人食い吸血鬼の迷信
真理愛の部屋に入って扉を閉めるなり、クラウディオはひそひそ声で叫んだ。
「考えが甘い!」
「え、え……?」
あまりの剣幕に、真理愛はたじたじになってしまったが、クラウディオは話を続けた。
「この国を救うために王都へ向かうなら、王子との結婚は絶対だ。相手は夜の国の王子で、向こうが結婚すると望めばあなたに拒否権はないのだ。あなたが殿下を愛そうと愛すまいと、それは婚姻にはなんら影響を及ぼさない。殿下は国土崩落が始まったときからすでに夜の乙女との結婚に前向きになっている。あなたは王や王族というものがどういう存在かご存じないのか?」
「わ、私の故郷にも似た存在がいるにはいますが、存在が遠すぎて実感はあまりないもので……」
真理愛がすっかり縮こまっているのを見て、クラウディオは我に返った。
「話をすると言いながら取り乱してすまない。皆の前では話せなかったことを、あなたに伝えなければならない」
クラウディオは真理愛にソファーに座るよう勧め、自身も向かいに座った。
「私はこの見た目でも公爵であるから、殿下とは面識があるのだ。私は個人的に殿下が苦手だから、この先は事実だけを話そう。感情任せに言っていると思ったことは無視しなさい」
何とも律義な前置きをしてから、クラウディオは一気に話した。
「まず、殿下はあなたもご存じの建国神話に出てくる王子その人だ。息を吹き返した女王が産んだ王子、夜の乙女と結婚していつまでも幸せに暮らした、とされる王子だ。因みにあなたが話してくれた、いつまでも幸せに暮らした、という部分以降は、子どもに話して聞かせるときにだけ付け加えられるものだ。
そして、殿下は複数回の婚姻歴があり、いずれも相手は夜の乙女だ。世界を救うために人間が召喚された都度、最終的には王子と結婚という形で吸血鬼たちから保護している。三百年ほど前に召喚された夜の乙女を含め、全員がすでに亡くなっている。
それから、殿下は常に林檎のような香りを発している。世には迷信だとされていることとして、吸血鬼が人間に恋をした場合、恋が成就すれば生涯血を必要としなくなり同じ時を生きられるが、恋が叶わないと相手を食い殺してしまい肉の味を生涯忘れられなくなるという話がある。これは残念ながら迷信ではなく真実で、人間を食った吸血鬼の体臭は林檎のような香りに不可逆的に変化してしまう。以上が、殿下についてあなたに教えてあげられることだ」
話し終えたクラウディオが反応を窺ってくるが、真理愛はとにかく混乱していた。口をはくはくと動かすが、意味のある言葉を発することができなかった。
まだ見ぬ王子様が人食い吸血鬼だったなんて、そんなひどい話があるだろうか?
「ど、どうして先に教えてくださらなかったんですか?」
「王子の人食いについてはごくわずかな吸血鬼だけが知っている秘密で、誰にも漏らすことができないのだ。そもそもたまにやってくる人間のことなど吸血鬼たちはあまり知らないし、王子が人食いなどと言いまわったところで迷信を本気にしていると思われるだけ。私はいやしくも公爵で臣下であるから、殿下の不利益になる事実を使用人たちの前でやすやすと口にすることはできない」
場違いとは理解しながらも、苦手なひとの悪口を言わないのは偉いな、と真理愛は感心した。しかし、高潔な彼が苦手だと言う王子とは一体どんなひとなのだろう?
「ここから先は私の悪い想像だが、殿下は人間と結婚して自分の元へ囲って食べているかもしれない。人間の妃が寿命で死んでも、事故で死んでも、どんなタイミングでどんな死に方だろうと、殿下がそうだと言えば事実に反することだろうとそうなる。もし食べなかったとしても、殿下はとてもあなたを大切にするとは思えない。夜の乙女について話すあの方の瞳は――」
クラウディオは言葉を切り、険しい顔で空を睨みつけた。
「これらの事柄も、私が夜の乙女の召喚に賛同していなかった理由の一つだ。元老院のお歴々もそれを知っていながら殿下を止めようとしないのが不思議でならない。あなたは今からでも決断を撤回してもらって構わない。バンケットの招待状を差し止めて、帰還の準備が整うまで私の屋敷に匿っておけば、王子や他の貴族たちはあなたがいることを知らないままだ」
優しく逃げ道を提示されて、真理愛はようやく冷静さを取り戻した。
王子との結婚は、今の話を聞いて一気にしたくなくなった。せっかく世界を救った後に殺されて食べられるなんてまっぴらごめんだ。しかし、救国と結婚が絶対にセットなら、結婚を拒否することは救国も拒否することになってしまう。
「世界の崩落を止めるだけ止めて、王子様と結婚せず帰る方法はないのでしょうか? あらかじめ魔法使いさんに王子様との結婚の前に帰してもらえるよう約束しておくとか」
「殿下を騙すと? すごいことを考えるな、あなたは。しかし、あなたが殿下と結婚しないことには賛成だ。……もちろんあなた自身の為に」
焦って言い加えてから恥ずかしくなったのか、クラウディオは咳ばらいで誤魔化した。
「だが、魔法使いも王族に仕える身であるから、後ろ盾もない人間のあなたとの約束より殿下の命令を優先するだろうね」
真理愛が出せる案は他になく、暗澹たる気持ちになった。
かといって、この国を見捨てて帰るのは嫌だった。この国を救うのだと言われて育ったことはもはや関係なく、この国の人々と関わって自分で決めたことだ。それを我が身可愛さに逃げ出すなら、生きてきた時間どころか、これまで大事に守ってきた自分の中の大切な部分が死ぬだろう。
クラウディオは暗い表情でため息をつく。
「あなたには謝ってばかりいるけれど、本当に申し訳ない。あなたのためにできることはこれで全てで……」
急にクラウディオは言葉を切り、何かに気づいたようにはっとする。
「いや、違う。私はひとに命令しているだけでまだ何もしてはいない」
「クラウディオさん?」
次に顔を上げたクラウディオの瞳には、強い意思の光が宿っていた。
「やることができたから私はもう行くよ。うまくいけばあなたを結婚させずに済むかもしれない。招待状が送られる前までには話をするよ、あなたの返事は保留でいい。ああ、そうだ。もしそれまでにダンスの練習が始まるようなら、私も練習に参加するからよろしく頼むよ」
言うが早いか、クラウディオはさっさと部屋を出て行こうとする。
「あ、あの、ありがとうございます。それと、いってらっしゃい」
真理愛は気の利いたことを言えなかったが、クラウディオが心底嬉しそうに笑みを浮かべたので。すぐに後悔は消え失せた。




