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伝説の魔法使い

 老婆はゆっくりと部屋の中に入ってきた。その歩みは白夜という異常事態に似つかわしくない速度だった。


 真理愛の顔は半分クラウディオの服に埋もれていたが、目だけを動かして老婆を見た。


 腰が少しも曲がっていない老婆はすらりと背が高く、顔には皺が刻まれていたが瞳には強い輝きが宿っていた。目を引く見事な白髪はゆるやかなウェーブがかかっており、老婆が歩くたびに陽炎のように揺れた。


 足を止めた老婆はクラウディオと真理愛をじっと見つめた。その目の色は琥珀を思い起こさせる深い茶色だった。


「世界の殻を割ったのはおまえだね。何がどうなったら世界の破壊を望むように育ってしまうんだか」


 口の開き方や垣間見える犬歯で、老婆が人間であることが分かった。それから、心底クラウディオに失望していることも。


 対するクラウディオは突如現れた老婆を睨みつけていたものの、どう対処すべきか考えあぐねていることが腕の中に納まっている真理愛にもはっきりと伝わってきていた。


 老婆は何の前触れもなく杖で床を叩いた。乾いた音が響き渡り、空間を支配した。何が変わったのか真理愛には言葉でとらえることができなかったが、肌でそれを理解できていた。今、この空間のすべては老婆の意のままだ。


 クラウディオがすぐに支配権を奪い返したが、その時には老婆が真理愛を抱きかかえていた。真理愛は体が動くようになっていることに遅れて気づいたが、状況が飲み込めず目を白黒させていた。


「彼女を返せ」


 クラウディオが牙を剥き、床から炎の柱が吹き上がった。真理愛は悲鳴を上げそうになったが、なぜか全く熱さを感じないのでさらに混乱させられた。老婆は炎に一瞥もくれず、クラウディオを鼻で笑った。


「この私を攻撃するなんて恩知らずな若造だ」


 老婆が杖を振るうと、ごうごうと風が吹き始め、炎を一気にかき消した。あまりの強風に真理愛はとっさに目を瞑った。


 激しい音を立てて窓が割れ、扉が叩きつけられるように閉まり、部屋中のものというものがぶつかり合う。真理愛はすこしも瞼を開けられなかったが、二人が激しい戦いを繰り広げているのが目に浮かぶようだった。


「貴様、吸血鬼ではないのになぜこの国にいる? 一体何者だ?」

「見ての通り魔法使いだよ、おまえと同じだ。だが、年季が違う」


 風の音に紛れて老婆は呪文を囁いた。杖が床を叩く音と共に、強風は止んだ。真理愛がようやく目を開けた時には、部屋の中は上下が一度逆になったかのようにぐちゃぐちゃで、クラウディオの姿がなくなっていた。


「すこしは頭を冷やすといいさ」


 言って、老婆はぼろぼろの椅子に腰かけた。それからすっかりくたびれた様子でため息を吐いた。


 呆然としている真理愛の顔を、老婆が下から覗き込んできた。真理愛はびくついたものの、老婆から悪意は感じられなかったので、逃げようとは思わなかった。


「あんたの方が話ができそうだと思ったんだが、ひどい顔をしてるね。いつから寝てない?」


 真理愛が面食らっていると、老婆は苛立たし気にため息を吐いた。


「目の下のくま、顔色、どこもかしこもひどいって言ってるんだよ。それで、いつから寝てない?」

「えっと、数日くらい……?」

「通りでそんな顔になるわけだ。まあいいさ、奴はしばらくは戻って来られないから、あんたは一度休むといい。そうでもしなきゃまともな受け答えは期待できそうもないね」

「待ってください、私、休んでる場合じゃないです。というか、あなたは一体どなたですか?」


 老婆は明らかに面倒くさそうな顔をした。だが、真理愛が絶対に引かないと心に決めて見つめていると、根負けした様子で口を開いた。


「ディアマンテ。夜の国と呼ばれる吸血鬼たちの世界を作った魔法使いだ。にっくき王様に火あぶりにされて、世界の裏側に避難していた哀れな女だよ」

「あの、伝説の……!?」


 真理愛は夜の国の御伽噺を思い起こした。


 物語の中では、魔法使いは夜の国へと吸血鬼たちを導き、女王と子どもを代償に要求して王に火あぶりにされ、夜の国に白夜の呪いを齎した。


 彼女が伝説の魔法使いであるならば、クラウディオと同じことをやった張本人だ。


「あなたは、今度こそ夜の国を滅ぼすおつもりですか?」

「違う。そんなつもりで戻ってきたんじゃない。この世界は私の最高傑作だから、あの時だって本当にこの国を滅ぼす気なんてなかった。王に代償を取り戻すと何が起こるかを見せてやるために世界の殻を割ったんだ」


 その声には深い悔恨の色が滲んでいた。聞いている者の心臓を鷲掴みにするような、痛切なものだった。


「後世にどう伝わっているか知らないが、王は私を火あぶりにして失敗したが、妻と子を奪った私をどうしても許せなかった。あの女に唆されて捧げたものを闇から取り戻してしまった。あの女が私の敵の一人だったと気づいた時には、もう遅かったよ。私は吸血鬼たちが夜の国にいる間は決して戻らないことを条件に処刑を免れ、そうして今日まで闇の中に潜んでいたという訳だ」


 それを聞いて、真理愛はひっそりと安堵のため息を吐いた。


 完全なる偶然だが、クラウディオが丁寧に吸血鬼たち全員を眠らせてくれたおかげで、彼の魔法の技量を凌ぐ伝説の魔法使いが戻って来られる条件が整ったのだ。


「どうせ私のことは悪し様に伝わっているだろうが、あんたは私を信じるかい?」

「それはこれからのあなたの行動次第で考えます」


 ふうん、とディアマンテは感心したように顎をさすった。


「あんた、若いのにやるね。交渉がうまい。つまりは、信じてほしいなら協力しろってことだろう?」

「そうです。私はこの世界を救いたいんです。できれば自分の命を犠牲にせずに。世界を作ったあなたならそんな方法をご存じですか?」


 ディアマンテはにやっと笑った。それは不敵な笑みで、当然とでも言いたげだった。


「話は後だよ。まずはあんたにはしゃっきりしてもらわないといけない。よく寝て、風呂に入って、飯を食って、それから話をしよう。救える見込みがこの世界にあるのか、私に教えてもらおうじゃないのさ」


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