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消えゆく希望の光

 真理愛まりあはフォルトゥナ公爵領を目指し、徒歩で街道を下っていた。歩けども歩けども、周囲の景色はほとんど変わらず、日差しの向きが変わることもなく、まるで先に進んでいる気がしなかった。かといって、馬車で数日かけて移動した距離を走り切れる自信はなかったので、ひたすら歩き続けるしかなかった。


 本当は馬に乗って移動したかった。だが、王都を出る前にうまやを探し回ったものの、どの馬も吸血鬼と同様に眠っていたため断念したのだった。


 どれほど歩いても真っすぐに続く街道の向こうに吸血鬼や馬の姿は見えてこなかったが、徒歩や馬車で一日移動できる距離ごとに宿場町があるはずだと信じて真理愛は歩いた。


 時間の感覚はとっくになくなっていた。太陽も見えない白夜の世界では、光の角度が変わることも、空の色が薄い青から変わることもなかった。世界を包み込んでいた夜の闇が戻ってくる気配もない。


 決死の覚悟でこちらに渡ったのは無駄だったのではないか。


 すでに夜の国は滅んだ後なのではないか。


 何もかも手遅れなのではないか。


 そんなことを何度も繰り返し考えた。絶望的な考えに負けて何度も足を止めたが、休んで気力が回復するとまた歩き出した。


 足が動かなくなってきた頃、ようやく宿場町が見えてきた。


 その宿場町は、真理愛が公爵領から王都へ向かう旅の途中で少しの間だけ滞在した町だった。王都と同じようにしんと静まり返っていて、やはりひとの気配はない。だが、吸血鬼たちが眠っているとは限らないと自分を叱咤し、大きく息を吸い込んだ。


「誰かいませんか!」


 大声で叫びながら町を歩き回った。声が枯れるまで叫んだが、誰も答えてくれなかった。


 疲れ果てた真理愛は広場のベンチに座った。膝を抱えて、泣きそうになっている自分を抱きしめた。


 次に自分がどうすべきなのか、まったくわからなくなっていた。クラウディオに会うべきなのは理解していたが、この広大な夜の国をひたすら歩いて一体いつ彼に会えるのか全くわからない。


 運良く眠っていない他の吸血鬼に会えたとしても、この状況を打開する術を知っている可能性はほとんど無に等しいだろう。


 考え込んでいるうちに、真理愛はうとうとし始めた。靴裏がベンチの縁をずるりと滑ってはっと目が覚めた。慌てて周囲の様子や空を確認するが、何も変わっていないことにほっとしつつ、同時に暗澹たる気持ちになった。


 すこしだけはっきりした意識の中で、真理愛は自分がここしばらくベッドに入ってしっかりと眠っていないことに気が付いた。どこかの宿に入らせてもらって一度眠るべきか悩んだが、寝ている間に世界が滅んだらと思うと恐ろしくて無理だった。目を覚ますためにリュックから携帯食料と水を取り出して空腹を満たし、もう一度立ち上がった。


 真理愛は再び町の中を歩き回った。しかし、歩くペースは徐々に落ちて、熱心に家々の窓を全て確認することもしなくなった。もう手遅れであることを認識するのが恐ろしくて、現実を直視できなくなりつつあった。自分の中で、希望の光が消えかかっていた。


 真理愛は足を止めて立ち尽くした。見上げた空は澄んだ色をしていて、空気は春の陽気を思わせるのに、心が麻痺していて何も感じなかった。


 首が痛くなってきて、ようやく前を向いた。視線は宙をさまよい、ふと、カーテンが動いたのを目が捕らえた。真理愛は縦に細長い集合住宅の二階の窓を凝視した。窓の向こうのカーテンは静止していた。だが、頭の中で記憶を再生すると、かすかにだがあのカーテンは揺れていた。


 真理愛は一直線に集合住宅へと走り、二階へ駆けあがった。各階には部屋が一つしかなく、真理愛は目に入った扉を強く叩いた。


「誰かいませんか?」


 掠れた声で呼びかけると、扉の向こうで確かに声が聞こえた。真理愛は飛び上がりそうなほどの喜びを感じた。


 わずかに扉が開き、闇の中で光る目がこちらを覗いた。子どもの吸血鬼は、ひどく眩しそうに眉間に皺を寄せていたが、真理愛の姿を認めると目を見開いた。吸血鬼は何か言ってから扉を閉め、ほどなくして扉の向こうから真理愛に呼び掛ける声が聞こえた。


 部屋に入れということだろうか。真理愛は部屋に日光が入らないよう、扉を最低限だけ開けて中に入った。すぐに扉を閉めると、部屋の中は真っ暗になった。短い廊下の奥に、先ほど扉を開けた幼い吸血鬼が立っていた。


「こんにちは、私は――」


 真理愛が呼び掛けた時、廊下と繋がる扉から背の高い吸血鬼が姿を現した。父親と思しきその吸血鬼は、真理愛の姿を認めるなり声にならない悲鳴を上げ、何かをまくしたてた。


「すみません、今何とおっしゃいましたか?」


 吸血鬼たちもまた真理愛が話す言葉を理解できないようで、身振り手振りで何かを伝えてきた。


 ようやく読み取れたところでは、彼らは空腹だと訴えていた。日光が差す外へ出られないせいで、食料の備蓄が尽きたのだろう。


 真理愛は大きく頷いて理解したことを示してから、彼らに部屋の奥に行くよう伝え、入ってきた時と同じように扉を最低限だけ開けて外へ出た。


 真理愛は露店が並ぶ通りへと走って向かった。なぜ言葉が通じないのかはまったくわからないが、とにかく吸血鬼と会えたことで疲労や不安の全てが吹き飛ぶ程の喜びが全身にみなぎっていた。


 露店が並ぶ通りにも当然吸血鬼はいなかったが、もうそんなことに悲しみを覚えなかった。放棄された露店の中に果物を並べていた店を見つけた。いくつか食べられそうなオレンジを手に取ってから、自分が夜の国の通貨を持っていないことに気が付いた。そもそもフォルトゥナ公爵預かりの身だった時から一度もこの国で買い物をしたことがなく、知識として通貨の存在を知っているだけだった。


「これで代わりになりますように」


 真理愛はリュックから財布を取り出して五百円玉を置き、踵を返して先ほどの集合住宅へと向かった。二階の扉をノックして呼び掛けたが、返事がなかった。


 猛烈に嫌な予感がしてきて、真理愛は返事を待たずにドアノブをひねった。扉は抵抗なく開いた。部屋の中は先ほどと同じように真っ暗で、静かだった。


 真理愛は扉を開けたまま廊下を進み、右手の部屋に入った。窓際のベッドで父親が眠っていた。さらに奥の部屋に入ると、先ほど真理愛を出迎えた少年がベッドで寝息を立てていた。


 二人とも起こそうとしたが、無駄だった。何をしても二人とも目を覚まさなかった。


 真理愛は光の差し込む廊下に座り込んで、しばらく呆然としていた。手にした大きなオレンジから甘い香りがしたが、心が癒されることはなかった。


 ようやく手掛かりが掴めると思った矢先に、またしても吸血鬼は昏睡状態に陥ってしまった。先ほどまで起きていたのにどうして眠ってしまったのか、皆目見当がつかなかった。


 だが、彼らに言葉が通じなかった理由は急に理解できた。最初に魔法使いに召喚された時とは違い、今回は裂け目を通って勝手に夜の国に入り込んだだけで、魔法使いによって翻訳魔法がかけられていないせいだった。


 開いたままの扉の隙間から差し込む光がきらめかせる空気中の塵をぼうっと眺めていると、耳が足音を拾った。真理愛ははっと息をのんで立ち上がった。手からオレンジが落ちて、ごろごろと床を転がって光の当たるところで止まる。


 真理愛は耳を澄ませて足音を聞き漏らすまいとしたが、もう聞こえなかった。気のせいだったかもしれないと思いつつも、諦めきれずに部屋を出て、音が聞こえた気がした三階へと上がった。部屋の扉に耳を当て中の音を聞くが、しんと静まり返っていた。


「お邪魔します」


 ひそひそ言って、真理愛はドアノブをひねった。この家も鍵が開いていたので難なく中に入ることができてしまった。


 この家のひとも寝ているはずだと確信していたが、真理愛は音を立てないように家の中を進んだ。二階の部屋と間取りは同じだったが、吸血鬼の姿はなかった。部屋がきれいに片付いていることからして、この家の吸血鬼は白夜が来る前に旅行に出たのだろうと推測した。


「あれ、だったらどうして鍵が開いて……?」


 何もかもが異常な状態にあって、真理愛はようやく家の鍵が開いていることに疑問を抱くようになった。


 この部屋の家主が家にいないのに、鍵が開いていた。家主は旅行に出る前に鍵をかけたはずなのに。


 ほかの家々には中に吸血鬼がいたから、彼らが内側から鍵を開けることが可能だった。だが、この家は違う。家主は白夜の前から不在だったはずだ。ならば、誰かが外から扉を開けたのだ。それは鍵を持つ家主ではなく、鍵もなく扉を開けられる吸血鬼に他ならない。


 真理愛はごくりと唾を飲み込んだ。空っぽのベッドを食い入るように見つめて目が離せないのは、ただ後ろを振り返るのが恐ろしいからだった。


 震える手を強く握り、息を止めて、後ろを振り返った。カーテンの隙間から漏れる光がかすかに照らす部屋の中で、光が届かない廊下には濃い闇が横たわる。そこには雪のようにぼんやりと白く光る男が立っていた。血の赤の瞳は、真理愛を真っすぐに見つめていた。


「クラウディオさん……」


 その名前を口にして、真理愛は認めがたい事実を認めざるを得なくなった。


 どれだけエヴァルドが彼を怪物と呼ばわり、他の吸血鬼たちが彼を遠ざけていても、不思議と真理愛は一度も彼を恐ろしいと思ったことがなかった。だが今は、エヴァルドと初めて出会ったときとは比べ物にならないほどの恐怖を感じていた。


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