夜の国の外の吸血鬼たち
真理愛はアルバーノの運転する車の後部座席で、もらったサンドイッチを食べていた。お腹を鳴らした真理愛を見かねてアルバーノがくれたものだった。挟んであるのはハムとレタスときゅうりで、噛むたびにしゃきしゃきと音が鳴ったが、味はほとんどわからなかった。
夜の国でも何も食べずに式に臨み、そのままこちらへ戻されてから何も食べず家を出てきたので、急に固形物が入って胃がびっくりしているのを感じた。
車は町を離れ、高速道路を走っていた。周囲の風景は見る見るうちに移り変わり、トンネルが増えて、山がちな地域に近づいているのが見て取れた。
運転席のアルバーノはサングラスをしていて表情が分かりにくいが、いまだに動揺しているのは明らかだった。しかし、それでも操縦を誤ることなく車を走らせていた。
アルバーノに夜の国に白夜が訪れたことを伝えた時には、彼は卒倒しそうになっていた。真理愛はやっとのことで彼を落ち着かせて、夜の国に戻る方法を聞き出すことができたのだった。
曰く、物のやり取りをするための小窓のような門とも呼べない裂け目で、果たして人が通ることができるかどうかも分からないものならある、と。
「しかし、本当にやるんですか? こちらへ戻ってきたのは事故によるものだと言っていたでしょう、魔法使いによる再召喚を待つべきでは?」
「いいえ、時間がありませんから待っていられません。多少の危険は承知の上です」
真理愛は何度も同じ質問をされていたが、今回も全く同じ答えを口にした。何度答えても自分の中で恐怖が膨れ上がるのを感じた。
アルバーノがフロントミラー越しに真理愛を見た。
「真理愛さん、随分と変わりましたね。意志が強くなった。急に戻ってきたことにも驚かされましたが、あんなにも反発していた役目に戻りたいと言うのにも同じくらい驚かされています」
しみじみ言われて、真理愛はあの町で過ごした時間に思いを馳せた。
夜の乙女であることから逃れようとしていたことが、遥か遠い過去のことのように感じられた。あの頃は実在するかも怪しい国を救うために生きるなんておかしいと思っていた。それなのに、夜の国に召喚されて吸血鬼たちと会ったら、役に立ちたいと思うようになった。捨てようとしていた十八年間を捨てずに済むかもと思ったら、惜しくなったのも理由の一つだったのかもしれないが、それでもあの時自分でやりたいことを決めたのだ。
だが、向こうへ戻りたい理由は、夜の国を救いたいという気持ちだけではなく、会いたいひとがいて、果たすべき責任があるからだった。
「夜の乙女が必要になったのは、白夜の到来が見込まれていたからですか?」
「いいえ。国土崩落を止めるために必要だと言われてのことで、白夜を退けるためではなかったのです。しかし結果として真理愛さんがいてよかったです。ただ、伝承では夜の乙女が白夜を終わらせたとされていますが、具体的に何をしたのかは不明です。エヴァルド殿下でさえもその時は蘇られる前だったのでご存じないでしょう。真理愛さんは止める手立てをすでに向こうで知ったのですか?」
「確証はありませんが、解決の糸口には心当たりがあります」
真理愛の頭には最後に見たクラウディオの顔が浮かんでいた。しかし、アルバーノに伝えることはしなかった。彼は夜の国の現状にそこまで通じているようではなかったので、クラウディオの存在を伝えればきっと嫌悪感を露わにするだろうし、その様を見て今の真理愛は耐えられそうもなかった。
「神父さんが別荘を持っているのは意外でした」
サンドイッチを食べ終えた真理愛は目的地にまつわる話題を振った。アルバーノと話をして余計な勘繰りをされる危険性はあったが、ただ座席に座って目的地に着くのを待つしかない状態では、焦りと不安で押しつぶされそうで会話をやめられなかった。
「別荘と言っても、裂け目が発生したのが別荘地だったので、それを保護する建物を建てたら別荘と呼ばれるようになったのです。その建物は私個人のものではなく、知り合いの吸血鬼と共同で所有しているものです」
「この世界にアルバーノさん以外にも吸血鬼がいるんですか?」
真理愛が仰天すると、アルバーノが前を見たまま笑った。
「吸血鬼の全てが夜の国へ渡ったわけではありませんでしたからね。こちらに残った吸血鬼たちはひっそりと暮らしています。ネットワークを築いて助け合って生きているのです。日本では、吸血鬼を含む人外たちの互助、そして相互監視の組織として、餐霞会という会員制の社交クラブが存在しています。私は夜の国で生まれた吸血鬼ですが、こちらに渡ってきたときには随分助けられました。日光に慣れるまで十年かかりましたが、彼らがいなければ私は干からびて死んでいたでしょう」
「吸血鬼でも日光を浴びても大丈夫なのはどうしてですか?」
真理愛は夜の国で光を浴びた吸血鬼たちが悲鳴を上げていた様を鮮明に覚えていた。悲鳴が耳の奥から蘇ってきて、体がぶるりと震えた。
「この世界に吸血鬼の実在を信じる人がほとんどいないことが原因です。不思議なことに思われるでしょうが、私共のような存在は人間と同じだと世界に認識されることで、性質が人間に寄ると言いますか、ともかく神秘的な存在でないと認識されることによって、吸血鬼の特性が薄れるのです。もっとも、それだけでは日光に耐えられる体ではないので、長い慣らし期間を置いて、サングラスや日よけといった対策を講じることでどうにか生活できています」
思い返せば、アルバーノは夏でも襟の詰まった長袖の服を着ていたし、今にしてもサングラスもしているし肌をほとんど露出させていなかった。
真理愛はずきずきと痛み出した眉間を揉んだ。その様子を見たアルバーノが言う。
「真理愛さん、別荘まであと一時間はかかりますから、眠っていてもいいですよ」
「ありがとうございます。すみません、神父さん、寝る前に一つだけ教えてもらっていいですか。夜の乙女がどうやって夜の国の崩落を止めるかご存じでしたか?」
真理愛は息を止めて祈るような気持ちで返事を待った。この時だけは頭痛も胃痛も忘れていた。
果たして、アルバーノは首を振った。
「世にまたとない黒い髪と黒い瞳を持つ人間の少女を探すことが私に下された使命でしたが、エヴァルド殿下は詳しいことを教えてはくださいませんでした。私はエヴァルド殿下の命でこちらに渡り、夜の乙女を向こうへ送るために人間社会で暮らすようになりました。そのためにはある程度の規模の集団が必要だと判断し、流れ着いたこの町で夜の乙女信仰の布教活動を始めました。最初からうまくいくことばかりではありませんでしたが、信仰は町や人々に根付き、今に至るまでこうして神父として活動しています」
その話を聞いて、真理愛は少しほっとしていた。町の人々に愛され、真理愛にも優しく接してくれたアルバーノが、全てを知ったうえで真理愛を夜の乙女として祭り上げたのではなくてよかった。
だが、すぐに気を引き締めた。相手はエヴァルドの部下だったのだ。人間の魂を供物として夜の国の崩落を食い止めていたことを知らなかったとしても、現世での人生よりも夜の国での人生の方が本物だと言ったのもまた彼なのだ。
「真理愛さんも殿下とお会いになりましたか?」
「……ええ、会いました」
「そうでしたか。では、真理愛さんが以前と変わられたのは殿下の影響ですか?」
真理愛は絶句した。そんなわけない、という否定の言葉がすぐに言えないほどショックだった。
アルバーノは言葉を失った真理愛の様子を都合よく解釈したようで、口元に笑みを浮かべた。唇の隙間からは短く削った牙が覗いていた。
「殿下は素晴らしい御方でしょう。私のような孤児にも手を差し伸べて、役目を与えてくださった。殿下にご満足いただけるような夜の乙女を選び出す大役でしたが、きっとできると言ってくださいました。大丈夫、真理愛さんが向こうへ戻られて共に世界を救われた後には、きっと殿下が真理愛さんを幸せにしてくださいますよ」
「……ええ、そうですね」
真理愛は鳥肌が立った肌を隠すように腕を組んだ。
「すみません。すこし眠らせてもらいます」
真理愛は逃げるように会話を切り上げて目を瞑った。
視界が闇に包まれると、すぐに引きずり込まれるように眠気が来た。激しい耳鳴りがして、金縛りのように体が動かせなくなる。眠っているのかそうでないのか、判断がつかなかった。




