吸血鬼の執着
月が沈み星の時になると、一行は街道沿いの街で馬車を降りた。公爵領の端にあるこの街には、フォルトゥナ公爵家の別邸があり、そこに宿泊することになった。
別邸は本邸と比較すれば小さい屋敷だったが、数名の使用人が常駐しており、三人がそれぞれ別の部屋で寝泊まりするだけの部屋数があった。
夕食後、クラウディオは領地辺境に住む商人や学者、職人たちの会合に急遽出席することになった。
「会合と言っても、この時分に呼び出されたあたり、ほとんど飲み会だろうね」
クラウディオは沈んだ表情で言った。あまりにも暗い空気をまとっているので、一緒に見送りに来たバルドに声を潜めて尋ねた。
「どうしてあんなに行きたくなさそうなんでしょう?」
「普段は閣下に近寄りもしない縁起を担ぎたがる連中が、わざわざ白夜公との会合の場を設けたんです。十中八九、公爵閣下に折り入ってお願いごとでもあるんでしょうな」
馬車の準備が整うと、クラウディオは相変わらず暗い顔のままで乗り込んで、会合へと出かけて行った。
屋敷に残った真理愛とバルドは、食後のお茶とお酒で一服した。真理愛にはよく眠れるようハーブティーが、バルドには強そうなお酒が用意された。
真理愛がくつろいだ気分でお茶の香りを嗅いでいると、クラウディオが言った。
「お嬢さんは、閣下をどう思ってるんです?」
真理愛はお茶を口に含む前だったので、噴き出さずに済んだ。真理愛が答えに悩んでいると、バルドは話を続けた。
「ここのところずっとお嬢さんに対してあの調子でしょう。お嬢さんが満更でもないならいいんですが、嫌だって言い出せないんじゃないかと思いまして。閣下はご自分を社会の最底辺だと考えている節がありますが、あくまで公爵で、しかもお嬢さんの生活を保障しているお立場でしょう?」
バルドがそういった懸念を抱いていたことは、かなり意外だった。バルドとちゃんと話したのは今日が初めてだったが、豪快に笑い、粗野な振る舞いをしていたので、もっと大雑把な性格だと思っていた。
「逆らえないとか、そういう訳ではないので大丈夫です。ご心配ありがとうございます」
真理愛が頭を下げると、バルドは肩をすくめた。
「まあ、閣下のことですから外では場を弁えて行動されると思いますが、注意してくださいね。殿下はなぜか閣下を毛嫌いしてますし、ばれたらお嬢さんもどうなるかわかったもんじゃありません」
「あの、エヴァルド殿下って、舞踏会でもクラウディオさんに酷いことをしていましたし、お屋敷のひとたちもあまり良い印象を抱いていなさそうだったんですが、どういう方なんでしょう?」
「俺も詳しい人となりまでは知らないです。あれでいて閣下以外にはお優しく、次期国王に相応しい能力と国を思う気持ちがあるんです。陛下もここ百年くらいずっと眠っていらっしゃるし、殿下が王の公務を代行されています。貴族連中とフォルトゥナ公爵家の使用人以外は閣下への態度を知らないですし、あの見た目もありますから、民からはそこそこ人気があるんです」
「そこそこ?」
「ええ、そこそこ。殿下は、ほとんど義務とはいえ、歴代の夜の乙女と婚姻歴があるので、そこが大きなマイナスポイントですね」
バルドは苦々しく言って酒を飲んだ。
真理愛は以前クラウディオからエヴァルドの話を聞かせてもらったときにも婚姻歴に触れていたことを思い出した。
「吸血鬼にとっても何度も結婚していることって気になる点なんでしょうか?」
「気になるなんてもんじゃありませんよ」
バルドは思いのほか強い口調で言ったので、真理愛は驚きに目を瞬いた。
「普通、吸血鬼は一人の相手と添い遂げるものです。夜の乙女との結婚を定められた王子で、結婚相手が人間とはいえ、とっかえひっかえするなんてあり得ないことです」
真理愛が日本で学んだ世界史では、地位が高い人々は恋愛結婚する方が稀だったが、どうやら夜の国ではかなり事情が違うらしい。
バルドはため息を吐いて、グラスに残った酒を呷った。
「吸血鬼は執着心が強く、ひとりの相手を求める生き物なんです。それは高貴な血を持つ吸血鬼ならなおさらのことで、同じ吸血鬼が見てもその執着心を恐ろしいと思うほどです。そういう性質がありますので、失恋すれば命を絶つ者もいます」
真理愛は今の話を理解するまで時間を要した。理解すればするほど、胸を締め付けられるような心地がした。
脳裏に浮かぶのはクラウディオの顔だった。彼は出会った日から今日までずっと、真理愛を本気で元の世界へ帰そうとしてくれている。だが、その後のことを話し合ったことはない。真理愛が元の世界へ帰ったあと、彼は一体どうするつもりなのだろう?
バルドが空のグラスをテーブルに置いた音で、真理愛のとりとめもない思考が止まった。これ以上一人で考えても仕方がないと脇に置いた。
「えっと……、エヴァルド王子は夜の乙女を愛していないのに結婚するということでしょうか?」
エヴァルドは甘い言葉を囁いてきたが、真理愛を本気で愛しているようには見えなかった。真理愛を見るあの瞳は、闇を見通す紫色の瞳は、獲物を狙う狡猾なハンターの目だった。真理愛を失ったとしても、エヴァルドが命を絶つことはないだろう。
「さあねえ、色んな噂があるんですが、本当のところはわかりませんよ。何しろ人間と結婚するのは王子だけですから。現国王も、女王様が亡くなった後は当然独り身です」
真理愛は建国神話を思い出し、ふと疑問を抱いた。
「……すみません、エヴァルド殿下は吸血鬼の王様と、人間の女王様の間の子ですよね? それでも寿命が長いのはなぜですか?」
「不思議ですよね。人間の血が入っていても、寿命や特性にはあまり影響がないそうです。むしろ両方の血が入っているからより優れているとかなんとか……」
そうなんですね、と真理愛は頷きながらも、何か引っかかりを感じていた。人間の血が入っている、そこに違和感を覚えた。しかし、明確に言葉としてとらえることはできなかった。
その後しばらくバルドと他愛ない話をしてから、風呂に入り寝る支度を整えた。
真理愛がそろそろ寝ようかと思ったところで、会合から帰ってきたクラウディオが部屋を訪ねてきた。クラウディオは使用人に風呂に入れられ着替えさせられたようだったが、まだ酔いが覚めていないのか微妙に焦点が合っていなかった。
「おかえりなさい、お仕事お疲れ様です」
「うん、ただいま」
自分の部屋にクラウディオを入れるか悩んだが、目が半分くらいしか開いていないので心配になって招き入れた。
クラウディオをソファーに座らせ、水差しからコップに水を注いで渡してあげると、クラウディオは目を閉じながら水を飲み干した。
「もう眠そうじゃないですか、お部屋にお戻りになった方がいいですよ。ひとを呼びましょうか?」
真理愛がテーブルに置かれた呼び鈴へ手を伸ばそうとすると、クラウディオが指をからめて阻止してきた。そのまま手を握られ、クラウディオが重そうな瞼を半分ほど開いて言う。
「だめだ、あなたと二人になりたくて来たのだから、困る」
クラウディオが真理愛の肩に額を預けてきた。クラウディオの白い髪が、首筋をくすぐって、声が漏れそうになる。
「こ、ここで、眠るんですか?」
クラウディオの眠気と反比例するように、真理愛の眠気は消えつつあった。不慣れな馬車の旅で疲れているはずなのに、胸の鼓動がそれを忘れさせていく。
「そんなことをしたら、あなたの寝る場所がなくなってしまう……。あなたには、いつも、広いベッドでのびのび寝てほしい……」
クラウディオのため息が肌にかかる。
「あなたの邪魔になりたくないはずなのに、私は何をしているのだろう……。あなたのことを思うと舞い上がって自分の欲求を優先してしまいそうになるんだ。今にしても、あなたに何の断りもなく抱きしめてしまっている」
ただ抱きしめるどころか、真理愛はクラウディオの膝の上で横抱きにされていた。クラウディオの腕の力はどんどん強まっていて、とても抜け出せそうもない。
「あ、あの、クラウディオさん……?」
「あなたは温かいね。この国にも太陽があったらあなたのように温かいのだろうか……」
初めて太陽を知った子供のような言葉に、真理愛はついくすっと笑ってしまった。
「太陽は熱すぎて、とても触れませんよ。でも、日差しはとても暖かくて、心地が良いものなんです」
真理愛がクラウディオの頭をそっと撫でると、クラウディオは気持ちよさそうに目を閉じた。しばらくすると、クラウディオはがっちりと真理愛を抱きしめたままの姿勢で寝入ってしまった。真理愛がちょっと動いたくらいではびくともせず、早々に動くことを諦めるしかなかった。
クラウディオの寝息を聞きながら、バルドから聞いた話を頭の中で反芻して不安になってくる。
クラウディオは公爵の地位にはあるものの、不吉な存在であるがゆえに婚約者もおらず、公爵家の跡継ぎには養子を迎える予定だとルーベンから聞いたことがある。
千年以上生きるであろう吸血鬼が、まだ二十歳だというのに最初から結婚や子供を諦めているのだ。公爵という立場では結婚は義務の側面が強いかもしれないが、それにしたって寂しすぎる。彼は期待を裏切られるどころか、自分の将来に希望を持ったことさえないのだ。
真理愛はクラウディオの髪を撫でながら、陽の当たる場所にいるクラウディオの姿を想像した。吸血鬼が日光に耐えられるかはわからないが、彼はきっと暖かいねと言って微笑んでくれる気がした。




