婚約者の浮気相手が「実は生き別れの妹なの!」と嘘をついて修羅場を乗り切ろうとしてきた件について。
「ただいま。……あら、お客様?」
深夜二時。予定より一日早く出張から戻った私、御門葉月がリビングの扉を開けると、そこには「地獄」を煮詰めたような光景が広がっていた。
半裸でうろたえる婚約者のタカシ。
そして、私のシルクのパジャマを勝手に羽織り、ソファでワインを煽っていた見知らぬ女。
「は、葉月!? な、なんで……っ!」
タカシが裏返った声を上げる。女の方は一瞬真っ青な顔で硬直したが、次の瞬間にはあざとく潤んだ瞳で私を見上げてきた。この女が噂の「あや」ね。
「あの、これには深い事情が……!」
あやは縋るような手つきでタカシの腕を掴んだ。
私は無言で手近にあったゴルフクラブ、九番アイアンを手に取り、床をコツンと叩く。
「事情? ええ、聞くわ。一分以内に納得できる説明がなければ、このアイアンであなたたちの頭を交互にフルスイングして、どちらが遠くまで飛ぶか飛距離を競うつもりだから」
私の静かな、しかし一切の温度がない声に二人の肩が跳ねた。
死の恐怖に直面した人間というのは、時に想像を絶する愚かな選択をするらしい。
あやは引きつった笑みを浮かべると、突拍子もない叫び声を上げた。
「ち、違うんですっ! 実は私……、タカシさんの、生き別れの妹なんですぅ!!」
「…………は?」
あまりの低俗な嘘にアイアンを振り上げることすら忘れて聞き返してしまった。
しかし、救いようのない馬鹿がここにもう一人。
「そ、そうなんだよ葉月! 奇跡なんだ! 今日偶然街で再会して、積もる話があって……、あまりの感動に、つい服を脱ぎ捨てて抱き合っちゃったんだよ! 兄妹愛だよ、兄妹愛!」
……。
……。
……へえ。
私は手にしていたアイアンをそっと置いた。
そして、ひきつった笑顔で固まっている自称・妹のあやに聖母のような慈愛に満ちた微笑みを向ける。
「まあ! なんてこと! それはなんて素敵な奇跡なのかしら!」
「え……?」
「信じるわ、信じるに決まってるじゃない! だって、この状況でそんな『スカスカな嘘』をつくほど、あなたたちが救いようのない低能だなんて思いたくないもの!」
私の豹変ぶりに二人が呆然としている。
さあ、ここからが本当の地獄の始まりよ。
「あやさん、お兄様に会えて本当に良かったわね。……でも生き別れなんて悲劇、一刻も早く終わらせなきゃ。タカシのご両親にも今すぐこの『吉報』を届けに行きましょう?」
「え、あ、いや、今からですか……?」
「当たり前じゃない! 家族の再会よ!? さあ、今すぐ私の車でタカシの実家にひとっ飛びよ! 着替える時間も惜しいわ! そのままでよ! 家族の再会には一刻の猶予もないのだから!」
私は震える二人を無理やり愛車の後部座席に押し込んだ。
タカシとあやはまるで処刑台に向かう罪人のように肩を寄せ合っている。……あら、兄妹愛が深くて微笑ましいこと。
「あ、あの、葉月さん……。俺の実家、隣県の山奥だし……、今からだと着くのは明け方になっちゃうし、道も危ないから……」
タカシが必死にブレーキをかけようとするが、私はバックミラー越しに満面の笑みを向けた。
「大丈夫よ。私、こういう時のためにエナジードリンク箱買いしてあるの。眠気なんて吹き飛ばして、法定速度を守りながら時速三百キロのイメージで飛ばすわ。お義父様とお義母様も娘が帰ってきたら心臓が止まるほど喜ぶわよね?」
「い、いや、本当に心臓が止まっちゃうかもしれないから! 高齢だし!」
タカシは尚も引きつった声で叫ぶ。私はわざとらしく目を丸くした。
「あら、だったらなおさら急がなきゃ! 親不孝な生き別れ期間を一秒でも短くしてあげなきゃいけないものね! あ、そうだ。せっかくだから、向かっている間にお二人の『共通点』を洗い出しましょうか?」
私はアクセルを強く踏み込み、夜の国道へと車を滑らせた。
「ほら、兄妹なら似ているところがあるはずでしょう? タカシは右の耳たぶにホクロがあるけれど、あやさんはどうかしら? あら、ないわね」
「えっ、あ、あ、あれです! 隔世遺伝ですぅ!」
「そう! じゃあ、血液型は? タカシはA型だけど」
「わ、私は……、B型です」
「まあ! タカシのお義父様とお義母様、二人ともA型なのに! これ、新発見じゃない!? 突然変異か、あるいは……」
私はハンドルを握りしめ、わざとらしく声を潜めた。
「……あやさん、あなた本当はタカシの妹じゃなくて、お義父様が外でこっそり作ってきた隠し子なんじゃないかしら? だとしたら、今夜実家に突撃するのは、再会のお祝いじゃなくて修羅場になるわね! ワクワクするわ!」
「えっ!? ち、違っ、それは……!」
タカシとあやの顔から血の気が引いていく。
嘘を隠すためにタカシは自分の親に「不倫の汚名」を着せられそうになっているのだ。自業自得だが実に見苦しい。
「あ、そうだわ! お義母様に電話して聞いてみましょうか? 『お父様の隠し子のあやさんがタカシと裸で抱き合ってましたよ』って。兄妹ならエロい意味じゃなくて純粋なスキンシップですもんね?」
「待って、葉月! 母さんは心臓が悪いんだってば!」
タカシが身を乗り出して止めようとする。私はミラー越しに冷徹な視線を突き刺した。
「あら、お兄様。妹を守るために婚約者の私に嘘をつかせようっていうの? あやさん、もしこれが嘘だったら、あなた『結婚詐欺師』か『不法侵入者』として警察に突き出されることになるけれど……、大丈夫よね? 本物の妹なんですもんね?」
車内の温度が、一気に氷点下まで下がった。
あやはもはや過呼吸気味に肩を揺らしている。
「あ、あはは……。も、もちろんですよぅ……。お、お兄ちゃん、ねぇ?」
あやが助けを求めるようにタカシの腕を掴む。
だがタカシの顔もすでに限界だった。自分の保身と、目の前の狂った婚約者。どちらを取るか、脳内計算機が火を吹いているのが目に見えるようだ。
「いいわ。じゃあ次のパーキングエリアで、あやさんの『戸籍謄本』をネットで取り寄せましょうか。マイナンバーカード、持ってるわよね? 妹ならタカシと同じ親の名前が載っているはずだもの。もし嘘だったら……、ふふっ、そんなわけないわよね」
深夜の高速道路のパーキングエリアの駐車場。密室の車内に私のスマートフォンの操作音が無機質に響く。
「さあ、マイナポータルのログイン画面よ。あやさん、ここにカードをかざして。これであなたが『妹』だと証明されれば、私は今すぐ引き返してあなたを『義理の妹』として全力で可愛がってあげるわ。でも、もし赤の他人だったら……」
私はあやの鼻先に画面を突きつけた。
「不貞行為の慰謝料、婚約破棄に伴う損害賠償。あ、そうそう、私のパジャマを勝手に着たから『窃盗』、夜中に不法に侵入したから『住居侵入』。全部まとめて警察に相談しましょうね。証拠はバッチリよ。玄関のスマートロックの履歴と防犯カメラに残っているから」
あやの顔はもはや青を通り越して土気色だった。隣のタカシはといえば、震える手で自分のスマホをいじり何とか逃げ道を探している。
「あ、あの……葉月、実はあやとはそんなに深い仲じゃ……」
タカシが口を開きかけた瞬間、あやが発狂したように叫んだ。
「もう嫌あああぁぁぁ! 妹じゃない! 妹なわけないでしょ、こんなハゲかかった甲斐性なしの男!!」
沈黙。
車内の空気が一瞬で凍りつき、タカシが「えっ、ハゲ……?」と絶句する。
「葉月さん! 全部こいつが悪いんです! 『婚約者は家事しかできないデブでブスで、もうすぐポイする予定だから』って言われて、お小遣いもらえるから付き合ってただけなんですぅ!」
「おい、あや! お前、俺のことを『王子様みたい』って言ってたじゃないか!」
「そんなの営業スマイルに決まってるでしょ! あんたの加齢臭、この車の中でも凄いのよ! 誰がこんな『生き別れの兄』なんて欲しがるのよ! 不吉すぎるわよ!」
二人の罵り合いが始まった。
さっきまでの「兄妹愛」はどこへやら、狭い後部座席で醜く突き飛ばし合い、互いの欠点をこれでもかと暴露し合う地獄絵図。
私は鼻歌を歌いながらダッシュボードに設置した録音機とカメラのスイッチを切った。
「はい、ごちそうさま。最高に面白い『再会劇』だったわよ。さあ、二人とも降りて」
「え……?」
「降りなさいって。あ、あやさん。あなたの着ているパジャマは『盗品』だから、ここで脱いで返してね。今すぐ」
「えっ!? 今、ここで!? 裸になれって言うんですか!?」
「いいじゃない、お兄様が隣にいるんだから。……それとも、今すぐ警察までドライブしたい?」
結局、あやは泣きながら下着同然の姿で、タカシは半裸のまま人気のないパーキングエリアへ放り出す。
遠ざかる二人の醜い罵声を気にせずに、私は自宅へと車を走らせた。
後日。
私はあやの実家に「生き別れのお兄さんが見つかりました!」と、あの日の録音データを添えて丁重にお手紙を出してあげた。あやは本当の実家からも勘当されたらしい。
タカシはといえば、私への暴言と不倫の証拠、そして「妹と裸で抱き合っていた(自称)」という噂が会社中に広まり、変態の烙印を押されて居場所を失った。
私はというと。
彼らから毟り取った高額な慰謝料で引越し、新しいソファとパジャマを買い、広々としたリビングで高級ワインを楽しんでいる。
「やっぱり、兄妹は仲良くしなきゃダメよね」
テレビに映る「感動の再会」のニュースを見ながら、私は今日一番の笑顔で呟いた。
(完)
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