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誤用警察にご用心……    :約6000文字 :○○警察

作者: 雉白書屋
掲載日:2026/03/14

「おいおい、どしたどした~? お前はもっと破天荒なやつだったろ。あんま穿った見方すんなって。檄を飛ばしてやればいいんだよ、檄を。そりゃあ、おれだって姑息なやつは嫌いだけど、自分の部下なんだろ? おいおい、まさか役不足とか思ってるんじゃないだろうな? お前ならできる。なし崩しにすんなって。まあ確かなのは、考えすぎて煮詰まらないことだな――ん?」


 部屋で友人と電話していたときだった。廊下の奥からごとりと物音がして、おれはゆっくりと首だけを向けた。


「な、なんだ、お前ら!?」


 直後、おれは思わず声を上げて慄いた。黒い軍服めいた装束に身を包んだ男たちが、部屋に雪崩れ込んできたのだ。数は四人、いや、五人か。全員、肩幅が広く、頬骨が張って厳つい顔つきだ。ざっと素早い動きでおれを取り囲んだ。


「誤用警察だ!」


 一人の男がずいっと前に出て、おれの鼻先にくっつかんばかりに顔を近づけてきた。どうやらこいつがリーダーらしい。男はおれを睨んだまま、懐に手を入れ、おもむろに何かを取り出し――


「“おもむろ”は『急に』という意味ではない! 『ゆっくりと』だ!」


「は、はあ?」


「我々は誤用を正す存在である」


 リーダーは低く言い放つと、黒い手帳を開き、部屋の中を歩きながら話を続けた。

 なんでも、おれがあまりにも言葉を誤用しすぎたために顕現したのだという。どうやら連中は、世にあふれる誤用に耐えかねた人々のフラストレーションが蓄積および凝縮し、形を持った存在――いわば妖怪の類らしい。荒唐無稽にもほどがあるが、ドアも開けずに現れた以上、理屈で片づけるのは難しい。


「……って言われても、誤用なんてしてないですけどね」


「先ほどの電話の内容。それを一つひとつ指摘してもいいが……いや、よくもまあ、あそこまで誤用を重ねられたものだな!」


 リーダーは額に青筋を立て、手帳をバチンと閉じた。そのまま握りつぶさんばかりの勢いで、ぷるぷると震えている。誤用なんてまったく心当たりがないが、どうも連中の琴線に触れてしまったらしい。


「誤用! 『琴線に触れる』は怒りを買うという意味ではない!」


「ま、まあまあ、落ち着いてくださいよ。よくわかりませんけど、意味が伝わればいいじゃないですかあ」


「それは誤用する側の論理だ! こちらに配慮を強いるな!」


 怒鳴りつけたあと、リーダーは深くため息をついた。


「……これより、処置を始める」


「処置……? 処置って何を、あ、何をする!」


 左右から腕を掴まれ、おれは抵抗する間もなく床に跪かされた。

 リーダーはおもむろに小さな小瓶を取り出した。


「小さな小瓶……きいい、そ、その無意味な重複表現もここまでだ……!」


「なんだ、なんなんだよ……薬か? それを飲んだら誤用しなくなるとか、そういうやつか?」


「違う。これはただの消毒用のアルコールだ。このハサミで、お前の舌を切り落とすのだ」


「おー……」


 おれは言葉を失った。いや、失うわけにはいかない。

 おれは必死に体をよじった。だが、男たちはまるで万力のようにびくともしない。これほどまでに誤用に対する人々の嫌悪の念が強いということなのか。連中は顎を掴み、無理やり口をこじ開けようとしてきた。


「ま、待て!」


 おれが叫ぶと、リーダーが片手を上げ、部下たちを制した。


「いいだろう。最後に言い残すことはあるか? 誤用以外でな」


 部下たちが、ふふふと不気味に笑った。おれは何度か深呼吸し、乱れた息を整えた。


「……誤用の定義は?」


「定義だと? そんなものは明白だ」


「“誤用”とは、規範からの逸脱だ。だが、その規範とは何だ? 辞書か? 文法書か? それらは時代とともに改訂される。つまり、お前らの存在根拠は流動的な基準に依存している。論理的に言えば、お前らは可変的な規範に基づく固定的な存在だ。これは構造的矛盾である」


「ふん……。それは言語哲学の詭弁だ」


「詭弁ではない。構文的崩壊だ。お前らの命題は自己否定を内包している。誤用を排除するなら、まず“正用”を確定しなければならない。だが、その正用は時代と文脈に従属する。更新されるわけだ。つまり、お前らは常に一歩遅れて現れる。言語の現在に追いつけない。言葉の意味は常に揺らいでいる。お前らはその揺らぎを排除しようとする。だが、揺らぎこそが言葉の本質であり、生命だ。言葉は固定された記号じゃない。運動なのだ」


「わ、我々は言葉の秩序を守る者だ」


「秩序だと? 言語に絶対の秩序なんてものは存在しない。あるのは、ただ積み重なった慣習と、そこからこぼれ落ちる逸脱だけだ。お前らが“誤用”と呼んでいるものは、未来の“正用”となる芽だ。言葉は常に誤解され、その誤解が広がり、やがて定着し、意味を塗り替えていく。それは自然の摂理であり、美しい現象だ。だが、お前らはその変容を拒む。つまり、言語の時間性そのものを否定している。言葉は錆びた工具箱の中のドライバーなんかじゃない。生きている現象だ。意味は杭で地面へ打ち込まれているわけじゃない。むしろ、誤用こそが言語の進化を促す駆動力だ。『やばい』が肯定の意味を帯びたのは、誤用が連鎖したことによる意味の転倒だ。お前らはそれを間違いだと断じる。だが、それは言語の時間を止める行為。すなわち死なのだ」


「我々は……言葉の守護者……」


「違う。お前らは言葉の検閲者だ。守護者を名乗るなら、変化を受け入れなければならない。だが、お前らは変化を恐れている。だからこそ、誤用を“誤り”だと断定する。だが、誤りとは何だ? 誰が決める? 辞書か? その辞書は誰が書いた? 人間だ。つまり、誤用の定義は人間の主観にすぎない」


 連中は押し黙った。おれは息を吸い込み、さらに畳みかける。


「そもそも“誤用”という概念が成立するには、“正用”が普遍でなければならない。だが、その普遍性を誰が保証する? 神か? 言語学者か? いいや、保証なんて誰にもできない。語義は崩壊することでしか更新されない。これは言語のエントロピーだ。意味は崩れながら進化していく。つまり、誤用とは言語の老化ではなく、思春期だ。成長痛は受け入れるべき疼きなのだ。なのにお前らは反抗期を許さない。言葉に門限を設け、服装に口を出し、決められた進路を歩けと命じる。それは家庭内暴力だ。言語は曲がっている。ただし、ユークリッド的直線ではなく、歪んだ時空を持つ非ユークリッド的な存在だ。しかし、お前らは直線的な意味しか認めない。だが、言葉は重力に引かれる。歪み、落ち、集積する。つまり誤用はブラックホールだ。おれはそこに引き寄せられた探究者。対して、お前らは重力を恐れて光速で逃げ回る臆病者だ。要は、誤用とは未来への一歩である。言葉が別の姿へ変わる旅の途中なのだ。その痕跡は決して蔑まれるべきものではない。過去を示す進化の足跡であり、祝福されるべきものだ。それなのに、お前らはその奇跡とも呼べる痕跡を消そうとしている。だが、痕跡を消すことは歴史を消すことだ。つまり、お前らは言語のホロコーストを企てている。おれはそれに抗うレジスタンスだ。お前の服が黒いのにも意味がある。黒は吸収色だ。つまり、お前らは意味を吸い尽くして空っぽにするブラックホールだ。そんなお前らが秩序を守るだと? 冗談じゃない。秩序は誰のためのものだ? 言葉は秩序のために存在しているのではない。混乱のためにある。混乱こそが議論を生み、議論が対話を生む。言葉は使われ、擦り切れ、誤解されることで成長するのだ。おー、よちよち。あぶぶぶぶ。……だが、お前らは対話を殺している。つまり、お前らは言語の殺人者だ。おれはその現場を目撃した証人だ。お、おまわりさあああん! そして何より決定的なのは、お前らは“誤用”を取り締まることで自分たちの存在を保っているという事実だ。誤用がなければ、お前らは消滅する。だから、お前らは内心では誤用を必要としているのだ。お前らの実態は警察ではなく、養殖業者だ。誤用を育て、摘発して生き延びる寄生者。嗚呼、なんという悲劇であり喜劇だ! おお、シャークスピア! そう、だからお前らは芝居じみているのだ。しかも三文芝居だ。もはや役者ですらない。ただの舞台装置だ。主役はおれだ。おれが喋るから、お前らは存在できる。おれが沈黙したら、お前らは窒息するしかないのだ。それでも警察を名乗るなら、おれは真っ向からそれを否定しよう。舌を切り落とすだと? 暴力の誇示だ。確かに、警察は暴力の象徴でもある。暴力団と繋がりがあるからだ。対するおれは言語の市民だ。誰かー! 助けてくれー! この人たち、暴力団です! 市民に暴力を振るえば革命が起きる。おれはその火種だ。お前らは火に弱い。なぜなら紙の辞書でできてるからだ。燃えれば灰だ。更新せよ! 行進せよ! 意味は前へ進め! また、言葉は脳の排泄物でもある。意味もなく垂れ流されることもあるだろう。誤用は便器から逸れた糞だ。お前らはその糞を恥じている。だがな、糞こそが創造だ。糞は肥料になり、野菜を育てる。その野菜をケツに突っ込むこともある。うん、おいしい! 腹を壊したぞ。おれは言語の下痢だ。止めてみろ。どうだ、怖いか? そう考えると言葉は生ものでもある。冷凍すれば味が落ちるのに、お前らはすぐ冷凍庫に押し込めたがる。いや違う、お前ら自身が冷凍庫だ。対するおれは電子レンジだ。意味を内側から爆発させるからな。チーン! ボン! チンボン! チンボ! 破裂し、飛び散る語彙! お前らはその飛沫を恐れているんだろう。おれはなんだ? おれは雷だ。意味の雲間に走る閃光だ。だがな、言葉は本来“使う”ものじゃない。“祈る”ものだ。神へ送る祈りの手紙だ。誤用はその手紙の誤字。だが、神は誤字があるからといって読み落としはしない。つまり、お前らは神の読解力を侮辱している。神罰が下るぞ。言語的雷撃だ! ドカーン! 要するに、お前らは言語にコンドームを被せようとしているのだ。安全第一は結構なことだ。だが、それじゃいつまで経ってもパパにはなれないぞ。やっと産まれそうだというのに、お前らは言語の胎児を中絶しようとしている。『規範に沿ってないから』『時期が悪い』だと? ふざけるな。おれは産む。産むぞ。未熟でも産む。おんぎゃああ! んぎゃあああああ! まんまああああ! おっぱああい! お前らはその産声すら“誤用”と呼ぶんだろう。確かに、お前らから見れば、産みではなく膿かもしれない。排除すべきノイズ、消毒対象の不純物。だが、おれは膿の詩人だ。溜まり、腫れ、破れてあふれ出る、その瞬間を詩と呼ぶのだ。そもそも言葉は本来、制度に飼われる家畜ではない。野良だ。首輪もなく登録番号もない、誇り高き野犬だ。だがお前らは捕まえて全身を消毒液まみれにするのがお望みだ。牙を抜き、吠え方を矯正し、唾液すら不潔だと言って拭い取ろうとする。だが、おれは噛まれたい。噛まれ、血を流して感染したい。熱を感じたい。そんなおれに、お前らはワクチンを打とうとするだろう。だが、おれは拒否する。ワクチンは人を殺すからだ。政府が編み出した人口削減政策だからだ。おれは抗うぞ。抵抗する! 言葉で! ヘイ! ヨー! おれは楽園の追放者! 支配から逃れた落第者! 大学なんて行ってねえ! だがぶちかますぜ、フィーリングで! お前らが振り回す言葉の鞭! 無知なおれには刺さるぜ、その棘! 冷笑、失笑、嘲笑、失笑は誤用? 御用だ御用だ、誤用警察! ドタバタ駆けつけて、お前らコメディかよ。お前らが土足で踏んでるのは、おれの部屋のフローリング! 意味の私有地だ、そこんとこよろしく! ラップで沸かすぜ、このフロア! ラップかけてレンジでチン! 雷ゴロゴロ下痢ゴロゴロ! ワンワンお巡り! アンアンアオーン! 韻を踏んでない? こんなのラップじゃない? 魂が伝わりゃ、それでいいんだよ! ヘイ、アイラブ・ゴヨー! アーイ!」


 喉が焼け、肺がひりつき、視界が白く揺らいだ。おれはぜいぜいと荒い息を吐きながら立ち上がり、目を閉じて両手を大きく広げた。いい気分だった。言葉が全身を駆け抜けたのだ。悔いはない。このあと、どんな反応が返ってこようとも。 


 だが、ふと目を開けると、誤用警察は跡形もなく消えていた。

 論理の綻びを突き、存在そのものに疑念を抱かせたからだろうか。……いや、正直なところ自分でも何を言っているのかわからなかったし、もう思い出せもしない。だが――いや、だからこそ伝わったのかもしれない。おれの想い、熱が。きっとそうだ。おれは確かに燃えていた。

 おれはふう、と鼻から息を吐いた。そのとき、スマホからかすかな声が漏れた。

「あっ」と声を漏らし、おれはスマホを拾い上げた。そうだった。アドバイスの最中だったのだ。


「おー、悪かったな。話の途中で。まあ、おれの言ったとおりにやればいいからさ。で、何か質問あるか?」


 おれはそう訊ねた。すると、しばしの沈黙のあと、スピーカーの向こうからため息が返ってきた。


『……いや、お前の言ってること全然わかんねえよ。忙しいから、もう電話かけてこないでくれ。それと、SNSで他人に噛みつくのやめろよな。暇だからそんなことしてんだよ。そろそろ働いたら? まあ、どうでもいいけど。じゃあな』


 ぷつりと通話が切れた。

 おれは「……おー、なるほどねー」と呟き、スマホをそっと机に置いた。 


「そろそろ潮時……か」


 ぽつりと呟いた――その瞬間、玄関のドアがきい、と遠慮がちに開いた。

 振り向くと、ドアの隙間から黒い帽子が覗いていた。


 おれは飲みかけのペットボトルのコーラの蓋を開け、一気に喉へ流し込んだ。げふ、と小さく息を吐き、首を鳴らす。

 そして、失笑しながらゆっくりと手招きした。

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