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一晩の猶予

 それから数日、真理愛まりあはひたすら馬車に乗って、宿場街で宿を取って寝泊まりし、また馬車に乗って街道を進んだ。


 街道を進むにつれて移動そのものには飽きていったが、クラウディオが一緒だったので退屈だとは思わなかった。話をしていてもしていなくても、同じ空間にいてくれるだけで癒されるものがあった。しかし、宿を取ってもクラウディオとは当然別室で、二人きりになる時間はほとんどなかった。


 王都に到着すると、真理愛の緊張は一気に高まった。まだエヴァルド王子と会ってもいなのに、同じ街にいることを考えただけで委縮してしまい、クラウディオと話す余裕もなくなった。


 王都中心部にあるフォルトゥナ公爵家別邸に着いて馬車を降りても、真理愛の気分は沈んでいくばかりで、別邸の贅を尽くした意匠にも目が向かなかった。


 バルドが厩舎きゅうしゃへ馬を連れていっている間に、真理愛とクラウディオは別邸の中へ入った。中は真っ暗で、ひとの気配はなかった。クラウディオはそれを気にする風でもなく、自らの手で屋敷の中の蝋燭に次々と火を灯していく。


「使用人の方はお留守なんでしょうか?」

「年に一度ある元老院の議会が開催される期間しか使用しないから、王都の屋敷に常駐させている使用人はいない。今回は同行している使用人はいないし、バルドも含めて三人だけだ。この近辺の貴族屋敷に勤めている使用人に時々掃除を頼んでいるから、綺麗だと思うが……」


 クラウディオはソファーの肘置きに指を滑らせ、付着した埃を見てため息を吐いた。


「仕方ない、掃除をしよう」


 公爵の彼に掃除なんてできるのか、真理愛が抱いた疑問は、声には出さなかったが表情には出てしまった。真理愛は慌てて顔を背けたが、クラウディオに気づかれて笑われた。


「屋敷の掃除は使用人たちに任せきりだから、あなたがそう考えるのも無理はない。でも、公爵になる前は離れで一人暮らしだったから、身の回りのことはできるんだ」


 思っていたよりも重い答えにダメージを喰らっていると、クラウディオがカーテンの隙間から厩舎の様子を確認した。


「バルドはまだ戻らなさそうだから、魔法で終わらせよう。そういう訳だから、少しの間抱き上げてもいいかい?」


 真理愛が返事をするより前に、クラウディオは真理愛を片腕で軽々抱き上げた。


「わっ! な、何するんですか!?」

「床も掃除をしたいんだ、あなたに移動してもらおうにも屋敷中全て埃っぽいようだし、こうするしかなくて……」


 クラウディオが言い訳をしている間にも、部屋中の埃が部屋の隅へと風の力で移動させられていく。廊下からも埃やごみが風に乗って飛んできて、みるみるうちにゴミの山が出来上がり、しまいには全て消え去った。風がやむと、澄んだ空気が部屋を満たしていた。


「協力してくれてありがとう」


 クラウディオが真理愛を床に下ろした時に、バルドが厩舎から戻ってきたので、真理愛はやり場のない思いに悶えるしかなかった。


「お嬢さん。これ、お手紙です」


 バルドは差出人を言わなかったが、上質な紙の手触りと封蝋だけで誰からのものかわかった。忘れかけていた緊張感が再び増す。


「遣いの吸血鬼が待ち構えてたみたいに渡してきましたよ。まだ来たばっかだっていうのに、殿下もせっかちですねえ」


 腕を組んで険しい顔をしているバルドとクラウディオに見守られながら封筒を開けて、中の便箋を確認する。便箋には、流麗な文字がびっしりと書かれていた。


「お嬢さん、読めます?」

「ええ、たぶん、どうにか……」


 真理愛は文字を目で追うにつれ、自信がなくなっていくのを感じた。かろうじて文字は認識できるが、知らない単語も多く、文法の理解が怪しいところがあった。


「これ、お嬢さんが読めないこと見越して書いてますよね?」

「おそらくそうだ、十中八九私が読むとお思いのことだろう。着いたらすぐに会いに来てほしいと、そんなことが書かれているね」


 クラウディオはかなり端折って読み上げ、真理愛の手から手紙を抜き取ってしまった。


「そろそろ月も沈む。星の時に王宮へ伺うのは無礼だから、月が昇ってからにしよう」

「閣下も図太くなられましたね」


 バルドが茶化すように言って、クラウディオは肩をすくめた。


「嫌味か?」

「いいえ。主人たるもの、そう在っていただきませんと」


 真理愛は安堵のため息を吐いた。全く根本的な解決にはなっていないが、心の準備をする時間が増えただけでもありがたかった。


「閣下、時間に余裕があるなら、俺は城下に行ってきてもいいでしょうか? 王都に住んでる友人がいるんで、会いに行きたいんですよ」

「構わないが、いつ戻る?」

「月が昇るころには戻りますよ。食事も買ってありますし、屋敷も掃除が行き届いてる。それに、閣下は身の回りのことはご自分でできますよね?」

「もちろんだ、だが――」

「大丈夫ですよ、二日酔いで戻ったりしませんから。それじゃお二人とも、ごゆっくり」


 言うが早いか、バルドは弾む足取りで出て行ってしまった。


 真理愛とクラウディオは、しばらく無言で見つめ合ったが、ほどなくしてどちらからともなく目を逸らした。


 バルドは帰ってこないし、屋敷には使用人もいない。つまり、今晩はクラウディオと二人きりだった。


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