまたやっちゃった、とばかりに両手を口で覆う。
くくくく、と小さく笑っているのは姉のアリスだろうか。
「い、いろいろごめーん……差し入れ、また今度にするから……じゃーね……」
がっくりと肩を落としそれだけ言うと、カローネは口をふさいだまま背を向けた。
そんな後ろ姿を見たツルギは、少し後ろめたい気持ちになってしまった。
せっかくカローネは善意で差し入れを持ってきてくれたのだ。自分の言った事が、その気持ちを否定してしまったように思えてしまった。
だから、ツルギは呼び止めた。
「ま、待って。別に、今受け取れないとは言ってないよ。図書室の外で受け取ろうか」
途端。
カローネを足がぴたり、と止まった。
「ほ、ほんとー?」
振り返ったその顔には、いつもの無邪気さが戻っていた。
だが、同時に声の大きさも戻ってしまった。再び生徒達の視線が集まる。
「だ、だから静かに静かに」
「あ!」
カローネは再び、両手を口で覆ったのだった。