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あなたの未来に私の居場所はありますか

 真理愛まりあはバスタブの熱い湯につかり、体の疲れを癒してぼんやりと、はできなかった。神経が張り詰めているせいでくつろげなかった。どうにか気分を落ち着けようと手のひらで腕を撫でるが、クラウディオやエヴァルドの顔が何度も頭を過った。


 クラウディオと二人きりであるこの状況そのものが、真理愛の心をかき乱す。もし今夜良い雰囲気になったら――などと独りで勝手に気持ちが盛り上がる。しかし、盛り上がったところでどうしてもエヴァルドの顔を思い出し、気分は急落下していく。殺されるかも、食べられるかも、無理やり結婚させられるかも、と逃げる計画を立てているはずなのに恐怖に支配されていく。だが、恐ろしさもずっとは続かず、またクラウディオのことを考えて、と一人で思いを巡らせ続けていた。


 コンコン、と不意にドアがノックされて、真理愛はびくついた。


「真理愛、随分長風呂だけど、眠ってないかい?」

「だ、大丈夫です。そろそろ上がります」


 クラウディオが遠ざかっていく足音を聞いてから、真理愛はバスタブから上がった。


 体を拭いて寝間着に着替え、バスルームを出てのろのろと廊下を歩く。自室に行くか、クラウディオがいるかもしれない居間へ行くか、まだ決めかねていた。


 結局、真理愛は台所へ行くことにした。公爵家本邸から旅立つ前に、カーラとジュリアが持たせてくれた茶葉があったので、それでお茶を淹れて気分を落ち着けようと思った。


 しかし、台所にはクラウディオの姿があり、ばったり会ってしまった。彼も何か飲もうとしているらしく、コップの用意をしていた。


「あなたも何か飲みに来た?」

「はい。お茶を淹れようかと」


 真理愛がポットに茶葉を入れている間、クラウディオが魔法で熱湯を作ってくれた。


 球状の水が空中に浮遊し、しばらくして沸騰すると、ポットの中に注がれ、蓋が閉じられた。蒸らし終わると、今度はポットが空中に浮かんで、カップに紅茶が注がれた。いずれもクラウディオは呪文も動作もなく魔法を使ってやってのけたが、カップを手渡すのだけはクラウディオが手ずからやった。


「ありがとうございます。二杯分ありますから、よかったらクラウディオさんも飲んでください」

「ではお言葉に甘えて頂くとするよ」


 二人とも居間へ移動することなく、台所の流し台に寄りかかってお茶を飲んだ。


 薄暗い台所に満ちるのは今にも破られそうな沈黙だった。真理愛も一緒にいるなら気を紛らわせるために何か話したいと思っていたし、クラウディオもまた何か話したそうにしていた。


 先に口を開いたのはクラウディオだった。


「異界への門を開く魔法について、あとはあなたの痕跡を探すだけと伝えたのを覚えているかい?」

「そういえばそうでした」


 真理愛はすっかり忘れていたことを白状した。クラウディオの与えてくれる安心感のせいで、元の世界の自分の家に帰れることを疑うことがなさすぎて、真理愛の頭から抜け落ちていた。


 クラウディオはわずかに目元を和らげ、すぐに真剣な表情に戻った。


「あれから何度も実験を繰り返したが、結論としてはあなたの痕跡を探すにはあなたがそばにいてくれると成功率が上がると判明した。今のうちに魔法を試したいんだが、構わないかな?」

「大丈夫です」


 真理愛がクラウディオの隣に立つと、クラウディオは片手を前方へ手をかざし、もう片方の手で真理愛の肩を抱き寄せた。風呂上がりの互いの体は温かく湿っていて、真理愛は心臓が強く跳ねたのを感じた。


 クラウディオが呪文を唱え始めると、蝋燭の火が消え、その手の中へ暗闇が凝縮していった。呪文が終わると、途端に部屋が昼中のように明るくなった。真理愛は何度も目を瞬いて、懐かしい光に目を慣らした。


 立ち尽くす真理愛は、眼前に広がる光景を食い入るように見つめていた。夢でも幻でもないその部屋は、真理愛が家を出てきたときのままだった。学習机、ベッド、姿見、何より壁を埋め尽くすほどの童話の本は、見間違えようもない、自分の部屋だ。部屋に差し込む明るい日差しは、暗闇に慣れてしまった真理愛に猛烈な懐かしさを覚えさせた。


「うまくいったかい?」


 クラウディオは手をかざして日差しを遮っていた。


 吸血鬼にとって日光は致命的なのではと真理愛が不安になったが、クラウディオはひたすら眩しがっているだけで、肌が焼け爛れたり灰になったりはしていなかった。


「大成功です!」


 真理愛は喜びのあまりクラウディオの頭を抱き寄せた。日陰に入ったクラウディオは、真理愛と目を合わせて表情を和らげた。


「よかった、ようやく笑ってくれたね。王都に近づくにつれてずっと不安そうな顔をしていたから、心配していたんだ」


 クラウディオが軽く手を振ると、門は一瞬で消え、部屋は真っ暗になった。すぐに蝋燭の火が灯り、部屋は再び弱い光で満たされた。


「殿下が恐ろしくて希望が消えたように感じられていたかもしれないけれど、私がいる限りあなたは必ず自分の家へ帰ることができるんだ。私があなただけの魔法使いであることを、どうか忘れないで」


 優しい声音は、優しい腕は、真理愛の不安な気持ちごと抱きしめてくれた。熱い思いが喉元でつっかえて、とても何も言葉にできなかった。


「いつか白夜を見に行こうと言ってくれたことを、忘れたことはないよ。あなたの人生のほんのひと時だったとしても、あなたの未来に私の居場所があるから、この先にどんな困難が待ち受けていようと乗り越えられると信じている」


 クラウディオは真理愛と額を合わせて、目を覗き込んできた。柘榴色の瞳は、彼の口と同じくらい雄弁に感情を伝えてくる。


「私がついている。私があなたの願いを叶える。だから、何も怖がらなくていい。そのままのあなたでいて」


 真理愛は涙を流しながらもクラウディオの瞳をまっすぐに見つめ返した。


「ありがとうございます。でも、ほんのひと時なんて、言わないでください。もっと居てください……」


 クラウディオは一瞬目を見開いて、すぐに顔をくしゃくしゃにして笑った。初めて見るその笑い方は、胸に迫るものがあった。


 真理愛は未来のことを考えるのを恐れていたが、たった今、一つのことを必ず成し遂げようと誓った。彼が与えてくれたものを、短い一生であっても、与えられた以上に返せる自分になろうと、そう思った。


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