地獄より愛をこめて
鏡に映る憔悴した顔は、薄暗い部屋にあって一層痛々しく見えた。エヴァルドの私室で一人過ごした晩から、真理愛は一度も眠っていなかった。目を瞑るたびにクラウディオの死に顔が頭をよぎり、罪悪感でおかしくなりそうだったからだ。
青ざめた顔や目の下のくまを化粧で隠し、きらめく宝石で飾り立て、夜の国の婚礼衣装である漆黒のドレスに身を包んだ自分は、このまま棺桶に入る方が似つかわしく見えた。
お綺麗ですよと声をかけてくる侍女たちに、真理愛は何の反応も返せなかった。彼女たちは真理愛を緊張していると思っているようだったし、王子と夜の乙女の婚礼を純粋に喜んでいたので、余計なことを言って傷つけたくはなかった。
仕度が終わると、エヴァルドが部屋を訪れた。エヴァルドもまた漆黒の婚礼衣装に身を包んでいた。
エヴァルドが身に着けているものは全てが比類なき美を湛えていたが、それらは彼の持つ美貌の前にひれ伏し、彼を飾り立てるためだけに存在していた。
エヴァルドは真理愛の仕上がりを見て目を細めた。
「思った通り、よく似合っているね」
真理愛はもうエヴァルドを睨みつける気力もなかった。彼の企みに加担することを決めた自分にその資格があると思えなくなっていたし、刻々と近づく逃れられない死への無力感で全身が満たされつつあった。
「最後にこれを、我が夜の乙女」
エヴァルドは真理愛の左手の薬指に指輪を嵌めた。大きな赤い宝石が、それを囲むダイヤモンドが、薄闇の中で底光りしていた。それは真理愛が十八の誕生日に両親からもらったガーネットの指輪だった。
「なんで、これを……?」
「俺からの婚約指輪だよ。君が持ってきたものじゃないか。夜の乙女に選ばれた少女に与えられるものだと君の一族には伝わっているはずだけど、知らなかったかな?」
真理愛は頭から血が引いて行くのを感じた。足元が不安定になり、めまいと耳鳴りに襲われた。
一体いつから始まっていたのだろう。自分の人生はおろか、一族やあの町の人々までエヴァルドの意に沿うよう操られていたのかもしれない。初めから何もかも仕組まれていたのだと理解させられ、その中で必死に足掻いているつもりだった自分が滑稽に思えた。
エヴァルドは打ちひしがれている真理愛の様子をじっくりと観察し、二度と抵抗できないことを確信すると、冷酷さを隠して完璧な微笑を作った。
「行こうか」
真理愛は王子の手を取り、ゆっくりと歩き出した。その体は自分の意思とは無関係に動き、その心は完全に動きを停止していた。
部屋の外で待機していたディーノが真理愛を見て一瞬だけ悲痛な表情を浮かべたが、すぐに無表情に戻った。
月が沈むとともに婚礼が始まった。空に瞬く色とりどりの星々は、王子と夜の乙女の婚礼を祝福しているようだった。
重厚な石造教会の数少ない窓には全てカーテンが引かれ、星の光も遮断されていた。作られた暗黒の中で、魔法使いが操る火球がほのかに室内を照らしていた。
列席する貴族たちは、黒以外の服に身を包んでいた。一様に厳粛で神聖な儀式を穢すことがないよう、呼吸一つもひそやかに行っていた。
魂を持たず永遠に救済されることがない吸血鬼たちは、それでいて元の世界にあった宗教的儀式の形式だけを夜の国へ持ち込み、神の居場所に伝説の魔法使いや聖女に置く。そのため、神ではなく伝説の魔法使いの名において結婚の誓約が行われた。大司教の問いかけに応える形で宣誓をしたが、真理愛は自分が何を言ったか理解していなかった。
指輪の交換の段になると、大司教が厳かに指輪を差し出した。黄金とダイヤモンドの輝く二つの指輪は、ガーネットの指輪と揃いで付けることを前提とした形をしていた。
真理愛が無心で指輪を見ていると、不意に教会の外からざわめきが聞こえ始めた。管弦楽団や声楽隊の演奏もない恐ろしいほど静かな教会の中では、それはやけに響いて聞こえる。尋常ではない叫び声も混じり、教会内にいる吸血鬼たちは怯えた顔で外に注意を向けた。
ダイヤモンドがひときわ強く輝いた。それは一条の光によるものだった。
外で起きている騒ぎにも気づかなかった真理愛も、反射的に目を細めた。まぶしい、という違和感に、真理愛の心は氷が解けるように動き出した。
開け放たれていく扉から光が差し込んでいた。そこには逆光を浴びて立つ一人の男の姿があった。
真理愛は鎖のように重いドレスを引きずりながら歩き出し、とうとう駆け出した。光を浴びた吸血鬼たちの阿鼻叫喚も、その耳には届かない。
迷いなくその胸に飛び込んだ。強く抱きしめられて、胸が締め付けられる思いがした。
鼓動を感じる、体温を感じる、呼吸を感じる。でも、覗き込んだその顔だけは、涙でぼやけてはっきり見えなかった。
クラウディオは真理愛の頬を流れる幾筋もの涙を拭って、口づけた。
離れていくクラウディオの顔を、真理愛はようやく視認できるようになった。その赤い瞳の瞳孔は縦に長く、夜行性の生き物の瞳孔に似ていた。
教会の内外で吸血鬼たちの悲鳴が絶え間なく上がっていることに、真理愛もようやく気づいた。それから、月が沈んだ後だというのに、教会の外の様子が真理愛の目でもはっきり見て取れるほど明るいことにも。クラウディオの向こうに見える空は、確かに白んでいた。
真理愛は再び強く抱きしめられた。まるで別れを惜しむかのように、息もできないほどの強さで。
「さようなら」
次の瞬間、強烈な浮遊感を覚えた。驚く間もなく地面に叩きつけられるような重力に襲われ、真理愛は必死でクラウディオの腕にすがりつこうとした。だが、その手は空を掻き、気付けば暗黒の中にいた。
「クラウディオさん……!」
叫び声は闇に消え、彼には届かなかった。
強烈な光を浴びて、真理愛は瞼をぎゅっと閉じた。その時、浮遊していた体が柔らかいものの上に落ちた。
恐る恐る目を開けると、そこは懐かしい自分の部屋で、真理愛はベッドの上に倒れていた。窓から差し込む朝日が顔に当たり、目が痛いほどの眩しさを感じていた。




