甘い言葉に溶けるは
客車の中は広々としていて、人が向かい合って座れる十分な余裕があった。しかし、窓際の真理愛のすぐ隣にはクラウディオが座っているので、縮こまって座るしかなかった。
「断崖の崩落まで行くときも馬車だったが、馬車での長旅は初めてだったね。バルドには多めに休憩を挟むよう伝えてあるけど、何か不安なことがあればすぐに教えてほしい」
「ありがとうございます。ところで、あの、クラウディオさん、どうして私の隣に?」
馬車が揺れた弾みか、クラウディオが首を傾けたせいか、一つにまとめられた白い髪がさらさらと真理愛の肩にかかった。
「あなたの隣にいたいから。嫌かい?」
クラウディオは真理愛の手を握り、目を覗き込んで微笑んだ。
舞踏会の日以降、クラウディオはずっとこの調子だった。目が合えば微笑み、事あるごとに手を握り、座る場所はいつも隣で、話す時は耳元で囁く。
屋敷のひとびとの目も憚らずそうするので、閣下は殿下の婚約者を略奪する気かという噂が屋敷のあちこちで囁かれた。使用人たちは略奪が成功するかを冗談半分で賭けていて、半々で拮抗しているとカーラがこっそり教えてくれた。
「せ、狭すぎます、もっとそっち行ってください!」
「そうだったか、ごめんね」
クラウディオはあっさりと真理愛の向かいに座りなおした。真理愛は張り合いを感じずもやもやしたが、ついと視線を窓のほうへ向けた。
月が昇った空は明るく、街道沿いにも定点的に灯りが設置されているので、真理愛の目でも街道や周囲の景色がよく見えた。煉瓦でつくられた街道は四車線分も幅があり、さらに端には歩道も設置されていて、果てが見えないほどまっすぐに続いていた。景色はゆっくりとだが確かに移ろい、新幹線や電車、車に乗った時には味わえない深い旅情が感じられた。
「この国の景色はあなたにとって面白いかい?」
「ええ、とても。吸血鬼のみなさんの寿命が長いからか、時間の流れがゆったりとしているのを景色からも感じられる気がして、素敵です」
「あなたの国は忙しないのか?」
「気付けばどんどん色んなことが加速してる感じがします」
真理愛は元の世界での生活を思い出して苦笑した。
まるで身が入らないのに流されるまま毎日学校や習い事に行って、友だちとずっと一緒にいられないのが分かっているから一線を引いているのにSNS上の繋がりは断てず、ただ王子様を待つしかないのに焦燥感に駆られ続けていたあの時を。
「公爵邸から王都も、私の国にある乗り物だったら一日で移動できる距離かもしれません」
「そうか。ひとびとはそんなに速い移動を望まないだろうが、物がそれだけの速度で移動させられたら便利なことこの上ないだろうね」
「ひょっとして、魔法がお上手になったクラウディオさんならひとや物の転移が可能なんじゃないですか?」
「ああ、その手があったか。あなたのために使うことしか考えていなかったから思いつかなかった。でも、あなたを殿下の元へ一瞬で送り届けてしまったら、一緒に居られる時間が減るから、嫌だな」
最近のクラウディオの発言は万事この調子だが、真理愛はまったく慣れなかった。
本当は屋敷にいる間も元の世界に帰る計画に支障をきたさないようクラウディオに態度を改めてほしいと思っていたが、彼の想いや境遇を知っている手前、強く言えなかった。それに何より、その唇が甘い言葉を紡ぐにつけて、真理愛の胸は苦しくなって思考力が低下して、後先を考えることができなかったのだ。
「それにしても、ようやく二人きりになれたね。屋敷にいる間は、常に近くにひとがいて、難しかった」
馬車が揺れ、向かい合って座る真理愛とクラウディオの靴が軽くぶつかる。真理愛はさらに心拍数が上がっているのを、どこか遠いところで感じていた。
「私のことを知りたいと言っていただろう。今話してもいいかい?」
「……お願いします」
勝手に変に期待して勝手にがっかりしている自分を内心で叱咤し、居住まいを正した。
そうして、クラウディオは自らの生い立ちについて語り始めた。
「私が生まれる以前のことは、殿下があなたに話して聞かせた通りだ。母が断崖の暗黒の向こうから戻ってきて懐妊し、私が生まれた。
私が生まれた日は、とかく不吉なことが起こったと聞いている。流行り病が流行し始めたのもその頃だったし、星の配置は不吉なことが起こると告げていたそうだし、フォルトゥナ家の家宝の指輪が壊れ、たくさんの家畜が死んで、今回の崩落が始まった。でも、その日最も不吉なことは、世界の滅びの兆しである白子の子が生まれたことだった――




