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7『ご令嬢は魔法使いに願いました。この世で一番美しくなりたい、と』

***



そして十年の月日が流れた。

アリアネルは今では森での暮らしがすっかり板についていた。

一人で近くの町まで買い物にでられるほどに、目が見えない生活にも慣れていた。

しかし対する老人は、この十年ですっかり老け込み、もはやその命は風前の灯にあった。

動きは緩慢になり、長い距離を歩くこともできなくなった。

アリアネルは男の老衰を受け入れきれず、彼は病気なのだと信じ込み、高価な薬を手に入れた。

老人は断ったが、アリアネルの懇願を受けて、仕方なく薬を飲んだ。

当然効果はない。

アリアネルはひどく落胆した。

他に手立てはないかと、別の薬ならどうかと模索するアリアネルを、老人は止めた。

無駄なことはやめろ、と。

「なにをしても身体の劣化を止めることは出来ない」

「でも……弱っていくおじいさんを黙ってみていることなんてできないよ……」

「気にすることはない。苦痛があるわけではないのだから」

「わたしにできることはないの?」

「ある」

老人は枯れ枝のように乾燥し、ひび割れた手で、アリアネルの頬に触れた。

「笑ってくれ。私が朽ち果てる、その最後の瞬間まで、どうか笑顔を見せてくれ」

手は強張っていたが、その手つきは優しく、まるで父母に撫でられているようだ、とアリアネルは感じた。

老人はアリアネルを心から大切にしていた。愛していた。

「無理だよ」

アリアネルは堪えきれず、泣いてしまう。

「おじいさんが死ぬのに、笑ったりなんて、できないよ……」

「死ぬわけではない」

「……魔法使いだから?」

「そうだ」

アリアネルはかぶりを振った。

彼女は信じていなかったのだ。老人が魔法使いであるなどとは。


老人は魔法使いを自称している。

けれどアリアネルは、それを嘘だと思っていた。

自分のためについた、優しい嘘である、と。


幼いころのアリアネルは、魔法と魔法使いの存在を無邪気に信じ、いつか自分もそうなろうと思っていた。

けれど成長した今では、そんなものはないのだということを知っていた。

魔法は、しょせんおとぎ話だ。

幼い自分の慰めではあったが、過酷な現実を生き抜いた彼女に、魔法という夢はもはや必要なかった。

そのためアリアネルは、老人がいくら魔法について解こうとも、自分を子ども扱いしているのだ、とまともに取り合わなかった。

母が幼いアリアネルを慰めるために魔法使いの話をしたように、老人は生きる気力を失っていた自分を励ますために、魔法などというありもしないものを語るのだ、と。

アリアネルはその老人の優しさに感謝していた。

けれどその嘘は、もはやアリアネルにはなんの慰めにもならなかった。

「もう、魔法はいいんだよ」

「まだ嘘だと思っているのか」

「じゃあ、魔法、つかってみせてよ」

「……この身体では使えないのだ。もとの身体に戻れば、使えるようになるが」

老人の光が大きく揺らぐ。

アリアネルは慌てて老人の手をとった。

「ごめんなさい、わたし、ひどいことを……」

アリアネルは老人の優しさを無下にした自分を恥じた。

「いいや。きみの疑いも無理はない」

老人はアリアネルを安心させようと、落ち着いた声を出したが、その瞳はか細く揺らぎ続けていた。

「だがどうか信じてほしい。この身体はやがて朽ちるが、死ぬわけではない。私はもとの身体に戻るだけなんだ」

「でも……その、もとの身体は、王宮に閉じ込められてしまっているんでしょう?」

「ああ。数百年前封じられてから、私はずっと動けずにいる。長い時間をかけてこの身体を作り、魂だけは外に出すことができたが、やはり作り物の身体ではうまく魔法を使うことができなかった」

老人は小さく口笛を吹き、空中に人差し指を出した。

チリンッ、と音を立てて、ティティがその指に止まる。

「唯一形になったのはこれだけだ。しかし完全とは言い難い。鳥にするつもりが、歪んだ羽虫のようなものになってしまった」

「ティティはとってもかわいいよ。それにすごくいい子だよ」

「……そうか。まあ、きみの気に入ってよかった」

老人はティティをアリアネルの元へ放つ。

チリリンッ!

ティティは羽虫と言われたことに腹を立てたかのように、荒々しく羽ばたきながらアリアネルの肩にとまった。

「ほら、おじいさんがへんなこというから、ティティ怒っちゃったよ」

「……それの主人は私のはずだったんだがな」

チリン!

ティティはまた抗議の羽音を鳴らす。

老人は苦笑し、まあいいだろう、と言った。

「それはきみの目となり、よき友となってくれた。充分成功作といっていいのかもしれない。……しかし、だからこそ、だろうな。それを作ってから、身体の衰えが早まった」

「えっ……」

チリ……。

アリアネルはティティをそっと胸に抱いた。

ティティもアリアネルを抱きしめるように、その羽をすり寄せた。

「それでもなんとか、今日まで力をためてきたが、私はもうあと一度きりしか魔法を使えない。そして使ったが最後、この身体は壊れてしまうだろう」

「そんな……」

魔法を使えても、使えなくても、老人は無事では済まない。

結局なにひとつ状況は変わらない。

アリアネルはたまらず、老人にすがりついた。

「離れたくないよ」

「……心はいつも共にある」

「一緒に生きていたいんだよ。いままで通り、ずっと、一緒に暮らしていたいんだよ」

「永遠に続くものはない」

老人の諭すような言葉を受けて、アリアネルの脳裏に、幼いころの情景が浮かび上がる。


青空を背に建つ大きな屋敷。花で溢れた美しい庭。親切な使用人。優しい家族。いつまでも続くと信じて疑わなかった、暖かく幸福な時間。

壊したのは、自分だった。

自分の存在が、そこにあったすべての幸福を壊してしまった。

アリアネルは何度も後悔した。

あのとき、もっと自分が大人だったら。

言い寄る人びとに翻弄されず、うまくいなすことができていれば。

家族に危険が及ばないよう振る舞うことができていたら。

アリアネルは何度も願った。

過去に戻って、やり直したい、と。

けれど過ぎた時間は決して戻ることは無い。

過去に対してアリアネルができることは、決して忘れないこと、懺悔を続けることだけだった。


(でも、未来は、まだ変えられる)


もう二度と後悔したくない。その強い思いが、アリアネルを勇気づけた。

諦めるにはまだはやい、と。

「もとの身体に戻ったら、おじいさんは死なないんだよね?」

「ああ。私は封印が解かれない限り、老いることも死ぬこともない」

「封印が解けたら、自由になれる?」

「……ああ」

「それじゃあ、わたしが、おじいさんを解放する!」

老人は無言で首を振った。

けれどその動作を、アリアネルは見ることができない。

「きっと、絶対助けるよ!そしたら、また二人で暮らそう!」

老人はアリアネルの頭をそっと撫でた。

アリアネルは老人が微笑んでいることを、その手つきから感じ取る。

「わかっているのか?王宮だぞ」

「……怖くないよ」

アリアネルは王宮でのさまざまな恐怖を思い出しながらも、老人のためならばと、震えを噛み殺した。

老人はそんなアリアネルの頭を、さらに優しくなでさする。

「今のきみが行ったところで、門前払いされるだけだろう。それに私の存在は、すでに忘れ去られているんだ。王宮のどこに封じられているのか、どう解放するのか、それらを知る者は誰もいない」

たしかに、アリアネルも王宮にいたころ、魔法使いが封じられているなどという話は、一度も耳にしたことが無い。

「そんな……じゃあ、どうすれば……」

「心配することはない。自分のことは自分でなんとかする。……時間はかかるが、またこうして人型を作って、外に出る。そして今度こそ力を蓄え、封印を解く」

「時間って、どのくらいかかるの?」

老人は答えない。

アリアネルは質問を変える。

「いまの身体は作るのには、どのくらいかかったの?」

「200年よりは、短かったと思うが」

アリアネルはたまらず唇を噛む。

両目が開いていたなら、きっと涙をこぼしていただろう。

けれど今の彼女には、どんな悲しみも、痛みも、流し出すことはできない。

飲み込み、耐えることしか、できなかった。

「わたしはふつうの人間だから、200年も生きられないよ」

「……」

「もう会えないの?」

「……」

「それじゃあ、死に別れるのとおんなじだよ……!」

アリアネルは声を震わせる。

泣くな、と老人はアリアネルを慰めたが、その声は同じように震えていた。

「……そうだな、ともすれば、死ぬよりもずっと辛いだろうな」

老人はぽつりとこぼした。


自分のために笑い、喜び、涙する。心優しい少女との生活は、老人にとってもかけがえのないものだった。

それと手放し、暗く冷え切ったもとの身体に戻ることは、彼にとっても耐えがたいことだった。

そんな老人の弱音を聞いて、アリアネルははっとした。

(そうだ。わたしよりおじいさんのほうがずっと辛いんだ)

(泣き言を言ってる暇はない)

(どうしたらおじいさんを助けられる?本当になにも、打つ手はないの?)

アリアネルはしばらく考え込んだ。

放っておいても、老人の身体は朽ち果ててしまう。

魔法を使っても、結果は同じだ。

(……魔法)

アリアネルは記憶を手繰り寄せる。

老人に今まで言われてきた言葉を思い出す。

『お前は私のものだ』

『お前には価値がある』

『代わりになるものを探していた』

『お前は最高の魔法の器だ』

その意味を理解しないまま、聞き流してきた言葉の数々。

そして今日、老人は、あと一度魔法を使えば、身体は壊れてしまうといった。

アリアネルはようやく気付いた。

最初に老人が自分を拾ったのは、決して優しさからだけではなかったのだ。

老人にとってアリアネルは利用価値があった。

もし本当に、老人に魔法が使えるのであれば、それがただの一度きりというのであれば、その使い道は一つしかない。


「おじいさん、わたしの身体をつかって」


老人は予想だにしなかったアリアネルの発言に、目を瞠る。

「……なにを言い出すんだ」

「私を拾ってくれたとき、器にするって言ってたよね?それって、わたしの身体をおじいさんの容器にするってことなのかな、って思ったの。……違った?」

老人は答えなかった。

アリアネルは確信した。

老人は魔法使いであると自称する以外に、アリアネルに嘘をついたことはない。

老人の沈黙は、肯定だった。

「やっぱりそうなんだ」

「……すまない。私は……」

「謝らないで!」

アリアネルは笑った。

これでようやく、恩を返すことができると、老人を救うことができると、心から喜んでいた。

「よかった。本当によかった。これでおじいさんは……」

「アリアネル」

無邪気にはしゃぐアリアネルの肩を、老人はつかむ。

「私はきみの身体を奪うつもりはない」

「奪われるなんて思ってないよ。わたしが自分であげるんだよ。おじいさんに、私の身体を」

「そうじゃない。私はお前に生きていてほしいんだ。お前がわたしを生かしたいと思うように……いやそれ以上に、私はお前を失うのが恐ろしい」

「そういってもらえて、すごく嬉しい。でもわたしはもう十分だよ。おじいさんに助けてもらって、おじいさんと暮らせて、じゅうぶん幸せだった」

アリアネルは微笑んだ。

それは愛する人へ向ける、この世で最も清く美しいほほ笑みだった。


拾われた理由に気づいても、アリアネルの老人へ対する気持ちは変わらなかった。

なぜなら彼女は知っていたからだ。

老人がアリアネルに向ける愛情は、本物であると。

いつか身体を奪うためについた嘘ではない。老人の親切は、優しさは、すべて本物だった。

アリアネルは今日まで自分を包んでくれたその温もりを、疑ったりはしなかった。

「もうやめてくれ」

アリアネルの視界に灯る光が、揺らぐ。

水面に移る月が、風で揺れ動くように、対なる光は大きく揺れ、分裂し、零れ落ちた。

「おじいさん……」

アリアネルは老人の頬をそっと包んだ。

暖かい滴が、その手を伝っていく。


老人は泣いていた。


声を殺して、大粒の涙を、流していた。

「アリアネル、お願いだ。もうなにも言わないでくれ……」

老人はアリアネルを抱きしめた。

「私の望みは、たったひとつだけなんだ。このまま残りの時間を、きみと穏やかに過ごすこと、それだけが、唯一の望みなんだ」

「おじいさん……」

老人は涙を流したまま、語った。

まるで懺悔をするように、アリアネルへの思いを。




「きみを見つけたとき、なんて幸運なんだと思った」

「きみの身体を奪うことができれば、私はきっと、もとの身体と同じように魔法を使うことができるだろう。封じられていた身体を解放することができるだろう」

「長年の悲願をようやく果たせると思ったんだ」

「けれど、今ではそれを恥じている」

「私は愚かだった」

「あのときの自分を、きみをものとして利用しようとした自分を、憎んでさえいる」

「……きみに出会うまで、私は人の心を失ってしまっていた」

「王宮に閉じ込められて、長い時間を孤独に過ごした。人びとが私の存在を忘れていったように、私自身も、私の存在を忘れていってしまったんだ」

「なぜ封じられたのか。封じられてる前の私はどういう人間だったのか。それさえも思い出せなくなった」

「唯一残っていたのは、自由になりたいという願いと、私を封じた者たちにたいする怒りだけだった」

「私は人ではなくなってしまっていた」

「この世で最も醜い復讐者と成り果ててしまっていた」

「……対して、きみは、美しかった」

「すべてを奪われてなお、誰も憎まなかった。傷つけなかった」

「……いやむしろ、すべては自分のせいだとして、自分だけを憎み、傷つけていた」

「だが光を失っても、きみの心が曇ることはなかった」

「きみは今でも、美しい宝玉のままだ」

「努力家で、勤勉で、こんな貧しい暮らしの中でも不満のひとつこぼさず、日々小さな喜びを見つけることをかかさない。そんなきみは、いつの間にか私の、なによりも大切な宝物になっていた」

「きみと食べる食事はどんなものでもおいしかった。きみとならどんな仕事をしても疲れることはなかった。きみとする散歩はこの世のどんな娯楽よりも楽しいものだったし、きみの笑い声にはどんな音楽も勝ることはできないと思った」

「きみの隣で眠りにつくとき、朝目が覚めて隣にきみがいるとき、なによりも幸福を感じることができた」

「自由への渇望と怒りでいっぱいだったはずの心が、きみのことでいっぱいになった」

「私はきみに感謝している」

「私はきみのおかげで、人の心を取り戻すことができたんだ」

「ありがとう、アリアネル」

「私は、きみを愛している」




老人の告白に、アリアネルは胸が張り裂けそうだった。

老人と想いが同じだったことは、彼女にとってこのうえない喜びのはずだった。

しかしいまのアリアネルには、悲しみが勝ってしまう。

「私はきみと過ごす残り少ない時間を、幸福のままに終えたい」

「頼む、アリアネル」

「どうかもう私の傍を離れないでくれ」

「私のために身を切るような真似はしないでくれ」

「どうかそのままで、最後の瞬間まで、私の隣で笑っていてくれ」

老人の切実な願いに、アリアネルは答えないわけにはいかなかった。

「……わかった」

アリアネルはすべての思いを飲み込んだ。

そして老人が望むとおり、にっこりと、笑って見せた。


「ずっと傍にいるよ」


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