第十二章 最後の試練
安定期に入り、真奈のお腹は少しずつ膨らんできた。
今度こそ、順調だった。
前の未来で経験した恐怖は、今のところ訪れていない。
検診でも問題なし。
仕事も調整している。
俺も無理をしない。
あの警告は、出ない。
観測は、沈黙している。
だが俺は知っている。
静けさは、嵐の前触れであることが多い。
ある夜、文字が浮かぶ。
——観測外移行を確認。
——最終分岐接近。
心臓が静かに鳴る。
最終。
それは、最後の一回に関係している。
翌日、検診で異常が見つかった。
「心拍が不安定です。入院して様子を見ましょう」
頭が真っ白になる。
真奈は冷静だった。
「大丈夫だよ」
だが、その手は冷たい。
入院。
病室。
点滴。
俺は椅子に座り、彼女の手を握る。
そして——。
文字が浮かぶ。
——現行未来:母子ともに危険。
喉が締まる。
——最後のやり直しを実行しますか?
YES / NO
ついに来た。
最後の一回。
使えば。
安全な地点に戻れる可能性。
だが。
観測対象外で生きると決めた。
ここで使えば、再び観測下に戻る?
そして、何かが消える。
今度は何だ。
俺自身か。
真奈か。
この命か。
選択は、残酷だ。
医師が入ってくる。
「状態が急変する可能性があります。覚悟してください」
覚悟。
俺は、真奈を見る。
彼女は微笑む。
「直人」
「うん」
「もし何かあっても……」
「言うな」
「聞いて」
彼女の目は、強い。
「やり直さないで」
心臓が止まる。
やり直しを、知っている?
いや。
違う。
「人生って、きっと一回だから、意味があるんだよ」
涙が滲む。
彼女は知らない。
俺が何度も選び直してきたことを。
それでも。
「逃げないで」
その言葉が、胸を貫く。
俺は、画面を見る。
YES。
すぐそこ。
守るための最後の切り札。
だが。
守るとは、何だ。
失敗を消すことか?
それとも、結果を受け止めることか?
俺は、深く息を吸う。
そして。
NOを選ぶ。
光が消える。
最後のやり直しを、使わない。
震える。
怖い。
だが、逃げない。
数時間後。
手術室のランプが消える。
医師が出てくる。
無表情。
世界が止まる。
「……母体は無事です」
息が戻る。
「子どもは?」
数秒の沈黙。
その時間が永遠に感じる。
「危険でしたが、持ち直しました。奇跡的です」
膝から崩れ落ちる。
奇跡。
やり直しではない。
選ばなかった奇跡。
病室で、真奈が眠っている。
隣に、小さな保育器。
かすかに動く命。
涙が止まらない。
文字が、最後に浮かぶ。
——観測終了。
——やり直し機能は停止しました。
——あなたは観測外領域へ移行しました。
静寂。
もう、表示は出ない。
残り回数も、消えた。
やり直せない。
完全に、一度きり。
だが。
それでいい。
俺は、保育器に手を伸ばす。
小さな指が、わずかに動く。
「……ありがとう」
守ったのは、命か。
それとも。
“選び続ける覚悟”か。
真奈が目を開ける。
「直人」
「ああ」
「どうなった?」
俺は笑う。
「生きてる」
彼女の瞳から、涙が零れる。
俺は、彼女の手を握る。
やり直せるのは、あと三回まで。
そう始まった物語。
だが、最後に分かった。
やり直さないと決めた瞬間から。
本当の人生が始まる。
俺は、父親になった。
観測の外で。
誰にも管理されない未来で。
もう戻らない。
戻れない。
それでもいい。
この一度きりを、生きる。
小さな命の鼓動が、確かに響いている。
ハッピーエンドは、奇跡ではない。
選び続けた結果だ。
そして俺たちは、これからも選び続ける。
終わり。




