それは確かな現実
クラウディオの答えに驚いたのは真理愛だけだった。エヴァルドはもちろん、固唾を飲んで見守っている聖職者たちも驚く様子はなかった。
真理愛は床に視線を落としたが、固い大理石の床が輝いているだけだった。しかし、足がぞわぞわとする感覚に襲われた。貧血になった時のような、嫌な感覚だった。
「やはりおまえの目は奇怪なものらしい。だが、おまえの言う通りだ。俺たちが大地と呼ぶものは、孵化する前に死んだドラゴンの体だ。吸血鬼たちを夜の国へ導いたとされる魔法使いが、ドラゴンへの復讐として奪った卵を、生まれる前に中身を殺して、卵の中に雛の体を下敷きに世界を構築したのが、我らが夜の国の正体だ」
ため息を零したエヴァルドの顔に、暗い影が落ちた。それは地獄の門の闇と同じくらいの深い色を感じさせた。気が遠くなるほど生きてきた時間そのものが、影となっているかのようだった。
「かの魔法使いがドラゴンに何をされたか知らないが、まったく復讐なんて下らないことだよ、どこへどう波及しても良い影響を与えやしない。血で血を洗う戦いの果てに、生まれてもいない雛を殺して、それを何も知らない吸血鬼たちにくれてやろうだなんて、性根が腐りきっているとしか言いようがない」
吐き捨てるように言ったエヴァルドは、一瞬だけ全身に激情をみなぎらせたが、すぐにそれは消え失せた。エヴァルドは理想的な王子に戻ったが、真理愛の目には彼がそれを演じているだけだと分かるようになっていた。
「では、大地が崩れるのはなぜです。死体であるが故に腐り落ちていると?」
「いいや、それは少し違う。世界が崩落するのは、生まれずに死んだ雛が再び形を成そうとしている過程で、失敗作の己の体を分解して栄養素として使おうとするためだ。だが、人間の魂を捧げることによって栄養の代替となり、分解――俺たちが呼ぶところの崩落が止まる。もっとも、餌を得ても雛が生まれることはないし、雛の体が本当の意味で完成することはない。なぜなら元の世界で真なる神秘は死に絶えているし、何より雛はすでに殺されているからだ。再び体を成そうとするのは意志ではなく、ただ設計図に基づいて体を作ろうとする仕組みになっているだけのこと」
「ではその仕組みを破壊する術は――」
バシュッと何かが弾ける音がして、次いでクラウディオの腕が何かを叩き落とした。床に落ちた何かは粉々になっていたが、光る矢尻だけはそのまま残っていた。真理愛は息を飲んで、矢が放たれた方角の闇に目を凝らした。
「遅い! どれだけ時間を稼がせるつもりだ」
エヴァルドが闇に包まれた側廊へ向けて怒鳴った。柱の向こうから現れた男は、恐縮した様子でごにょごにょ謝りながらも、クロスボウで矢を放ってきた。真理愛に向けて放たれた矢は、クラウディオが再び叩き落とした。
真理愛は恐れおののくあまりその場にへたり込むこともできなかったが、クラウディオが手に着いた破片を払い落としている様を見ながら、彼が素手であることに気づいた。ナイフはまだ腰の鞘に収まっている。魔法を使ったにしては、今の動きは洗練さに欠ける気がした。
クロスボウを構えたエヴァルドの従者は、額に汗を浮かべつつエヴァルドの元へ駆け寄った。
「殿下にはせめて決闘を申し込まれるものかと思っておりましたが、彼女を狙うとは何のおつもりですか?」
クラウディオの冷ややかな声色に、初めて怒りが滲んだ。守られている真理愛でさえもひりつく恐怖を感じるほどの、激しく煮えたぎる怒りだった。
「馬鹿を言え、おまえ相手に決闘などできるか。命がいくつあったって足りないさ。決闘などで守られる名誉も地位も、俺には何もかもどうでもいいことだ。おまえという怪物を排除できるなら、どれだけ汚いことも手を染めよう。なぜなら俺は夜の国の王子であり、吸血鬼たちの守護者だからだ」
「それは嘘でしょう。私を殺したいだけなら、真理愛に儀式の説明をする必要などなかった。だが殿下はわざわざ御説明された。先ほども私に撃ち落とされるのを知りながら真理愛を狙って矢を放った。殿下の目的は私を挑発することではありませんか? 一体なぜです、なぜそのような真似をなさるのですか」
「さあ、なぜだろうな」
エヴァルドは真面目に答える気をすっかり失っている様子で、従者から剣を受け取った。美しい彫刻が施された鞘や柄が火の光を受けてきらめいていて、人を殺すための道具には見えなかった。
真理愛、とクラウディオが声を潜めて呼んだ。
「この礼拝堂は、扉のレリーフのせいで魔法が使えない。まずはここを出て、あなたを元の世界へ帰す」
「え……!?」
真理愛は思わずクラウディオの腕を掴んだ。しかし、クラウディオはこちらを見なかった。
「嫌です、絶対に嫌!」
クラウディオの足手まといだと、この世界にいたら殺されるだけだと、痛いくらいに理解しているのに、それでも彼から離れることを拒絶したかった。彼がこんな事態に巻き込まれているのは、絶対に私のせいなのだから。
苦しいくらいに張り詰めていく空気の中で、クラウディオの横顔に一瞬だけ笑顔が浮かんだ。
「あなたが我が儘を言うのは初めてだね、でも駄目。大丈夫、生きてさえいれば、私たちは何度だって会える」
クラウディオは強い力で真理愛の手を解き、一歩進み出てエヴァルドとその従者と対峙した。
「ご相談は終わったかな? それでは存在が国の安全を脅かし、あまつさえ国の宝を破壊を試み、王子の婚約者に横恋慕した白夜公には、死をもって償ってもらおうか」
「横恋慕だなんて、せめて一度くらい人間に愛されてから仰ってはいかがです」
凄まじい火力の煽り文句に、従者がエヴァルドの顔色を伺った。エヴァルドはそれに意に介さず剣を抜く。
「移り気な人間の愛など夢幻の類だよ、クラウディオ。人間はたかだか数十年の生でも、何か一つを愛し続けることさえできないんだ。今にその目を覚まさせてやろう」
「それには及びません、殿下。それは現にございます」
クラウディオは腰のナイフを引き抜くと、真っ向から斬りかかった。




