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化物と怪物

 クラウディオのナイフとエヴァルドの剣がぶつかり合い、耳を塞ぎたくなるような金属音が高いドームに響いた。


 聖職者たちは悲鳴を上げたりその場に倒れたりして、礼拝堂内はにわかに騒然となった。


 本物の殺し合いを目前にして恐怖で凍り付いている真理愛まりあに、またしても矢が向けられた。クロスボウ越しに燃えるような赤毛の従者と目が合う。彼の瞳が揺れた気がしたのは、真理愛の気のせいではなかった。彼は真理愛を撃つのを躊躇った。しかし、その隙は彼にとって命取りだった。


 真上から振り下ろされたクラウディオのナイフがクロスボウの強靭な弦を切り裂き、続けざまにナイフの柄が従者の鳩尾を直撃した。吹き飛ばされた従者はエヴァルドの方へ仰向けのまま倒れこみ、エヴァルドはその体を無慈悲にも避けてクラウディオに斬りつけた。クラウディオはエヴァルドの剣を避けずにナイフで受け流す。


 クラウディオは絶え間ないエヴァルドの攻撃を最初から全てナイフで受け止め、受け流していく。目にも止まらぬ速さで繰り出される重量ある剣による斬撃を、小さなナイフ一つでだ。それが背後にいる真理愛を守るためだと気づいて、真理愛はようやく呼吸を思い出した。


 真理愛は必死で思考を巡らせ始めた。場の空気に、恐怖に飲まれている場合ではない。


 活路を探すために周囲を見回す。聖職者たちは相変わらず礼拝堂の中でクラウディオとエヴァルドの戦いを愕然とした様子で見守っている。しかし、涙を流すほど恐怖している彼らは、誰一人として扉を開けて外に出ようとしていなかった。


 真理愛は礼拝堂の扉を見た。金属製の重々しい扉は、入ってくる時も男が二人で開けていたし、自分一人ではとても動かせそうにない。クラウディオの手を借りようにも、エヴァルドの相手をしていて無理だ。


 真理愛は再び聖職者たちへ視線を戻した。人手は存在している。彼らが礼拝堂から出て行かない理由は不明だったが、彼らが出なければいけない状況にすればいい。


 すくむ足を無理やり動かして、柱の側に置かれている燭台に駆け寄った。何本もの蝋燭が置かれた背の高い真鍮製の燭台は、見るからに重そうだったが倒せそうだ。


「真理愛」


 背後で名前を呼ばれて、真理愛は悲鳴を上げた。振り返ると、そこにはエヴァルドが立っていた。当然、その手には剣が握られている。いつのまにか付着していた血が、剣の切っ先からぽたぽたと落ちている。


 エヴァルドの後ろでは、右腕から血を流すクラウディオが、剣を構えた赤毛の従者に足止めを喰らっていた。


 恐怖で動けなくなっている真理愛に、エヴァルドが微笑みかける。その頬には血が付着していたが、まるで気にする様子がない。


「可哀そうに、怖くて震えているんだね。今ならまだ君を許してあげるよ」


 エヴァルドが剣を持っていない方の手を差し伸べてきた。


「許してもらわなくて結構です!」


 真理愛は燭台を引き倒し、身廊に並べて置かれている古いベンチに引火させた。


「悪くない手だ!」


 エヴァルドは真理愛の狙いに気づいても、微塵も焦る様子はなく、ひたすらに穏やかな面差しをしていた。


「どうしてそんなに怒っているの? もしかして夜の乙女と王子が世界を救うという言い伝えを本気で信じていたのかな。あんなものは体の良い作り話であって、真実を覆い隠して君のように愚かな人間を誘い出すための舞台装置に過ぎないよ」

「じゃあ、これまでの夜の乙女は、みんな……?」


 エヴァルドは返答の代わりに、表情一つ変えずに剣を振り下ろした。真理愛の目にはすべてがスローモーションに見えた。燃え広がる炎で赤く輝くエヴァルドの肌や、振り下ろされる剣の研ぎ澄まされた切っ先も、エヴァルドのこめかみ目がけて繰り出された靴の爪先も、何もかもが。


 次の瞬間には、エヴァルドの体は真横に吹き飛ばされていた。周りで見守っていた聖職者を巻き込んで倒れるエヴァルドの姿を見て、真理愛は唖然とした。


 肩で息をしている血まみれのクラウディオは、今しがた蹴り飛ばしたエヴァルドを見たこともない顔で睨んでいた。彼の背後には、仰向けに倒れてうめき声を上げている赤毛の従者の姿があった。


「怪我は?」


 クラウディオが真理愛に触れようとしたが、その手が血に染まっていることに気が付くと、さっと下ろした。


「私は大丈夫です」


 言って、真理愛は胸元のリボンを解いてクラウディオの腕の切り傷を強く縛った。手にクラウディオの血が付いたが、本当は怖かったが、何でもないふりをした。


「ありがとう、真理愛」


 クラウディオはほとんど目を閉じながらかすかに微笑んだ。炎が眩しすぎて目を開けていられないのだ。


 木が燃える焦げくさい臭いは耐え難いほど強まりつつあり、特別礼拝堂の中は燃え盛る炎で明々と照らされていた。とうとう命の危険を察知した聖職者たちが、重い扉を開けて外へと出始めた。新たな酸素を得た炎は、室内にある可燃性のものを次々に飲み込んでいく。


「ごめんなさい、私が火を点けたせいで……。はやくここから出ましょう」

「いいんだ、おかげで扉は開いた。騒ぎが大きくなれば殿下の隠ぺい工作も無駄になる。すまないが、手を引いてもらえるだろうか」


 真理愛がクラウディオの手を握ろうとした時、燃えるベンチが頭上に降ってきた。


「は――?」


 ベンチが激突する前に、クラウディオが薄目のままベンチを蹴り上げて粉々に砕いた。しかし、炎に紛れて現れた剣の切っ先がクラウディオの肩を掠め、血しぶきが飛んだ。


 迸る血を浴びたエヴァルドは、一歩下がり、再び踏み込んで真理愛の首を目がけて鋭く突いた。エヴァルドの剣は、すんでのところで伸ばされたクラウディオの手のひらを貫通して止まった。真理愛の目の先で、血に濡れた切っ先が光っていた。


「これで逃げられないな、クラウディオ」

「……心中するおつもりで? 殿下とだけは御免被りますな」


 クラウディオは激しい形相でエヴァルドを睨みつけ、貫通された手で剣を掴み、もう片方の手で剣を横殴りにして叩き折った。


 エヴァルドは折られた剣を真理愛の真横に放り投げた。それは真理愛を傷つけるためではなく、ただ見せるために投げられた。


 床に落ちた剣の音は、紛れもなく金属で、重々しい音がした。こんなものが拳一つで折れるとは信じがたかったが、目の前でそれは証明されたばかりだった。


「何を驚いているんだ、真理愛。何度も教えたじゃないか、こいつは怪物だと」


 真理愛の脳裏に、クラウディオと出会ったときの情景が浮かぶ。そうだ、あの時は気が動転していて理解が追いつかなかったが、クラウディオは魔法使いの足元めがけて剣を投げつけたのだ。しかも真理愛が視認できないほどの距離から。


 それだけではない。これまでのエヴァルドと従者との戦闘においても、彼は信じられない怪力と反応速度を見せていた。


「あんなものを投げつけておいて何を仰います、殿下」


 クラウディオが冷や汗の浮かぶ顔で、牙を剥きだしにして笑顔を作った。虚勢を張っているのは誰の目にも明らかだった。


 エヴァルドは余裕の笑みでゆっくりと移動し、扉へ向かう道を塞いだ。


 真理愛はエヴァルドの様子に違和感を覚え、あることに気づいて血の気が引いた。


 彼は少しも眩しそうにしていない。人間の真理愛でさえ眩しいと感じる炎の中で、その目は機能しているのだ。


 真理愛が一歩後退しようとすると、踵がブロンズ像の台座にぶつかった。気が付けば、背後に地獄の門が口を開けていた。


「殿下!」


 赤髪の従者が、エヴァルドに向けて剣を投げた。エヴァルドはそれを走りながら受け取って抜き放ち、真理愛目がけて突進する。傷だらけの赤髪の従者もまた、ナイフを手に迫ってきていた。


 真理愛はクラウディオを突き飛ばそうとしたが、クラウディオの方がずっと速かった。


 気づけば、クラウディオが肩と脇腹を刺されていた。抱きしめられる形で庇われたので、肩とお腹のあたりがじわじわと温かいもので濡れていくのが感じられた。


 不意に体にかかっていた重みが消えた。地面に倒れ伏したクラウディオの体から赤い血が流れ出て、床に広がっていく。


 真理愛はクラウディオの傷を塞ごうとしたが、その首にエヴァルドが腕を回され、そのまま体を持ち上げられた。足は床を離れ、ほとんど首を絞められている状態になった。


「ッ、放して!」


 しかし、ますます強く引き寄せられ、エヴァルドの熱い体温を背中で感じてぞっとする。


「君は大人しく見えたが、今まで出会った人間の中でもとびきり反抗的だな。すこし大人しくしているといい」


 首に熱い吐息がかかり、次いで皮膚を食い破られる痛みが走った。


 真理愛は頭が真っ白になった。吸血鬼にとって吸血行為が何を意味するか、身をもって知っている。そんなことを無理やりされているのだという事実をすぐには受け止められなかった。


「は、……え?」


 真理愛は声を出そうとしたが、舌が動かないことに気づいた。それどころか、ばたつかせていた腕も脚も、地面に向かって垂れ下がっているだけになっていた。


「吸血鬼は人間の血を吸うために適応してきた。吸血鬼の唾液は人間にとって麻酔も同然なんだ」


 エヴァルドの舌が真理愛の首に垂れる血を舐めとった。


「さて、おまえはどうしてやろうか。怪物なだけあって流石にしぶといな、満身創痍のくせに俺を睨む元気があるときた」


 クラウディオは倒れ伏したままエヴァルドの瞳をまっすぐに睨みつけていた。


 エヴァルドはにやっと笑い、真理愛を従者に預けると、クラウディオの穴の開いた手を踏みつけた。クラウディオのくぐもった悲鳴が血の海をごぽごぽ鳴らした。


「クラウディオ、そろそろ尻尾を出したらどうだ? おまえの本当の姿を見せろ、吸血鬼の見た目で装っていても、おまえの中身が違うものであることはわかっている。おまえは一体何だ?」


 クラウディオは返事の代わりに無事な方の手でエヴァルドの足首を掴んだ。ぶつり、と嫌な音がして、エヴァルドの服に、皮膚に、クラウディオの爪が沈んでいく。


「か、のじょを、……放せ」

「どこまでも俺を苛立たせる、怪物め」


 エヴァルドは柳眉を逆立て、血まみれの剣をクラウディオの首にまっすぐに突き刺した。クラウディオの体が痙攣し、エヴァルドの足首を掴んでいた手が床に落ちた。


 真理愛は、しばらく何が起こったか理解できなかった。音という音が全て遠ざかり、耳が元に戻ってきたときには、声なき声で叫んでいた。声も出せず指一本も動かせない体の中に閉じ込められた真理愛の精神は、名状しがたい苦しみや悲しみで千々に裂かれるようだった。


「闇より生まれ出でたのだから、闇へ還してやろう」


 エヴァルドは剣を引き抜くと、クラウディオを片手で掴んで持ち上げ、そのまま地獄の門へと放り投げた。クラウディオの体は闇に触れた瞬間見えなくなり、血の最後の一滴まで地獄の門が飲み込んでいった。


 その様を、真理愛は閉じられない目で最後まで見つめていた。


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