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永遠の未明

 馬車を降り、真理愛まりあは辺りを見渡した。


 周囲に灯りは一つもなく、恐ろしいほど静まり返っていた。かろうじて民家が見えたが、手入れは全くされていないようで、崩れかけているのが見て取れた。


「立ち入り禁止区域まではあと少しだが、ここから先は徒歩で行こう。この近辺も遠からず立ち入り禁止区域に変わる。住んでいたひとびともすでに退去しているが、こういった場所へ泥棒が来ることもある。私から離れないように」


 馬車を道の途中で待たせ、真理愛とクラウディオは灯りを持って道を進んだ。ほどなくして立ち入り禁止区域との境界に設置された柵が見えてきた。設置された出入口の戸を開け、立ち入り禁止区域へ足を踏み入れると、耳が痛いほどの静寂と質量がありそうな闇に包まれた。


「しばらく歩けば崩落の断崖が見えてくるだろう。目視できる場所までしか進まないと約束してくれ」

「わかりました」


 真理愛は力強く頷いたが、クラウディオは手を差し出してきた。手を繋げということだろう。もしかして、急に走り出す子どもだと思っているのだろうか?


「私、危ないことはしませんよ」

「それも、そうだな……」


 クラウディオは気恥ずかしそうにしながら手を下ろした。


 歩き始めてから、真理愛は先ほどのクラウディオの行動の意味に気が付いて顔が熱くなった。あれは手を繋ぐ口実だったのだ。


 ちらと横を見るが、クラウディオはすっかり真面目な顔で歩いていた。


 素直に手を握っておけばよかったと思ったが、もう遅い。真理愛は今さら話題を戻せず、心の中で悶々と反省するしかできなかった。


 いつか異界に行くから、いつか王子様と結婚するからと、人と深い関係を築くことを避けて生きてきた。そのせいか、心の赴くままに行動することができなくなっていたし、他人が言外に出すサインを見ないふりをすることが癖になっていた。


「止まって」


 クラウディオの呼びかけで我に返り、真理愛は足を止めた。


「見えるかい、あれが崩落だ」


 クラウディオは手にしたランタンを前に突き出したが、その先にあるであろう真っ暗な地平線と空の境は、真理愛の目には見えなかった。


「ごめんなさい、見えないみたいです」

「人間の目には暗すぎるか……。照らせるか試してみよう」


 クラウディオはランタンを地面に置くと、次の瞬間には立派な弓を手に持っていた。真理愛が目を見開く間に、さらにクラウディオの片手には眩いほどに燃え盛る火の矢が出現し、そのまま矢を弓につがえた。


 ヒュン、と矢が空気を切り裂く音がして、炎が闇を渡っていく。明々と照らされた先に、不意に赤く崖の輪郭が出現したように見えた。だが、断崖のその先には炎の光さえも照らすことができない闇があった。一切の波のない海のような闇は、すべての光を跳ね返すことなく吸収し、夜空との境さえも飲み込んでいるように見えた。


 炎の矢は徐々に高度を落とし、断崖の先の闇に触れた瞬間、ふっつりと急に何も見えなくなった。


「見えたかな、あれが崩落の断崖、その向こうにあるのが夜の世界の果てだ。果ての闇こそが真の闇、光さえ飲み込む永遠の未明だ」


 クラウディオが手を離すと、弓は空気に溶けるように消えていった。


「耳を澄ませば、あなたにも大地が崩れる音が聞こえるだろうか。ああして闇が国土を飲み込んで崩落させていく。断崖の向こうへ行ったひとは、ものは、決して戻ることはない。それゆえに、あの闇の向こうに何があるか知るひとは誰もいない」


 気が付くと、真理愛はクラウディオの服の袖を掴んでいた。クラウディオが手を繋ぐことを提案した本当の意味がようやく理解できた。


「こんなことが、国の端の全てで起きているんですか?」

「ああ、そうだ。各地方からそのように報告が上がっている」

「クラウディオさんは、世界の端がこうなっているのを見て、怖くないんですか……?」

「触れなければ怖くはないよ」


 どうということはなさそうにクラウディオは言って、震える真理愛の手を握った。


 真理愛からすれば、触れたら死ぬような闇を見ても平然としているクラウディオが理解できなかった。だが、その理由を考えるうちに、元の世界も似たようなものかもしれないと思うようになった。


 地球から宇宙に生身で出ようと思ったら、あの闇に触れるのと同じように死ぬ。それどころか大気圏を突破することさえできない。だが、地球は宇宙の一部で、恐るべき危険に満ちた宇宙と繋がっている。


 真理愛も考えるだけで正気を失いそうな危険な場所に意識を向けずに安全圏で生きていた。吸血鬼たちも同じように、世界はそういうものだと受け入れて、考えすぎないようにしているのかもしれない。


「でも、本当に、あんな崩落を止めることなどできるんでしょうか……」


 真理愛が途方もない現実を前に力なくつぶやくと、クラウディオは真理愛の手を引いて、元来た道を戻り始めた。


「きっとあなたなら大丈夫だ」


 根拠なく言っているのは明白だったが、真理愛の心はふっと軽くなった。恐怖心も同時に消えていくのを感じていたが、真理愛は怖がっているふりをしてクラウディオの手を強く握り返した。


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