第二章 未来を知る男
やり直しから一週間。世界は、俺の記憶どおりに動いていた。
朝のニュースで流れる株価の推移、コンビニで始まるキャンペーン、社内で起きる小さなトラブル。三年前の出来事が、寸分違わず再現されていく。その正確さが、逆に恐ろしい。
俺は未来を知っている。
その事実は、甘美だった。
営業会議では、次に来る市場トレンドをさりげなく提案する。「サブスク型の短期体験キャンペーン、伸びますよ」と。三年前には半信半疑だった上司が、今回は真剣にメモを取る。後輩の佐藤は、尊敬の眼差しを向けてくる。
「榊原さん、なんでそんなに先が読めるんですか?」
「勘だよ」
軽く笑ってごまかすが、胸の奥で優越感が膨らむ。
俺は、間違えない。
仕事は順調に回り始め、評価も上がっていった。三年前には任されなかった大手案件も、今回は俺が中心だ。人は結果を出す者を疑わない。少しの違和感があっても、「できるやつ」で片付けられる。
だが、全てが完璧に進むわけではなかった。
夜。彼女——真奈は、ソファに座りながら俺を見つめていた。
「最近、なんか変わったよね」
「そうか?」
「うん。前より優しいし、話も聞いてくれるし……嬉しいけど、ちょっと不思議」
図星だった。俺は三年前の後悔を知っているから、同じ轍を踏まないように振る舞っているだけだ。自然体ではない。
「悪い方向じゃないなら、いいだろ?」
「まあ、そうだけど」
真奈は笑う。しかし、その瞳の奥に小さな疑問が残っているのを、俺は見逃さなかった。
未来を知るということは、相手の未来の言葉も知っているということだ。
三年前のこの時期、真奈は仕事で大きなチャンスを掴む。地方のデザイン事務所から、東京の有名スタジオへの転職オファー。それは彼女にとって夢への一歩だった。
だが、そのときの俺は反対した。「遠距離は無理だ」「今は俺の仕事が大事だ」と。
そして彼女は迷い、結局オファーを断った。
それが、後に彼女の心に深い後悔を残すことになる。
今回はどうする?
数日後、真奈は例の話を切り出した。
「実はね……東京のスタジオから声がかかってて」
来た。
心臓が早鐘を打つ。未来どおりの台詞、同じタイミング。だが、ここでの選択は、まだ白紙だ。
「すごいじゃないか」
即答だった。
真奈は目を見開く。「……反対しないの?」
「する理由がないだろ。お前の夢なんだから」
言いながら、胸の奥がざわつく。東京に行けば、物理的な距離ができる。三年前の別れの直接の原因は俺の未熟さだったが、遠距離の不安も確かにあった。
それでも、今回は違う。
「遠距離になるけど……」
「なんとかするさ。俺も、いずれは東京の案件を増やすつもりだ」
半分は本音、半分は勢いだ。だが、未来を知る俺なら、それも不可能ではない。
真奈はしばらく黙っていたが、やがて小さく頷いた。「ありがとう、直人」
その笑顔は、三年前よりも晴れていた。
正しい選択をしたはずだ。
なのに、胸の奥に引っかかるものがある。
夜、ひとりでベランダに出る。街の明かりが滲む中、あの文字が再び浮かび上がった。
——未来は固定ではありません。
「……どういう意味だよ」
呟いても、答えはない。
数日後、社内で小さな事故が起きた。後輩の佐藤が、重要なデータを誤って削除したのだ。三年前も同じことがあった。あのとき俺は、自分の保身を優先し、彼を厳しく叱責した。結果、佐藤は自信を失い、部署を異動してしまった。
今回は違う。
「バックアップある。慌てるな」
俺は落ち着いて指示を出し、上司への報告も自分が引き受けた。佐藤は何度も頭を下げ、「ありがとうございます」と震える声で言った。
未来を変えた。
だが、その日の夜、別の部署から緊急のヘルプが入った。担当者が体調を崩し、案件が回らなくなったという。三年前は起きなかった事態だ。
俺が佐藤をフォローしたことで、別の歯車がずれたのか?
偶然かもしれない。だが、違和感は消えない。
やり直しは、単なる巻き戻しではない。選択が変われば、世界も微妙に形を変える。
それを強く実感したのは、真奈の東京行きが決まった日だった。
送別会の帰り道、彼女は言った。
「ねえ、直人も来ない? 一緒に東京」
予想外の言葉だった。三年前には、そんな提案はなかった。
「俺が?」
「うん。直人なら、もっと大きな仕事できるよ。今の会社に縛られなくても」
心が揺れる。
三年前の俺は、安定にしがみついた。だが今の俺は、未来の景色を知っている。このまま会社に残れば、三年後、俺は中途半端なポジションに甘んじることになる。
東京に行けば、未知数だ。
だが——。
脳裏に、残り二回のカウントが浮かぶ。
ここで大きく動いて失敗したら? やり直しを使うか?
それとも、温存するか?
人生が、ゲームのように感じ始めていた。
選択肢を吟味し、最適解を探す。失敗したらリセット。
だが、目の前の真奈は、ゲームの駒ではない。
「……少し考えさせてくれ」
俺は正直に答えた。
真奈は頷いたが、どこか寂しそうだった。
帰宅後、天井を見つめる。やり直しの力は万能ではない。むしろ、使うたびに未来は不確定になる。三年前と同じレールは、もう存在しない。
もし、三回目を使い切ったら?
その後に待つのは、本当の一度きりの人生だ。
怖い。
初めて、そう思った。
だが同時に、わずかな高揚もある。選び直せるという優位は、確実に俺を強くしている。
——やり直せるのは、あと三回まで。
その言葉は、もはや救いではなく、制限だった。
残り、二回。
俺は、どこまで賭けられるのか。
夜は静かに更けていく。
そして運命は、静かに次の選択を迫ろうとしていた。




