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喩えるならば雛鳥の

 教会は、城よりもさらに重厚な雰囲気の建物だった。堂々たる石造教会には、窓が数えるほどしかなく、星明りさえ内部に入るのを厭い、内に湛えた深い闇を守ろうとするかのように見えた。


 真理愛まりあは夜の国の宗教施設に来るのは初めてだったが、フォルトゥナ公爵家での家庭教師の授業で信仰についても教えてもらっていた。


 夜の国で信仰されているのは、吸血鬼たちを夜の国へ導いた魔法使いと、最初に夜の国を救った聖女だ。


 妻子を代償に要求して王に火あぶりにされ、あまつさえ白夜の呪いをかけた魔法使いが信仰されているのは不思議でならなかったが、それらを差し引いても偉大な功績があるからだろうという理解に落ち着いた。


 教会の前では聖職者たちがずらりと立ち並んでエヴァルドを出迎えた。聖職者たちの服装は一様に華美で、聖職者は清貧なものというイメージを持っている真理愛は思わず眉をひそめた。


 並び立つ聖職者たちは、エヴァルドにこびへつらう一方で、クラウディオには侮蔑の眼差しを送ってひそひそと言葉を交わしていた。あまりにも差別的な態度は、見ていて気分が悪くなるほどだった。


 このまま教会に入るかと思われたが、聖堂に隣接する特別礼拝堂へと案内された。エヴァルドを出迎えた聖職者一同もついてきたので、かなりの大人数での移動となった。


 特別礼拝堂は、どちらかと言えば王城の意匠に近い建物で、壁面から飛び出すフライングバットレスは巨大な生き物の肋骨に似ていた。


 一番位の高そうな聖職者が手のひらほどのサイズの派手な鍵で特別礼拝堂の扉を開けた。


「儀式の時以外には立ち入り禁止でございますから、こうして殿下にお見せするのも三百年ぶりでございますな」


 開け放たれた扉の向こうから何とも言えない香の匂いが漂ってきた。真理愛には、古の闇そのものが香っているように思えた。


 若そうな聖職者たちが先に中に入り、蝋燭の火をつけた。徐々に中が明るくなってくると、エヴァルドが真理愛の手を引いて中へと誘った。


「おい、何をしている?」


 エヴァルドがなかなか入ってこないクラウディオに声を掛けた。クラウディオは開け放たれた扉のレリーフを睨みつけるように見ていたが、何でもありません、と言ってゆっくりと礼拝堂内に足を踏み入れた。


「ここで儀式を?」

「そうだよ。聖堂は俺たちの結婚式までお預けだ」


 絶対嫌、と心の中で叫びながらも、真理愛は引きつった笑みを作った。何一つ言い返すことができない自分の立場の弱さが情けなかったが、あとしばらくの辛抱だと自分に言い聞かせた。


 短い身廊の先には、数メートルの高さがあろうかというブロンズ像がそびえていた。夜の乙女と王子と思しき男女が寄り添いながら毅然とした面持ちで空を見つめる像は、蝋燭の火の光を浴びて一層神秘的に見えた。


 ブロンズ像の真上の巨大なドームには、ほのかな光しか届いていないながらも鮮やかな色彩が見て取れる天井画が描かれていた。


 背後で扉が閉まった音がして、思わず真理愛は振り返った。どくどくと心臓が鼓動を速めていたが、クラウディオがさりげなく視線を送ってくれたのでどうにか平静を装うことができた。


「儀式の前に内容を説明することはしきたりで禁じられているのだが、可愛い君のおねだりに応えよう」


 聖職者たちがエヴァルドの言葉を合図に動き出し、ブロンズ像の下で何かを操作し始めた。


 ほどなくしてかすかに地面が揺れ始めた。ブロンズ像の夜の乙女と王子の体がゆっくりと離れていき、台座がぱっくりと割れ、その下にある空間を露わにした。台座の下には、半径二メートルはあろうかという穴がぽっかりと空いていた。


 エヴァルドが燭台を手に取り、真理愛の手を引いて前に進ませた。


「ほら、ご覧。おまえも見ておけ、クラウディオ」


 真理愛の隣にクラウディオが立つと、エヴァルドは手にした燭台を前方へと突き出したが、それでもな

お現れた地下空間の闇は見通せなかった。


「真理愛、君も光を飲み込む闇があることを知っているね?」

「……ええ、断崖の向こうの闇は、光をもってしても照らせない」


 真理愛はごくりと唾を飲み込んで、半歩後ずさった。それでも足を滑らせて穴の中に落ちる想像は頭にこびりついて離れなかった。


「でも、どうして夜の国の中心にこんな場所が……?」

「さてね、そこまでは俺も知らないが、実は国の周縁地域以外にもこうした崩落の穴がいくつか存在しているんだ。どのうろの上にも教会を立てさせて塞いでいるから、国民はそれを知らない。おまえは知っていたか、クラウディオ」

「存じ上げませんでした。何しろ教会のひとびとは、私を殊更に恐れていましたから、教会の中に入ったこともありません」


 エヴァルドが喉の奥で笑った。クラウディオが教会に入ったことがないと知っていたのに、嘲笑いたいがために言わせたのだろう。


「虚の中でも、これは地獄の門と呼ばれる特別なものだ。なにしろ儀式によって王国周縁の崩落を食い止めることができる」

「ここで私は何をすればいいんですか……?」

「あれをご覧」


 エヴァルドが指差す方向を見ると、自分と目が合った。地獄の門と呼ばれた虚の向こう側に、派手な装飾が施された姿見が置かれていた。先ほどまではブロンズ像があったので見えなかったのだ。


「あれは、鏡……?」


 真理愛は確かに自分と見つめ合いながらも、確信が持てなかった。なぜなら隣にいるエヴァルドもクラウディオも、鏡にその姿は映っていなかったからだ。


「あの鏡は特別な鏡で、魂を映し出すことができる代物だ。人間と吸血鬼の絶対的な違いはね、魂の有無なんだ。吸血鬼には魂がないから、俺は当然映らない。あの鏡から別の鏡へ光を反射させて、地獄の門へと光を届ける。するとどうなると思う?」


 エヴァルドが真理愛の手を強く握った。爪が食い込んだ痛みに、真理愛は顔をしかめた。


「地獄の門は君の魂を呑み込み、君は抜け殻になるんだ」


 ひっと息を飲み込み、真理愛がよろめいた瞬間、視界の端で何かがきらめいた。クラウディオが鏡に向けてナイフを投げ放ち、すぐさま真理愛を引っ張って鏡の前から移動させた。


「残念だったな」


 エヴァルドが言った瞬間、ナイフが鏡に到達した。しかし、鏡はナイフを弾き、そのまま地獄の門の闇へ落ちて行った。魂を映す鏡には、傷一つつかなかった。


「あれは特別な国の宝だ、ただのナイフでは傷などつかない。この神聖な礼拝堂に武器を持ち込むなんて、おまえは不信心ふしんじんだな。ああ、それから、ドームをよく見ろ、クラウディオ。最後の鏡はドームの中心にあるが、反転させたままだ。だから彼女の魂は無事だ、まだ、な」


 クラウディオは真理愛を隠すように後ろに下がらせた。


「真理愛、無事か?」

「は、はい。でも……」


 真理愛は周囲を見渡し逃げ道を探すが、暗くてよく見えなかった。入ってきた扉はしっかりと閉じられているのは、もう一度見るまでもない。


 礼拝堂内にいる聖職者たちは急に始まった白夜公の反逆行為に怯えて邪魔をしてくる様子はなかったが、悠然と立つエヴァルドの視線にははっきりとクラウディオに対する殺意が込められていた。


「ようやく俺に牙を剥いたと思ったら、結局はひとの為か。つまらない奴だな」

「殿下こそ、二度も私を殺せなかったのに、また殺すおつもりで?」


 クラウディオはうんざりしたように言って、外套を脱いでそこらに放った。身軽になったクラウディオの腰には、もう一本のナイフが装着されていた。


「初めから私を殺すつもりで呼ばれたのでしょう。この礼拝堂は密室で、殿下の御言葉を何より尊ぶものしかいない。この礼拝堂で何が起ころうとも、殿下の御言葉通りの事が起きたこととして処理されるでしょうな」


 エヴァルドはすこしにやっと笑って、無言でクラウディオの言葉を肯定した。


「千年も生きておきながらこんなやり方でしか世界を救えないというのが殿下の、ひいてはこの国の結論でしょうか?」


 そうだ、とエヴァルドは淀みなく答える。


「三百年に一度だけ人間の魂を使えばこの国は延命される。元より吸血鬼の糧でしかない人間だ、目を離せば死ぬ程度の寿命しかないし、やつらの取り柄はいくらでもいることだけ。そのうちの一人を犠牲にするだけで、夜の国の領土は守られる。領土の崩落を止めねば何が起こるかは、公爵たるお前が知らないはずがないな」

「殿下のお言葉は怠惰の言い訳にしか聞こえませんな。今回の崩落にしても始まってから二十年、過去に遡れば何度も発生している。他の方法は模索されたのですか」

「したとも。あらゆるものをこの地獄の門へと飲み込ませ、国土周縁への調査も繰り返し行った。だが、見つからなかった。崩落に巻き込まれたひとびとが戻ってきた例もなく、暗黒の向こうに何があるか知るすべもない。……おまえの母親だけは例外だったな。ただ一人、崩落の断崖の向こうへ行って戻ってきたロゼッタだけは。だが、その時のことは何も憶えていないの一点張りで、口を割らずに病で世を去った。この世界へ吸血鬼を導いた魔法使いも火あぶりで死に、存在したかもしれない手掛かりにも到達できない始末だ」


 エヴァルドはコツコツと靴のつま先で床を叩いた。


「クラウディオ、おまえはそもそもなぜ大地が崩れ落ちるか知っているか? 怪物であるおまえの目には、この大地はどう見えている?」

「……喩えるならば、バロット、でしょうか」


 クラウディオは重い口をこじ開けるかのように言った。


「何かの体が、体に成りかけていた何かが、薄く引き伸ばされたものに見えています」


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