帰り道をなくして
クラウディオは沈痛な面持ちで頭を下げた。
「あなたには本当に申し訳ないことをした。期待させるだけ期待させて、結局帰してさし上げることができなかった」
「顔を上げてください、クラウディオさん。私、クラウディオさんが想像されているほど落ち込んでいませんよ」
真理愛はどうにかクラウディオを元気づけたくて、努めて明るい声で言った。
「家族や友達に会えないのは、やっぱり寂しいですけど、でも私は最初からいつか異界に行くんだって思って十八年間生きてきましたから」
それを聞いたクラウディオの目の色が変わる。
「待ってくれ、十八年間もそうやって生きてきただって? 知らない土地の知りもしないひとびとを救うために? どうしてこんな運命を受け入れられるのか不思議で仕方がなかったが、そういう生き方を強制されてきたのか?」
急に詰め寄られて、真理愛は一歩後ずさった。
「な、なんで怒ってるんですか?」
クラウディオははっとしてすぐに離れると、目を瞑って感情を落ち着かせた。再び目を開いた時には、彼はすっかり落ち着きを取り戻していた。
「驚かせてすまない、ただ、あなたがそんな理不尽な目に遭っていたとは思いもしなくて……」
「おやおや、お客様がお越しとは、珍しいこともございますね」
急に会話に割って入ってきたのは、灰色の髪の老人だった。二人が話している間に広間に入ってきた老人は、背筋がぴんと伸びており、アイロンのかかった黒い服に身を包んでいて、地位の高い使用人に見えた。
クラウディオは真理愛の体を隠すように前に進み出た。
「戻ったか、ルーベン」
「はい、おかげさまで娘の結婚式に参列できました。良い休暇を過ごすことができました」
ルーベンと呼ばれた男は、真理愛を見て目を見開いた。クラウディオは真理愛の存在をルーベンに隠しておきたかったようだったが、観念したように言った。
「ルーベン、おまえのいない間に問題が発生した。御覧の通り、彼女は夜の乙女で――」
クラウディオ様、とルーベンが呼び掛けて話を中断させた。
「いかな事情があれ、お客様をいつまでも立ち話に付き合わせるのは礼を失する行いにございます。応接間へ行きましょう、腰を据えて話をする必要がありそうですから」
ルーベンの勧めで応接間へ向かうと、すぐに使用人たちがお茶を用意しに来たが、人数がやけに多かった。なぜだろう、と真理愛は考えたが、帰れなかった自分のことを心配されているのだと気づいた。
「自己紹介が遅れましたが、私はルーベン、フォルトゥナ家に仕える執事でございます。しばらく休暇を頂戴していたので屋敷のことは他の者たちに任せきりでしたが、ご不便をおかけすることはありませんでしたか?」
ルーベンの問いに、部屋の空気がぴりっと緊張した。室内にいる使用人たちは、おそらくルーベンよりも立場が低いのだろう。
「とっても良くしていただきました」
真理愛が満面の笑みで答えると、使用人たちはほっとした顔になった。ルーベンは頷いてみせた後、クラウディオに向き直った。
「それで、クラウディオ様。先ほど広間で何をされていたのですか? 魔法使いが軟禁状態と聞き及んでいますが、それについてもお聞かせ願えますかな?」
真理愛の隣に座るクラウディオは、ルーベンからあからさまに視線を逸らし、言っては悪いが、怒られそうな気配を察知してどうにかならないか思考を巡らせている子供のようだった。ルーベンに追及されたくないというのも、真理愛を早く帰したかった理由の一つかもしれない。
「私から説明しましょうか?」
クラウディオは首を振って、重そうな口を開いた。
「元老院で未だ結論が出ていなかった夜の乙女の召喚だが、魔法使いが独断で召喚魔法を使用して彼女を呼び寄せてしまった。彼女を元の世界へ戻そうと魔法使いに儀式をさせたが、失敗した」
「ははあ、爺の居ぬ間に勝手をなさいますな。夜の乙女が勝手に召喚されたことも問題ですが、勝手に追い返そうとした貴方様も問題でございます」
「無理やり連れてきたのだから、帰してさし上げることの何が問題なのだ?」
「ご本人の様のご意見は聞かれたのですか? こちらへいらしてから日も浅く、まだ混乱していてご状況を理解されていらっしゃらないのでは?」
クラウディオが唇を引き結んだのを見て、真理愛は笑いをかみ殺した。かわいいと思ってはいけないと自分を叱咤するが、心の動きはどうにもならない。
「それに、夜の乙女が領地で召喚された場合に領主はどのように行動すべきか、あらかじめ文書が交付されているはずです。クラウディオ様、もしやまだお読みになっていないのですか?」
「夜の乙女召喚の地に選ばれし領主は、歓迎の為に宴を開き、異界で生活できるよう教育し、最後には王子の待つ王都へ連れて行くものとする、だろう?」
「結構でございます」
真理愛はちらとクラウディオの方を見る。クラウディオは複雑そうな顔をしていた。やはり怒られている子供みたいでおかしくなってくる。
むすっとしているクラウディオには、使用人たちからも温かい視線が向けられていた。ひょっとして、この人が一番年下なのかもしれない、と真理愛はその様子を観察しながら思う。
ルーベンが真理愛の方へ向き直って言う。
「巻き込まれた貴方様にお尋ねするのもおかしな話ですが、これからどうされたいですか? 貴方様を故郷へ帰すのが道理という我が主人の意見にも一理ございますが、魔法使いの言うところでは、あとひと月は貴方様は故郷へ帰れないのも事実でございます」
真理愛は部屋中のひとびとの視線が自分に集中していることに気づいて少し緊張したが、どうにか心を落ち着けて頭の中で自分の考えを整理した。
揺るがしがたい事実として、まだ自分の家には帰れない。心配しているかもしれない家族や友人たちに連絡を取ることもできない。全部捨てるんだと思ったはずの人間関係なのに、それでもやはり寂しい気持ちがあるのが不思議だ。
あと一か月、クラウディオの屋敷に匿ってもらって何もせずに過ごすのは、絶対に嫌だった。ばれて糾弾されても心配しなくていいとクラウディオは言ったが、親切な彼が危うい立場に追い込まれてほしくなかった。
一度は全て諦めようとして、夜の国に召喚されて喜んだり再び落ち込んだり、ずっと迷子みたいな気分でいた。しかし、公爵邸の吸血鬼たちにもてなされ、何よりクラウディオが自分のために怒ってくれて、欲しかった言葉をもらえて、無視して帰るなんてもう考えられない。
ならば、いつか世界を救うのだと言われた通りにするのが一番良いに決まっている。
「私、この国の方々の役に立ちたいです。崩落を止められるのが少しの間でも、何もしないよりきっとずっといいですから」
真理愛は淀みなく答えた。
「クラウディオさん、帰れるように取り計らってくださったのにすみません。別の形で力を貸してもらえませんか?」
「……あなたがそう望むなら、私はできる限りのことをしよう」
クラウディオは、すこしだけ寂しそうに微笑んだ。
「では決まりですな。まずはバンケットに向けて準備をしてまいりましょう。忙しくなりますよ、お嬢様」
「お、お嬢様……」
本物の執事にお嬢様と呼ばれ、真理愛は静かに衝撃を受けた。
「しかし、夜の乙女のためのバンケットとはいえ、私が主催者では貴族たちは集まらないのではないか?」
言って、クラウディオが視線を下げた。白夜公と呼ばれる彼を恐れてひとびとがよりつかないのではと心配しているのだろう。
ルーベンが顎に触れて、どうでしょうなあと言う。
「クラウディオ様は爵位を継がれた際の祝賀会以来バンケットに参加されていませんし、クラウディオ様が当主になられてからは当家がバンケットを主催したことはありませんから、もしかしたらおっしゃる通りになるかもしれませんな」
部屋の空気が一気に重たくなる。どうやらこの屋敷でルーベンだけがクラウディオに対してずけずけと物を言うようだ。
「その時は、屋敷の者が総出でバンケットに参加いたしましょう」
「それではバンケットを運営する者がいないではないか」
「運営しつつ参加するのですよ」
茶目っ気ある物言いに、ずっと暗い顔をしていたクラウディオがようやく表情を和らげた。
真理愛を王都へ送り出すまでの計画を立てることが決まり、その場は解散となった。
真理愛が部屋へ戻ろうとすると、クラウディオが送ると言ったので一緒に行くことになった。
何か話したいと思うが、話題が見つからなかった。今後のことを話題にすればいいのだとわかっていても、それは本当にクラウディオと話したいことではない気がした。
「異界にも舞踊はあるのか?」
不意にクラウディオが口を開いた。
「ええ、同じものかはわからないですけどあります」
「そうか。夜の乙女のためのバンケットでは、夜の乙女と召喚された土地の領主が一曲踊ることになっているんだ」
「そうなんですね。私、ダンスの経験はあまりなくて……。でも、クラウディオさんとなら安心です」
会話が途切れ、妙な沈黙が二人の間に横たわる。真理愛は緊張して話せない自分に焦りを感じていて、同じように話題を探しているクラウディオに気づかない。
「あ、そういえば、クラウディオさんっておいくつなんですか?」
「私は二十歳だ。……なぜ笑っているんだ?」
「すみません、もしかしてお屋敷の誰より若いのかなって思って、当たってたから、なんだかおかしくて」
「そういうあなたは十八で私より年下じゃないか」
「吸血鬼の時間感覚でも二年は大きいものなのですか?」
クラウディオが黙り込んだので、真理愛はますますおかしくなって笑った。ひとしきり笑って、クラウディオとこういう話がしたかったのだと気が付いた。
こほん、とクラウディオがわざとらしく咳をした。
「あなたがすぐに帰ると思っていたから今まで指摘しなかったのだが、そうやって大きな口を開けることは夜の国ではあまり良しとされないから、気を付けるといい」
「そうだったんですか、ごめんなさい。牙を見せると威嚇してると見做されるのですか?」
「いや、その、確かに怒るときに牙を見せればそうなるが……。話したり笑ったりしたときに牙を見せるのは、相手を誘っているように思われる。つまり、はしたないこととされるんだ」
真理愛はばっと両手で口元を抑えた。体温が急激に上昇するのは、廊下に置かれている蝋燭の火の熱のせいではなく、恥ずかしさ故だった。
「大丈夫、私はそう思っていないよ。あなたは吸血鬼ではないし、異界人と文化が違うのはわかっている」
「も、もしかして、みなさんが吸血鬼なのに血を吸っているところを一度も見なかったのって、そういうことなんですか……?」
真理愛は手のひらの下でもごもご言った。
「そもそも血を吸っている姿は他人に見せるものではない。吸血は、言うなれば愛情表現の一つで、関係の深い者同士しかしないよ」
「そうなんですね。気を付けます」
「うん。バンケットのような場では特に厳しく見られるから、あなたのために扇子を用意させておこう」
真理愛がこれまでの自分の行いを思い返して百面相をしている間に、部屋に着いた。
「明日からバンケットに向けて準備が始まるから、今日はゆっくりするといい。私は仕事があるから、これで失礼する」
「ありがとうございます。お仕事頑張ってください」
真理愛はもう少し話しませんかと言いたかったが、仕事には勝てなかった。
クラウディオはすぐに立ち去るかと思われたが、白夜について尋ねた時と同じように何か言いたげな顔をしていた。素早く周囲に視線を走らせてから、
「一つ、尋ねてもいいだろうか」
「ええ、どうぞ」
「あなたは、王子と結婚したいのか?」
真理愛が質問の意味咀嚼している間、クラウディオは真理愛の瞳を食い入るように見つめて返答を待っていた。その視線に、胸の内を悟られるのではないかとどきどきした。真理愛がこの国のためになりたいと思い立ったのは、憧れていた王子との結婚の為ではなく、目の前のクラウディオのためだと気づかれてしまったら最後、許されない思いが本物になってしまう気がした。
だから、とっさに嘘を吐いてしまった。
「それについては深く考えていませんでした。王子様とは会ったこともないですし、そもそも寿命の短い私との結婚を望むんでしょうか?」
「……ひとに聞かれたくない話をするから、中に入れてもらってもよろしいかな?」




