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夜の乙女のためのバンケット

 月が沈む頃には、フォルトゥナ公爵邸には次々と馬車が到着していた。


 白夜公と呼ばれるフォルトゥナ公爵の招待に貴族たちが応じないのではという懸念もあったが、数多くの貴族たちが夜の乙女の姿を一目見ようとバンケットに参加しにきたのだった。


 真理愛まりあは自室の窓から豪華な馬車を眺めていたが、不安や緊張が自分の中で膨らんでいくのを感じていた。


「お嬢様、御髪おぐしを結いますのでこちらにお座りください」


 侍女のカーラに呼ばれ、窓を離れて椅子に座り、ドレッサーの鏡の自分と見つめ合った。きらびやかに着飾って化粧をしていても、表情の硬さは隠せていない。


「お綺麗ですよ、お嬢様」


 カーラがにこやかにそう言うので、真理愛も微笑み返すが、緊張はまだ解けなかった。今日、もしかしたら王子と会うかもしれないと思うと、どうしてもリラックスできなかった。


 侍女たちが真理愛の髪を結い上げ、ムーンストーンと真珠やダイヤモンドが埋め込まれた髪飾りで留めると、レースで覆われたほっそりとした首が露わになる。それは吸血鬼からすればやや扇情的でもあった。


 真理愛の支度が終わると、クラウディオが迎えにやってきた。黒いコートとウエストコートの正装に身を包み、白い髪を後ろで一つに束ねてすっきりとさせていた。クラウディオが歩くたびムーンストーンでできた服のボタンの表面がゆらめいて目を引いた。


 クラウディオのエスコートでホールへと向かうが、緊張している真理愛は何も話せなかった。ホールへ続く扉の前に立って、クラウディオが口を開いた。


「あなたに二つ伝えておくことがある」

「は、はい。何でしょう?」

「まず、殿下が舞踏会からお出ましになる」


 それを聞いて、真理愛の緊張は一気に高まった。


 おそらく昨日今日決まったことではないだろう。真理愛を動揺させるから、今日まで言わないでおいたに違いない。


「それからもう一つ。私はあなたのそばを離れない」


 優しく微笑むクラウディオは、真理愛の手を包み込むように握りしめた。たったそれだけで、真理愛の不安はゆるやかに消えていった。


「ありがとうございます、クラウディオさん。私も、あなたから頂いたものに恥じない振る舞いをお約束します」

「あなたは頼もしい人だね、真理愛。さあ、行くとしようか。今宵は、誰もがあなたに釘付けになる」


 扉が開け放たれて、真理愛はクラウディオと共にホールへ足を踏み入れた。


 明々とホールを照らす蝋燭の火の光、それを受けてきらめくシャンデリア、頬を撫でる香水や食べ物の匂いの入り混じった熱気、そして突き刺さるようなホール中からの視線。どれもが真理愛を圧倒するが、握った手が冷静さを取り戻させてくれた。


 真理愛とクラウディオが席に着き、クラウディオが真理愛を紹介して短いスピーチを終えると、全員で乾杯し、晩餐会が始まった。


 真理愛はちらりと横の空席を見た。このやけに目立つ席は、おそらくは王子が座るはずだったものだろう。


「お席が用意されているということは、もう王子様は到着されているんですか? もしかしてご気分が優れないとか?」

「いいや、私と食事の席を共にするのはぞっとするから、と仰せらしい」


 クラウディオはやれやれという風に言った。怒ったり、傷ついたり、そういう反応をしても何ら不思議ではないのに、クラウディオの表情に陰りが見られることはなかった。


 真理愛はとてつもない違和感を覚えた。もしかして慣れているのだろうか、貴族たち全員に見せつけるようなこんな仕打ちに?


 もやもやしている間に、次々と料理が運ばれてきていた。公爵家の権威を見せつける贅を尽くした料理の数々がテーブルに並ぶ様は圧巻の一言だった。


 真理愛はそのどれも美味しく食べたが、晩餐会の出席者たちは少しずつしか食さず、使用人たちが料理の残った皿を下げていくのを複雑な気分で見つめた。


 食事中には、参列者たちがそれとなく品定めする視線を真理愛へ送ってきていたが、教えられたマナー通りに食べ物を口へ運んだ。何か一つでもミスがあれば真理愛だけでなく、真理愛を教育したフォルトゥナ公爵家にも厳しい目が向けられることは理解していた。


 徐々にお腹がきつくなってきたころ、最後のデザートが運ばれてきた。お腹がいっぱいになっていたが、甘いものを見たらもっと食べられそうな気がしてきた。


 公爵領の特産である乳製品をふんだんに使用したジェラートやプディング、チーズケーキ、生クリームやバタークリームでデコレーションされたケーキが台にずらりと並び、真理愛は悩んだ末に全て少しずつ皿に盛ってもらった。


 白いデザートプレートを心行くまで楽しみ、長い晩餐会が終わった。ここまでは家庭教師のレッスンで

学んだ通りに実践することができて、真理愛は達成感を覚えていた。


 ホールで舞踏会の準備が行われている間、参加者たちはホールから広い庭へと移動していた。外の空気はひんやりとしていて、時折穏やかな風が吹き抜けて心地がよかった。


 庭には酒やお茶、軽食やお菓子なども用意されていたが、どれも真理愛は手をつけることができなかった。晩餐会では喋りかけるチャンスがなかった貴族たちが、真理愛に挨拶をしようと押し寄せてきて相手をするのに忙しかったのだ。


 クラウディオが真理愛を紹介する度に、真理愛は習った通りのお辞儀をした。講師に教えられた当初は苦笑さえもらえなかったカーテシーも、すっかり体に染み込んでいた。


 挨拶にきた貴族たちは真理愛の黒い髪と瞳を誉めそやし、きたる責務への激励をくれた。真理愛はそれらに礼を言う以外は、貴族たちと会話を交わす必要がなかった。彼らとの会話はもっぱらクラウディオが引き受け、社交界慣れしていないとは思えないほどそつなく政治や芸術、音楽についての会話を弾ませた。


 貴族たちはみなクラウディオのように品の良い吸血鬼だったが、その眼差しに滲むクラウディオへの恐怖や嫌悪までは隠しおおせてはいなかった。表面上は社交界に姿を現さないクラウディオを珍しがって大げさに楽しんでみせても、誰もが赤い瞳を堂々と見つめ返すことはできず、白い髪からは目を逸らして、それでいて時々盗み見ていた。


 真理愛はずっとクラウディオにひっついて離れなかった。静かに攻撃され続けているクラウディオに対し何もせず見ていることができなかったからだ。その様を見て怪訝な顔をする貴族がいても、舞踏会のダンスに緊張しているんです、の一点張りで離れなかった。


 話をしに来た吸血鬼の中には、クラウディオが夜の乙女の召喚に反対派だったのに、夜の乙女の召喚を受けて態度を変えたことを遠回しに非難する者もいた。反対派だった彼らも、クラウディオと話しているうちに溜飲が下がり、段々と同情的な態度になり、最終的には真理愛に友好的な言葉をかけて離れて行った。


「どうしてクラウディオさんと話をされただけで態度が軟化したんでしょうか?」

「夜の乙女が召喚された土地の領主には、夜の乙女の教育や当面の生活保障、バンケットの運営とそれなりの負担がかかるから、その負担を回避したくて反対派になっていた方々だったからね。もう彼らの領地に負担がかかることはないから反対派を続ける意味はないし、私と話して態度を変えたというパフォーマンスだよ」


 舞踏会の準備が終わると、参加者たちはぞろぞろとホールへと戻った。ホールに並んでいたテーブルはすっかり片付けられ、中央でダンスができるよう広いスペースが設けられていた。


 全員がホールに入ったところで、使用人が王子の来場を知らせた。広間の扉が開かれ、濃紺の豪奢なコートに身を包んだ男が悠然とした歩みでホールに入ってきた。


 その瞬間、空気が変わったのを真理愛は感じた。僅かな緩みさえ許されないような、呼吸さえ忘れさせるぴんと張り詰めた緊張感が、ホールを支配した。


 すらりとして均整のとれた体躯に、濡れたような艶を帯びる黒い髪、光を捕らえて離さない紫色の瞳、名画から出てきたような整い過ぎた相貌――凄絶な、と形容するより他にない美貌の王子は、視線をホール全体へと走らせ、真理愛に目を止めた。


 王子と目が合った真理愛は、背筋に冷や汗が伝うのを感じた。本能が告げていた、あれは捕食者の目だと。

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